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【三國志】アメリカで人気ナンバーワンに輝く曹操!人々の魂をゆさぶる、常人のはかりを超えたその器とは?

原田ゆきひろ歴史・文化ライター

今や本場の中国人も驚くほど、映画やゲームやアニメと、大人気をほこる三國志

すごいのは何百年にもわたり、日本のみならず、世界の様々な国でも親しまれ続けている所です。

そして国が違えば、人気を集める武将が違ってくるのも、また面白い1つ。

例えばアメリカでは、悪役として描かれることの多い曹操(そうそう)が、1番の人気を誇っています。

かくいう筆者も、小説で曹操のエピソードに触れたときには、その常人のモノサシを超えた発想や、なみはずれた器の大きさに、しびれるような感覚を抱きました。

国境を超えて人々を魅了する、曹操のすごさとは、どのような部分にあるのでしょうか。

この記事では具体的に3つのエピソードを交え、分かりやすくお伝えして行きたいと思います。

【エピソード①】 はるか身分の高い皇族を断罪!

まだ日本には正式な歴史の記録がなく、幻のヤマタイ国がどこかに存在していたとも言われるような、はるか古代。

中国全土は“漢(かん)”という、巨大帝国が治めていました。

しかし時が立つと腐敗が進み、民衆には貧富の差が拡大し、大いに乱れ切っていました。

曹操は漢に仕える、それなりに名門の家柄ではありましたが、世の有り様を見てこう思いました。

『そこかしこで不満や怒りが、渦をまいている。この先、この国は間違いなく乱世に突入するぞ!』

さて、そんな彼は漢の都・洛陽(らくよう)で、城門を守る警備隊長に就任しました。すると門の横に、このようなたて札を立てました。

「たとえ誰であろうと、この門の法律を破れば処罰する」

当初、周辺の風紀や治安は乱れていました。しかし騒ぎを起こす人間や、門限を過ぎて通ろうとするなど、規則に違反した人間は、容赦なく捕まえて処罰して行ったのです。

そんなある日、皇帝のそば仕えで、宮廷で大きな権力をもつ蹇朔(けんさく)という人物の一行が、外出を終えて洛陽に帰ってきました。

曹操『蹇朔様、本日はすでに門限を過ぎました。また明日の朝、お越しくださいませ』

しかし皇族にとってみれば、門の警備隊長など身分の違いすぎる、1役人です。

蹇朔『なんだ、この若造は。ワシに野宿でもせよと?者ども、このバカ者は無視して通れ!』

ところが・・

曹操『守備兵たち、この者は法を破った。即刻捕らえ、棒叩きの刑にせよ!』

蹇朔『な、なんじゃと!ええい、貴様らいったいワシを誰だとおもっ・・ぐわぁぁぁ!』

蹇朔は棒叩きの刑に処され、しかもそのショックで死亡してしまいました。一介の警備隊長が、帝国の権力者を裁くなど、あまりに前代未聞。

この事件のウワサはたちまち、洛陽はおろか中華全土にかけめぐります。

さて、とうぜん蹇朔(けんさく)の一族は、怒り狂って復讐を考えますが、いかに皇族とはいえ法を破った側が悪く、表立って攻撃することは出来ません。

・・となれば。権力や刺客を利用して、暗殺という手段が考えられますが、すでに事件のウワサは皇帝の耳に入るほどに、広まり過ぎていました。

その状況で動けば、誰の仕業なのか犯人は明白。ついに曹操の暗殺が実行されることは、ありませんでした。

そして時は流れ・・漢帝国には大乱が起きて、群雄割拠に。全土の名のある武将たちは、すぐれた人材に「今こそ我らのもとへ集え!」と、募集して回りました。

いったい、誰の誘いに馳せ参じるのか?ここで洛陽で広めた評判が、モノをいいます。

「洛陽で、権力にひるまなかった曹操。あれは、ただものではないぞ」

「はたして悪人か英雄か?おなじ人生を賭けるなら、曹操に仕えるのも面白そうだ」

こうして智将・猛将・有力な商人など、優秀な人材の多くが、曹操のもとに集ったのです。

彼らの活躍こそが、のちに曹操を中華の覇者へと押し上げる、大きな原動力に。

世の流れや人の心を読み、先々まで見据えた先見の明は、もはや常人の領域を超えていたと言えるでしょう。

【 エピソード②】 この曹操の民となるが良い

漢の国が乱れると、生活に苦しむ農民達は結託して、大反乱を起こしました。

1000人が1万に、1万が10万にと・・とてつもない勢いで、反乱軍は増えましたが、

彼らはシンボルとして黄色い頭巾をかぶっていたので、黄巾(こうきん)の乱と呼ばれました。

反乱軍とはいっても、半分は盗賊みたいなもので、各地の都市は次々と襲われ、

好き放題に略奪され始めました。

漢帝国はこの反乱に衝撃を受け、各地の武将に討伐を命じます。

しかし黄巾賊は、あまりに人数が多すぎて、とてもすべてを討伐し尽くせません。

それどころか鎮圧軍が返り討ちに遭い、大将が戦死するケースも、頻発したのです。

そうした窮地に、曹操は漢帝国から討ち死にした武将の後任に、任命されました。

立場的には名誉ですが、いざ出陣してみれば、黄巾賊は曹操軍をかるく飲み込んでしまうほどの、圧倒的大軍。

そのうえ、これまで討伐軍との戦いを生き延び、歴戦の強者も多数そろった難敵です。

鎮圧どころか攻守は逆転、曹操軍の方が城に立てこもり、黄巾賊の攻撃を耐えしのぶ展開となってしまいました。そんな折、曹操は家臣に言います。

『周辺に間者を放て。そして“あの城には食料が山ほどあるから、攻めを落とせば、たらふく飯にありつける”とウワサを流すのだ』

しかし皆、当然ながら真っ青になって反論します。

家臣『しょ、正気ですか!そんなウワサを広めれば敵の士気は上がり、さらに黄巾賊が集まりますぞ!』

しかし何故か、曹操は自信満々です。

曹操『いや、もとよりそれが狙いだ。これより我らは、かつてない飛躍を遂げるであろう!』

さて、家臣の心配通り、曹操軍が守る城はさらなる黄巾賊に囲まれ、城壁の上から見ると、大地が黄色で埋め尽くされている程でした。

そうした状況になると、曹操は黄巾賊に向かって、呼びかけます。

曹操『黄巾の者たちよ、素晴らしい提案がある。この曹操の民となるが良い。

さすれば土地と食料を、与えると約束しよう。そこで大地を耕し作物を育てれば、もう飢えに追われることもないのだ!』

それを聞いた黄巾賊たちは、ざわめきます。これまで戦ってきた討伐軍には、こんなことを呼びかけてくる武将は、1人もいませんでした。

「そういえば俺たち、何で戦っているんだっけ?」

「そりゃあ、生きるためだ。食べものを得て飢えないために決まっている。」

「それじゃあよ、これはいい話なんじゃないか?土地をくれると言っているぞ。」

「曹操は洛陽で、皇族にさえ法を曲げなかったと言うぞ。約束は守ってくれそうだな。」

「よし・・決めたぞ。おれは曹操の提案に乗る!」

「な・・ならオレも、そうするぞ!」

かくして、この地方の黄巾賊VS曹操の決着は、敗北と勝利のどちらでもなく、

吸収して1つになるという、前代未聞の結果となりました。

もちろん漢帝国から見ても、脅威を解決した曹操は英雄。その名声は昇竜のように、中華全土にとどろいて行きました。

しかし、突然とてつもない人数が加わり、しかも、もともと荒くれもの集団の黄巾賊を束ねるのは、通常であれば困難きわまりないことです。

ところが、曹操は事前にすべてを計画。自らのもとに集った知恵者に、決まりごとや、大勢が暮らして行ける制度を作らせていました。

そして元黄巾賊には農業技術を教え、大幅な食料生産の増加に繋げました。また訓練もほどこし、戦時には曹操に従う強力な兵士となったのです。

こうして曹操は1地方勢力から一躍、指折りの大勢力へと躍り出ました。

常人であれば、討伐という難題を命じられれば、いかに敵を倒すかに腐心するものです。しかし曹操は前提の発想からして、次元が違っていたのでした。

【エピソード③】 誹謗中傷した相手をどうする?

かくして勢力を拡大した曹操ですが、とうじ中国の北部には、それをさらに上回る勢力の、袁紹(えんしょう)という武将がいました。

彼は中国統一を目指し、大軍で曹操軍に攻め掛かります。これにはさすがの曹操もピンチに追い込まれますが、最大の決戦で大逆転勝利。

ここに曹操は、名実ともに中華1の巨大勢力へと、躍り出たのでした。

さて、そのかつてのライバル袁紹には、陳琳(ちんりん)という1人の文人が、仕えていました。

彼は曹操との決戦前、より多くの味方を集めるため、中国全土に文章をバラまいたのですが・・。

そこには、曹操のありとあらゆる悪口が、書き連ねてありました。

曹操一族が、これまでいかに卑劣で、自分勝手で、人々を苦しめたか。

本人だけでなく、その一族も最悪の所業を積み重ねており、だからこそ彼らを滅ぼすために、ともに戦おう!といった内容でした。

しかし袁紹が敗北すると、陳琳は身柄を拘束されます。そしてある日、こう告げられました。

「曹操様が、お主を連れてくるようにと、ご所望だ。」

陳琳は思いました。

『ワシは処刑されるのだな。それも、どれほど惨たらしい、刑罰であることか。』

もはや逃げ道はどこにもなく、観念して連れられて行くと、曹操は言いました。

『お主の文を読んだぞ。ワシの事はともかく、父や祖父まで貶めるとは、なんとも酷く書き綴ってくれたものだな』

陳琳『もはや、何ひとつ、言い訳はございません。』

曹操『・・が、しかしだ。よく読めばこの文、なかなか配列が美しい。・・それに、読み上げたときの音調。ここには何か人の心を掴む、独特の響きがあるぞ。どうやら、お主には人並み外れた、詩の才能があるようだ。』

陳琳『え?は、はい・・それは、お褒めにあずかり、光栄・・。』

曹操『では陳琳。お主はこれから文学の世界で、その才を発揮せよ。そこで存分に書き綴るが良い。以上だ!』

陳琳はあまりの予想外に、呆然としました。そして敵味方や私怨を超えて物事を捉える、曹操の器に心から心酔したのです。

こののち陳琳は、時代を代表する詩人の1人となり、その作風は後々の世まで、多くの文人に、影響を与えることとなりました。

自らを罵倒した人間の才を認める、これは現代であっても並大抵のことではありません。

これはこれ、それはそれ・・。

いったい何人が、このように人の評価が出来るでしょうか。

まして昔の中国の権力者ともなれば、罪人の命など指先1つで、どうとでもなるのです。

曹操みずから詩の造形が深かった点もありますが、それにしても三國志の時代のみならず、

その後の数千年の歴史からみても、次元の違う世界観を持っていたと言えるでしょう。

時を超えて語り継がれる曹操

このように曹操は、自らも才覚あふれる人物ではありましたが、そんな言葉1つでは言い表せない、器の持ち主でした。

もちろん全てが手放しで称えられるとは限らず、強烈な我を押し通したこともありますし、乱世である以上、残酷な行いもしました。

そうした面にフォーカスすれば、悪役として当てはめやすい点もあるのは、ひとつの事実です。

しかし、それらを鑑みてもなお、アメリカを始めとして日本でも、大きな人気を誇っているのは、そのけた違いの器やスケールにあることは、間違いありません。

これからも三國志は、きっと何百年単位で愛され続けて行くと思いますが、そのたび曹操に惹かれる人もまた、増え続けて行くことでしょう。

この先、いったいどんな曹操像が描かれて行くのか。そうしたことを想像するのもまた、歴史の面白い1つに思えます。

歴史・文化ライター

■東京都在住■文化・歴史ライター/取材記者■社会福祉士■古今東西のあらゆる人・モノ・コトを読み解き、分かりやすい表現で書き綴る。趣味は環境音や、世界中の音楽データを集めて聴くこと。■著書『アマゾン川が教えてくれた人生を面白く過ごすための10の人生観』

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