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焼肉の勉強に終わりはないということを痛感させられた夜のこと。

松浦達也編集者、ライター、フードアクティビスト
筆者知人撮影

時折、人様からお声がけをいただいて、イベントごとなど手伝いに伺うことがあります。昨年後半にも、業界の先輩からお声がけをいただいて3日間ほど、とある商業スペースの期間限定焼肉店のお手伝いに行ってきました。

常設ではないスペースでの飲食の手伝いは本当に大変です。しかも同じ厨房には精肉業界の匠に、肉焼きトップシェフ、大物料理研究家、飲食チェーンのレシピ開発担当者、ケータリング界の大物などなど、「これ普通に呼んだらご予算おいくら……?」という強烈なメンバーが技術と人脈と調理器具と食器を手分けして持ち寄りました。

さて僕はと言えば、主に肉焼きのお手伝いに行ってきたのですが、これまで、たくさん焼いてきた焼肉の難しさについて改めて思うところがありました。

今回はあれこれ制約の多い場所で3日間限定ということで、煙を最小限に押さえるべく、肉焼き機は家庭用の「やきまる」(岩谷産業)を使うことに。熱で脂が煙化するかしないかギリギリの210~250に保ち、最小限の煙で肉を焼く家庭用焼肉専用グリル。絶賛ステイホーム中のいま、バカ売れしているアイテムです。

今回のイベント用に用意された肉は、赤身の旨味が濃厚で、脂の味わいがしみ出てくる良質な和牛のみ。ハラミをメインにタン、ハツ、レバーその他もろもろ、いい肉がとりそろえられました。

しかし日本人にとってなじみのある薄切り肉を焼くスタイルの焼肉は、最高の焼きを追い求めると、肉焼きのなかでももっとも難しい部類に入る調理法だと思います。

今回の肉焼き環境は以下の通りです。

①煙を立てるほどの火力は使えない。

②とはいえ、表面の焼きが足りないと、香ばしさが足りなくなる。

③それでいて10人分の薄切り肉を同時に焼くので、油断すると中まで火が入り過ぎる。

④肉は名人の肉なので、しっかり水分は抜けている(から焼きやすいはず)。

①~③はネガティブ要件ですが、④は非常に強い味方です。よくおいしさの表現として「みずみずしい」という言葉が使われますが、焼く前の肉についてはみずみずしさはあまり必要ありません。老舗の焼肉店には、いい肉が入ると「今日のはよく乾いてていいなあ」と言う店もあるほどです(もちろんビーフジャーキーのような乾き方という意味ではありません)。

水っぽくなく、乾いているということは言い換えれば水分がそれだけ凝縮されているということでもあります。実際いい和牛は、屠畜後、問屋や精肉店のところに届く段階で、すでに水っぽさはあまりありませんし、肉質もやわらかい。

熟成が必要な経産牛にしても数週間一定の環境で寝かせることで、全体から水分がほどよく抜け、熟成によって筋肉の繊維が柔らかくなり、タンパク質が分解されてアミノ酸に変性することで味わいも深くなります。

そして焼く側からすると適度に乾いているということは、焼き目がつきやすい。水分たっぷりの牛肉はよく熱せられた鉄板に乗せるとジュージューと景気のいい音を立ててくれるのですが、ちっとも焼き目がつきません。焼肉にとってもっとも重要なおいしさのひとつであるメイラード反応の香気がつかないまま、内部まで火が通ってしまいます。

しかしこの3日間用の肉については、名人の肉だから何の心配もありません。あとは焼くだけです。

肉焼きの手法は文化圏によって違う

一言で「肉を焼く」と言っても、焼肉の焼き方とフランス料理やイタリア料理の肉焼きでは焼きの手法が異なります。欧米では、焼いた後に休ませる時間を取ります。そしてその休ませる時間が長い。「焼いた時間と同じだけ休ませる」が基本で、人によってあは「焼いて休ませて」を繰り返します。

最近の僕は(時間のあるときには)一回目は焼いた時間と同じだけ。2回目は焼いた時間の1.5倍。3回目は焼いた時間の倍……という風に休ませる時間を長くしていきます。

肉は焼きを重ねるうちに全体の温度が上がってきます。最初冷たかった肉がぬるくなるくらいまでは、なかなか温度が上がっている実感がないのですが、仕上がり間近の40度台あたりからは一気に温度が上がってしまいます。

しかも一度加速がついた肉は火から下ろしても温度が上がります。肉が30度台の焼きの前半は「休ませる」という表現が適切かもしれませんが、後半は火から下ろしてすぐは「ゆるやかな火入れ」をしているようなもの。そのまま休ませておくことで「ゆるやかな火入れ」から「落ち着かせる」という状態に戻していく。

元の肉の状態さえよければ、休ませすぎて少し温度が下がってもいいくらいです。そういう意味では、時間が許す限り行きつ戻りつしながら、ベストの焼き加減へとトコトコ歩いていくことができるのです。なんなら時速5km/hくらいのイメージです。

焼肉をトップスピードで焼くことの難しさ

しかし焼肉はそうは行きません。短時間で表面に焼き目を入れながら、内部をミディアム・レアに仕上げなければなりません。

内部に火が通る前に表面に焼き目をつけるには、一気に焼き上げる高火力が必要となります。こちらは焼き手のイメージとしては時速100km/hくらい。少なくとも50~60km/hの速度でハンドルをガンガン切っていかねばなりません。

しかも肉の引き上げ時も、車から飛び降りるくらいのイメージの一発勝負です。一度加熱してしまった肉には焼き目はつきづらく、内部まで火が入りすぎた肉をレアに戻すことはできません。

昨年の3日間の肉焼きのお手伝いも、初日はもともと持っていたイメージ通りに肉を焼くことができました。2日目は大物肉焼きゲストシェフがいらしたので、シェフにおまかせ。僕はチラチラと横目で焼き方を勉強しながらお運びなどをお手伝いしていました。そして最終日の3日目にあれこれてんやわんやが起き、なぜか営業終了後、ミシュランシェフからマンツーマンで肉焼きの特訓を受けることになってしまいます……。

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編集者、ライター、フードアクティビスト

東京都武蔵野市生まれ。食専門誌から新聞、雑誌、Webなどで「調理の仕組みと科学」「大衆食文化」「食から見た地方論/メディア論」などをテーマに広く執筆・編集業務に携わる。テレビ、ラジオで食トレンドやニュースの解説なども。新刊は『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)。他『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(マガジンハウス)ほか。共著のレストラン年鑑『東京最高のレストラン』(ぴあ)審査員、『マンガ大賞』の選考員もつとめる。経営者や政治家、アーティストなど多様な分野のコンテンツを手がけ、近年は「生産者と消費者の分断」、「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター

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