【日本史】目指せ大河ドラマへのノミネート!地域をあげて主人公に推されている歴史人物・3選
いまや歴史ファン・・あるいはそこまでいかない人々からも、大きな注目を集める大河ドラマ。それは現在進行形の放映もそうですが、先々の主人公が誰になるのか、発表の際には全国ニュースでも流れます。
それが、もし好きな歴史人物であれば喜びもひとしおですが、個人の感情だけでなく地域起こしに繋がることもあり、誘致を目指す自治体も少なくありません。
いったい、どこの地域の、どのような人物が推されているのでしょうか、この記事では簡単な背景も交え、代表的な3つをピックアップしてお伝えします。
【戦国時代の北条五代】神奈川県・小田原市
小田原市が中心ながら正確には、戦国時代の北条氏にゆかりの深い14市町村が名を連ねる『北条五代観光推進協議会』が、大河ドラマ化へのPRや署名活動を行っています。
直近では同じ北条の名を関する人物でも、2022年は惜しいところで『鎌倉殿の13人』と、別の北条家が主人公になりました。
もしかすると「また北条?」というイメージに繋がりかねず、近く採用されるのはやや難しい面も、考えられるかも知れません。しかし戦国ファンのニーズに加え、物語から発せられるメッセージ性の面でも、高いポテンシャルを感じられるのが、この北条五代です。
とくに下克上の先駆けとなった北条早雲は、その生い立ちは諸説ありますが、一介の武士が一国一城の主になるまでの、波乱の生涯は脚本として面白い内容になりそうです。
そして今川家や関東管領の上杉家など大大名を相手に、見事な立ち回りで基盤を築いた2代目の北条氏綱。今でいう東京都港区でくり広げられた高輪原(たかなわはら)合戦では、かの江戸城をも攻略しました。
それから『相模の獅子』の異名をもつ、3代目の北条氏康。生涯で36回の戦に出陣しながら、敵に背を向けたことがないという伝説もある名将です。一番の見せ場は、10倍以上とも言われる兵力差で大逆転した河越夜戦(かわごえやせん)。
また武田信玄や上杉謙信など、名立たる戦国大名との駆け引きや、実際に激突した合戦の数々も、盛り上がる要素にあふれています。
後半の2代は滅亡に向かう時代で、悲哀を感じる局面も多くなりそうですが、4代目の氏政は最後まで善政を敷いていた伝承も多くあります。
また5代目の北条氏直は「私が責任を取って切腹するので、将兵の命を助けて欲しい」と豊臣秀吉に申し出ました。それに感じ入った秀吉は彼を助命し、高野山行きに留めています。
ちなみにその後の北条家は、氏直と徳川家康の次女の間に出来た子どもで、養子であった北条氏盛(うじもり)が、江戸幕府より約1万石の領地を安堵されています。
北条5代の嫡流ではありませんが、一族としては狭山藩(さやまはん)の大名として、その後12代にもわたり、明治維新まで存続しました。
話は戻り、推進協議会が大河ドラマに推す理由としては、以下のような点を掲げています。
- ①跡目争いばかりの戦国の世にあって、北条氏は親兄弟争うことなく協力し合った
- ②減税、殖産興業、経済振興、文化奨励など善政を敷いた。
- ③民を豊かにし、国を豊かにする政治は、現代にも大切なメッセージを投げかけている。
戦国の北条氏は為政者として何を目指し、民とどう向き合った一族であったのか。大河ドラマ化が実現すれば、たいへん良作となるポテンシャルを秘めています。
【楠木正成と正行(まさつら)】大阪府・河内長野(かわちながの)市
愛称である「楠公(なんこう)さんを大河ドラマに!」をスローガンに、正確には出身地とされる河内長野市のほか、周辺の多数の自治体も連携し、誘致への活動を行っています。
なお楠木正成は鎌倉時代の終わりから南北朝時代の始まりにかけ、その智謀と忠義の心で大活躍した稀代の名将です。
彼が生まれた時代には鎌倉幕府が日本を統治していましたが、天皇の後継ぎも幕府の意向が反映されるなど、武家による支配の時代でした。これに抵抗し、朝廷主導の政治を取り戻すべく、打倒鎌倉幕府を目指したのが後醍醐(ごだいご)天皇です。
正成はそんな後醍醐天皇から特別に招かれ、何があっても家臣として戦い抜くことを誓ったと伝わります。一度は敗北し、敵に戦死したと見せかけて逃走します。しかし機を見てふたたび挙兵。
世にいう千早城(ちはやじょう)の戦いでは、わずかな兵力にも関わらず大軍の幕府軍を、数々の知略で翻弄します。
そうこうしているうち、捕まって島流しとなっていた後醍醐天皇が当地を脱出。加えて足利尊氏や新田義貞など、有力武将が京都や鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府を打ち倒しました。
こうして日本を統治する立場となった後醍醐天皇ですが、その新しい政治の仕組みには、各地で不満が続出。その勢いは日増しに膨らみ、ついに「鎌倉幕府の時代が良かった」という勢力を従えた執権北条の遺児、北条時行(ときゆき)が挙兵し、鎌倉を攻め落とされてしまいます。
その北条時行は足利尊氏が鎮圧に向かい鎌倉を奪還しますが、今度はその尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻します。やがて形勢は京都に迫る足利軍へ傾きますが、敗北が必至となっても正成は最後まで戦い抜き、討ち死にしました。
その後、後醍醐天皇は吉野へ逃れて、足利尊氏の北朝に対抗します。それを支えた主力の1人が正成の子にして、父と同じく忠節を尽くした正行です。北朝の名将をわずかな兵で撃破し、大活躍します。
この父子が生きた時代は、一般的にはあまりメジャーではありませんが、週刊少年ジャンプで人気を博し、アニメ化もされた『逃げ上手の若君』により、一部界隈ではにわかに注目を集めています。
そして作中でも楠木親子は、きわめて需要な鍵を握る人物として登場しています。大河ドラマのテーマは、その時々の世相やニーズも反映されるので、もしかするとこの先チャンスが巡って来るかも知れません。
【戦国時代の里見氏】千葉県・館山(たてやま)市
一般的にはあまりメジャーではありませんが、今でいう千葉県に勢力を築いた戦国大名で、「里見氏大河ドラマ化実行委員会」という団体が、PRを行っています。
自治体の直属ではなく民間団体の位置づけではありますが、地元の信用金庫などがバックアップしているほか、その会長を勤める“里見香華(こうけ)さん”は、実際に里見氏の末裔にあたる方と言うのも、深いゆかりを感じる点です。
里見家は、関東の覇者となり房総半島への進出を目指した北条家と、数十年にも渡り激しい合戦を繰り返しました。
名将が多く兵力も充実した北条軍に対し、結果として最後まで渡り合い続けていた事実は、戦国大名としての力量を感じさせられます。
また“敵の敵は味方”とばかり、上杉家など北条家と対立する勢力と連携するなど、外交上の巧みさも備えていました。加えて強力な水軍を保持していたのも特徴で、海を越えて三浦半島の北条領に攻め込むなど、脅威を与えていました。
なお里見氏といえば、とくに一昔前までメジャーな存在であった『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』という物語でも有名です。
これは江戸時代の後期に書かれ、2025年の大河ドラマ『べらぼう』の時代にもピタリと重なるため、作中でも触れられる可能性が極めて高いと思われます。
書籍のストーリーとしては、伏姫(ふせひめ)という特別な力を秘めた里見家の姫から、8つの聖なる魂“仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 ”が誕生し、それらは“霊玉”の形となって各地へ散らばります。
そして、のちにこの魂を心に宿した勇士たちが、里見家にかけられた呪いの危機を救いに行く物語となっています。これらはフィクションですがモデルは実際の里見家で、大河ドラマ化へのアピールでも言及されています。
例えば「忠をつくす」「仁の心」といった響きは、現在では「昔の価値観っぽい」というイメージもありますが、人の心が荒んでいるとも言われる今こそ、思い起こすべき大切な心ではないかといった主張です。
ちなみに前述の北条五代とは宿敵にあたる関係で、どちらかの大河が実現すれば、もう片方は物語上のライバルになるというのも、面白い一つです。
さまざまな人がドラマ化を望む歴史人物
以上、大河ドラマへのノミネートを目指す、3つの地方および武将をご紹介しました。
実際にPRされている歴史人物は、他にも多数おり、また折を見て別の記事でもご紹介できればと思います。
なお楠木正成と正行の項目でお伝えした作品『逃げ上手の若君』ですが、ご存知ない方は以下の記事にて、声優へのインタビュー形式で紹介していますので、良ければ合わせてご覧ください。
≫【逃げ上手の若君】4人の声優が明かす魂の舞台ウラ!作品に何を想いアニメへ命を吹き込むのか?