「抵抗の枢軸」陣営がイスラエルにたいした「反撃」をしない隠された理由
2024年7月30日、31日にイスラエルがベイルート南郊のダーヒヤ地区を攻撃してヒズブッラー(ヒズボラ)の幹部を殺害し、テヘランでハマース(ハマス)のハニーヤ政治局長を暗殺したことにより、イランとヒズブッラーをはじめとする「抵抗の枢軸」陣営とイスラエル・アメリカ陣営との全面衝突の懸念で世界中が恐慌状態になってから1カ月が経とうとしている。しかし、実際には当初懸念されたような「抵抗の枢軸」陣営からの劇的な軍事行動は起きていない。その理由を考えると、一般には「ガザ地区での停戦交渉」の仲介をはじめとする、紛争拡大を恐れる各国による働き掛けが想起されることだろう。しかし、これまで長年繰り返されてきたように、「停戦」や「停戦交渉」はこの紛争の当事者の少なくとも片方にとっては、自らに有利な既成事実を拡大する機会や、敵方が違反行為をとるように挑発するための猶予期間にすぎず、交渉仲介者を称する諸国の少なくとも一部もそれを承知で放任している状態だ。つまり、紛争の当事者が「停戦交渉に期待をかけて」行動を控えると信じることができるほど心が澄んだ人類がどのくらいいるかについて、実に悲観的だといわざるを得ないのだ。もっとも、「抵抗の枢軸」側は敵方との力関係に鑑みて全面対決だけは何としても避けたいので、「停戦交渉に期待をかける」は様子見のための格好の口実だ。筆者としては、「抵抗の枢軸」側は反撃として、その場で考えられ得る選択肢のうち、紛争の強度を上げたり範囲を広げたりする幅が「最も小さい」選択肢を選ぶと予想している。
そのようなわけで、ここまで「抵抗の枢軸」陣営がイスラエルによる攻撃・暗殺・挑発に対して講じた措置の一つは、シリアでの部族民兵によるシリア民主軍(SDF。アメリカが支援するクルド民族主義勢力が主力)への襲撃というものすごく間接的で陰湿な攻撃だ。SDFの人員がいくら死傷しようがアメリカ・イスラエル陣営にとっては痛くもかゆくもない。だが、SDFの命運や処遇は、シリア紛争をはじめとする地域の情勢に干渉するアメリカの威信や正統性に関わる問題である一方で、SDFそのものがアメリカと西側諸国が見ないふりをしている「イスラーム国」の構成員や家族の収監と虐待を担い、実は自由、人権、民主主義とは無縁に振る舞う存在だという問題でもある。
「抵抗の枢軸」陣営が切ったもう一つのカードは、ハマースとイスラーム聖戦運動(PIJ)によるイスラエルの大都市での殉教作戦/自爆攻撃再開宣言だ。こちらは20年近く絶えて久しいといってよかった殉教作戦/自爆攻撃が再び頻発する懸念を惹起する、パレスチナの対イスラエル抵抗運動史の中でそれなりの大ごとだ。もっとも、ハマースもPIJも現時点では殉教作戦/自爆攻撃にまつわる言動をあくまで政治的メッセージとして位置付けているようで、イスラエル側の民間人を多数殺傷するような攻撃を直ちに、しかも複数仕掛けるかと言ったらそんな雰囲気でもない。メッセージである以上、19日のテルアビブでの殉教作戦/自爆攻撃ではイスラエル側の人員を殺傷する必要は全くなかったとさえ言える。
しかし、「抵抗の枢軸」陣営とイスラエル・アメリカ陣営との現実的な力関係という理由以外に、最近の前者の行動がなんだかショボいことを説明する理由がないかと言えばそうでもない。その理由が(少なくとも公式には)何の見返りもなく繰り返される各国からの働きかけでないことは明らかなのだが、中東の催事カレンダーを眺めているといかにも現実的かつ実利的な理由があることもまた明らかなのだ。というのも、シーア派の祝祭の一つである「アルバイーン」が8月25日ごろに控えているのだ。「アルバイーン」とは、12イマーム派のシーア派にとっては3代目のイマーム(≒指導者)であるフサインが時の権力(スンナ派)に虐殺された記念日(こちらも大きな祝祭)の「アーシューラー」から数えて40日目の追悼行事だ。確かに、「抵抗の枢軸」陣営に属する「イランの民兵」からなる「イラクのイスラーム抵抗運動」による対イスラエル攻撃は、このところ「やめたわけではないよ」と言い訳する程度に活発だし、「イラクのイスラーム抵抗運動」の中でも好戦的な言辞を弄することが多い「サイード・シュハダー部隊」や「ヌジャバー運動」も、ここ数日は構成員を参詣地に向かう者たちへのサービスに動員している。両派にとっても祝祭をほったらかしにして全面戦争の引き金を引くような行為に出れば、自らの存在意義を吹っ飛ばすことになる。
ただし、ここでの注目点は、「抵抗の枢軸」陣営が「12イマーム派のシーア派だから」祝祭に配慮して大規模な軍事行動を避けるなどという、宗教・宗派決定論的な純朴な発想で物事が決まるのではないということだ。実は、「アルバイーン」(「アーシューラー」もそうだろうが)は数百万人(主にイランかららしい)がイラクの参詣地を訪れる、非常に大規模な祝祭だ。報道によると、8月6日から「アルバイーン」のためにイラクを訪れた者の数は290万人に上り、その多くはイランからの参詣者だそうだ。これだけ多数の参詣者の秩序や安全を確保することは、イラクの治安部隊の一部である「人民動員隊」(≒「イランの民兵」)諸派にとっては一大行事だし、イラク社会にとっても参詣者向けの食事、宿泊場所、両替、参詣の先達などなどのサービス提供にかかわる大きな経済的機会だ。また、アメリカによる金融制裁下のイランにとって、少なくない金額の自国の資産があるイラクに200万人以上の参詣者が出かけていくことはイラン資産の移動という面で大きな機会だ。「アルバイーン」の期間に祝祭の雰囲気をぶち壊しにするどころか、参詣者の移動の妨げとなるような規模の軍事行動を起こすのは「抵抗の枢軸」陣営にとって百害あって一利なし、ということだ。本稿で引用した報道では「アルバイーン」のためにイラクに入国した参詣者を8月6日から数え始めているが、これは「アルバイーン」のためのヒトの移動が2~3週間かかる大規模なもので、祝祭後の「帰路」についても数日で済むような簡単なものではなさそうだということの証左だ。そのようなわけで、「抵抗の枢軸」陣営がイスラエルに対し何か「反撃」する場合、「アルバイーン」に伴うヒト・モノ・カネの動きが落ち着くまで待つ、と予想することが可能だ。もちろん、この間も「(自らの弱さが理由で)手を拱いているのではありませんよ」との示威行動はみられるだろうが、それらの多くはよく考えないとそれだと気づかない位に間接的で、陰湿で、難解な行動になるだろう。