落合博満が今だから語る荒木雅博と井端弘和の二遊間コンバートの真意
今シーズンのプロ野球では、松井稼頭央(埼玉西武)のように日米で実績を残した選手や、大挙してプロ入りした1980年生まれの“松坂世代”が次々と引退を表明するなど、ある時代が終わったのかな、と感じるような秋を迎えている。
中日ドラゴンズでも浅尾拓也、野本 圭が今季限りでユニフォームを脱ぐことを表明し、岩瀬仁紀や荒木雅博も、現役生活にピリオドを打つ意思を固めたと球団関係者が証言する。2004年から8年間で4回のセ・リーグ優勝、2007年には53年ぶりの日本一に輝いた黄金時代を落合博満監督の下で築き上げた選手たちが去っていくことには、少し感傷的な気持ちになる。
特に落合監督の守り勝つ野球を投手で支えたのが岩瀬なら、野手で牽引してきたのが荒木だろう。実は、落合監督がディフェンシブな戦術で十分に戦えると確信したのは、就任直後の秋季キャンプで荒木の動きを見たからだ。
「例えば、広島の菊池涼介の守備については、ダイナミックでいいと言う人と、若いうちはいいけれど堅実さも必要だと見る人がいる。ただ、私自身は内野手として足が動いているのを一番評価する。足で打球を追う内野手は、安定したプレーを続けられるから。中日の監督になった時の荒木もそうだった。しかも、どれだけ練習させてもへばらない体力を見て、彼らを鍛え上げれば勝てると思った」
そうして、翌春のキャンプから落合監督が自ら鬼のノックで鍛え、井端弘和(現・巨人コーチ)や森野将彦(現・中日コーチ)らで守り勝つ野球を実践した。
いきなり2004年にセ・リーグで優勝し、ゴールデングラブ賞を手にした荒木はこう言った。
「138試合でいくつもの打球を処理しましたが、すべて北谷(春季キャンプ地)のサブグラウンドで受けたノックの時に見た打球だった。あれだけ練習すれば、こういう経験ができるのだと自信になりました」
その後、6年連続ゴールデングラブ賞に選出された荒木と井端の二遊間を、落合監督は2010年にそっくり入れ替える。この大胆なコンバートは、守備の達人と評されたOBたちにも理解されず、二人とも新たなポジションではゴールデングラブ賞を手にすることはできなかった。翌2011年限りで落合監督は退任してしまったため、このコンバートがどんな意味を持っていたのか知る人は少ない。
荒木と井端のコンバートに隠されていた将来のビジョン
当時、落合監督は「あの二人は、足ではなく目で打球を追うようになった。楽をすることを覚えたんだ。だから、また一から守りを勉強してもらう」と、突き放したような発言しかしなかった。その後、タイロン・ウッズやトニ・ブランコなど、外国人の一塁手はベースに戻るのがやや遅かったため、ゴロを捕球してスローイングしようとする荒木に、一拍待ってしまうクセがついた。それをショートで忘れさせるという目的を明かしたことがある。
さらに、監督退任から7年が経ち、荒木が現役生活に区切りをつける今、さらに先を睨んだ考えがあったことを語った。
「もともと2年間の限定でコンバートするつもりだった。スローイングがスムーズになった荒木をセカンドに戻せば、プロ野球史に残る二塁手になれると考えていたから。また、井端はサード、森野はファーストという布陣にして、将来のチームを背負えるショートを育てようとした」
そのショートが堂上直倫なのか、新たにドラフト指名する新人なのかは未定だったというが、荒木と二遊間を組み、井端と三遊間を組めば、それだけで有能な守備コーチに鍛えられているようなものだろう。「選手は、コーチではなく選手同士で鍛えられる」が持論の落合監督ならではの育成案だと感じた。
そんな夢のプランは実現しなかったが、落合監督が退任した後もグラウンドに立ち、2017年には通算2000安打も達成した荒木。落合監督はこんな言葉を贈る。
「私が監督を務めた8年間で唯一、規定打席をクリアした選手。つまり、監督にとっていなければ困る選手だったということだ」