パレスチナ:殉教作戦再開は紛争激化の徴か、メッセージか
2024年8月19日、ハマース(ハマス)の軍事部門のイッズッディーン・カッサーム部隊(カッサーム部隊)は、前日の18日にテルアビブで発生した爆発事件(1人が死亡、1人が負傷)について、イスラーム聖戦(PIJ)の軍事部門のエルサレム隊の参加を得て実行した殉教作戦であると発表した。カッサーム部隊は発表の中で、占領者の内部での殉教作戦は虐殺・民間人の強制移住・暗殺政策が続く限り対決のため復活するだろうと強調した。「占領者の内部」とはわかりにくい表現かもしれないが、これは一般に「イスラエル領内」と認識されている場所を指すようだ。ハマースやPIJにとって「パレスチナ被占領地」とはヨルダン川西岸地区やガザ地区という矮小な領域だけではないので、テルアビブだろうがハイファだろうが西エルサレムだろうがエイラートだろうが、被占領地扱いとなる。また、「殉教作戦」とは、作戦の実行者が生還することを期待しない作戦を、宗教的な論理で称揚・正当化しようとする立場から呼ぶものであり、同じ行為は戦闘の当事者の逆の立場から見れば「自殺/自爆攻撃」と呼ばれることになる。これについては、日本だけで用いられるへんてこな言葉として「自爆テロ」という表現もある。この種の行動をどのように呼称するかは、呼称する側の政治的立場や主観によって決まるので、筆者としては発信者が用いる表現を正直に訳出するだけにしておくことにする。
パレスチナの対イスラエル抵抗運動諸派は、2000年代の第二次インティファーダと呼ばれるイスラエルとの武力衝突の中で、殉教作戦/自爆攻撃を多用した。しかし、分離壁の建設や検問所の増設など、イスラエルの人員が直接パレスチナ人と接する機会を減らしたり、爆発物や作戦に関与する要員の移動を妨げたりする対策が進んだ結果、この種の作戦はほとんど行われなくなった。今般の事件より前に発生した殉教作戦/自爆攻撃は、2016年10月のエルサレム南方での事件(カッサーム部隊が自派の作戦であると発表した)までさかのぼるようだ。この間、パレスチナの抵抗運動諸派は武装闘争の主力をロケット弾に切り替えた。2023年10月7日にイスラエル軍の拠点を攻撃した際には、小型無人機からの爆発物投下も見られたことから、諸派は無人機の導入にも熱心だった。他方、パレスチナ諸派は各々自派の都合を最優先に活動しており、近年の諸派の武装闘争の連携の程度は、第二次インティファーダが激しかった当時と比べて著しく低かった。特に、ヨルダン川西岸地区での既存の諸派による武装闘争は著しく不活発となり、近年ではこれに不満を抱く活動家らが新たな武装勢力の名義で活動する事例も見られた。こうした中で久々に発生したのが、今般の殉教作戦/自爆攻撃なのである。
これまでも指摘してきたとおり、テルアビブで、特に同地で民間人を殺傷する作戦を仕掛けることは、アラブ・イスラエル紛争やアメリカ・イスラエル陣営対「抵抗の枢軸」陣営の対決の中で紛争の強度がかなり高いことを意味する行為だ。攻撃、しかも殉教作戦/自爆攻撃で多数が死傷した場合は、紛争の強度が劇的に上がると思ってよい。となると、観察する側として頭を使わなくてはならないのは、今般の作戦の意図をどのように判断するかだ。殉教作戦/自爆攻撃には、なるべく安上がりで確実に敵方をなるべく多数殺傷することを意図するもの、「イスラーム国」やシリアで活動するイスラーム過激派がしたように敵の拠点への突破口を開いたり敵の進撃を阻んだりする戦術的なもの、そして何か政治的なメッセージを込めたものなどがありうる。つまり、作戦の背後にいる組織とその経営者たちにとって殉教作戦/自爆攻撃はちゃんと意味や意義がある作戦・政策で、思想・信条的な確信や情熱、自暴自棄、自己顕示欲などに駆られるのは殉教作戦/自爆攻撃の実行者「だけ」ということだ。別の言い方をするのなら、殉教作戦/自爆攻撃に起用される者は組織にとって生還しなくても別に構わない程度の重要人物である。攻撃される側が自爆要員を生け捕りにしなくてはならないのは、自爆要員の思想・信条・政治的な理解の程度の低さを突いてぼろを出させたり、彼らを自爆要員に起用した組織が要員を捨て駒扱いするダメ組織であることを強調したりするのに役に立つからだ。
以上を踏まえて考えると、カッサーム部隊やエルサレム隊は今般の作戦で敵方に可能な限り大きな物理的被害を与えようとか、後続のための突破口を開こうとかを狙って殉教作戦/自爆攻撃を仕掛けたのではなさそうだ。今般の作戦では、実は近隣の教会や商業施設のようなより人が多い場所を狙ったものの技術的不調により爆弾が爆発したとの分析もあるようだが、冒頭で挙げたカッサーム部隊の発表を読む限り、「虐殺・強制移住・暗殺政策」をやめること、という要求事項が明示されている。イスラエル側がこのようなメッセージを理解できると期待するならば、今般の作戦でイスラエル側の死傷者はなるべく少ない方がいい。なぜなら、何か間違って数百人が死傷するような「戦果」をあげてしまうと、短期的には「虐殺・強制移住・暗殺政策」が強化されるのは確実だからだ。カッサーム部隊やエルサレム隊がイスラエルの大都市に対する殉教作戦/自爆攻撃を再開すると表明したこと自体、近年の紛争の展開の中で非常に大きな意味のあることだ。だが、両派は殉教作戦/自爆攻撃の再開を、敵方に最大限打撃を与えるためというよりは、近隣地域にも広がる紛争の停戦や、アメリカ・イスラエル陣営対「抵抗の枢軸」陣営の対峙での「交戦規定」の再定義のような政治的なメッセージを届けるために使いたいようだ。ただし、これまでの紛争の展開の中で、長年の紛争を通じて形成された意思疎通のやり方、「交戦規定」どころか、仲間であるはずのアメリカや西側諸国による広報キャンペーンや外交的な働きかけの意図や効果を理解しているのかどうかおぼつかない現在のイスラエルの要人たちが、期待通りの反応をする保証は全くない。