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NY地下鉄で火をつけられた女性の身元は?犯人は不法移民、警官は素通り...在住者として思うこと

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
事件が起こったブルックリンの終着駅のイメージ写真。(写真:ロイター/アフロ)

ニューヨーク市の地下鉄車両内で22日、女性が男に火をつけられ焼死する凄惨な事件が起きた。ここでは現地報道をまとめ、この事件について考える。

何が起こった?

同日午前7時半ごろ地下鉄F線の電車がブルックリン区コニーアイランド・スティルウェル・アベニュー駅に停車後、車両内にいた男が端に座っていた女性のもとへ歩み寄り、ライターで女性に火をつけたと見られている。

この駅は市内を走る地下鉄路線のうち4つのラインの終点で、地上に位置する。すぐ近くにコニーアイランドというビーチと遊園地があるため夏場は大変賑わう場所だが、冬季でしかも日曜日の早朝となると人影もまばら。

発生当時、当該の車両にいたのは容疑者と被害者の2人だけだった。両者に面識はなく諍いもなかったと複数のメディアが報じ、無差別殺人事件と考えられる。

容疑者(被告)について

犯人とされる男はセバスチャン・サペタ-カリル(Sebastian Zapeta-Calil、33歳)。事件から約8時間後、犯行時と同じ服装で別の電車内にいるところを拘束され逮捕、2日後に起訴された。

被告はグアテマラ出身の不法移民だと、CNNなど複数のメディアが報じている。2018年にアリゾナ州国境警備隊に拘束され強制送還されたが、どういうわけかその後アメリカに再入国できたようだ(日時と場所は不明)。犯行日の朝までホームレスシェルターに滞在していたようで、ランニングに出かけると言って外出したという証言もある。

公開された犯行時の映像を見る限り、サペタ-カリルは女性が地下鉄車両の開いたドア近くで立ったまま火に包まれる様子を、目の前のプラットフォームのベンチに座って不気味にじっと見つめている。

別の映像では、火に包まれた女性に向かい、両手で持ったシャツのようなもので扇ぐ様子も確認できる。どのような意図でそうしたのか不明だが、決して消火を試みているようには見えない。

ニューヨークポストによると、男は常習的な薬物使用者で、K2(州の違法薬物である合成カンナビノイド)を吸い、大酒飲みだという。記事にはこの男にかかわらずシェルターに滞在する移民は大抵、朝外出し酔った状態で戻って来るとある。もちろん全員ではないだろうが、そのような傾向があるということなのだろうか。

同被告の犯行も早朝だった。また取り調べで警察に自分は酒を飲むと話し、酔っていたため何が起こったかわからないと話したと報じられている。

市内で急増する不法移民による暴力や事件がたびたび起こっていることは、以前レポートした通り。全米の大都市と同様、ニューヨークが抱える大きな社会問題になっており、市民を悩ませている。

被害者の女性は?

事件当時、火をつけられた女性は車両内で眠っていたと見られている。女性は重ね着をしブランケットにくるまっていたことから「数秒のうちに衣類は炎に包まれた」ということだ。

女性は火に包まれている時、なぜか立っていたのだが、現場では歩行器が見つかったことから自由に動き回ることが困難だった可能性がある。ニューヨークタイムズによると18歳以上であることはわかっているが、現在まで身元不明のためホームレスだったという見方が濃厚だ。

アメリカでは人々は写真付きIDを携帯しているので、何かが起こった際は身元がすぐに判明する。何らかの理由でIDが確認できなくても家族や友人が通報するもの。しかしこの女性に関しては現在まで未確認のため、身内がいなかった可能性が高い。

社会的弱者であったのはいうまでもないだろう。

在住者としてこの事件について思うこと

この事件は明らかに地下鉄内で近年発生した痛ましい犯罪の一つだ。クリスマス直前というアメリカがもっともピースフルな時期にこのような陰惨な事件に巻き込まれた女性が気の毒でならない。

そしてホームレス、社会的弱者、不法移民、暴力、薬物の問題──。ニューヨークという大都市が抱え長年取り組んでいるこれらの社会問題を集約したような事件のように映った。

市内の地下鉄内に配備される見張りの警官が増え、犯罪自体は減っていると言われているが、殺人事件は前年比で60%増加していることが報じられた(数字は9月時点)。マンハッタンインスティチュートによると、現時点で今年市内の地下鉄内で起こった殺人事件は11件。ここ数十年で最多の数字だ。

またこの事件で筆者が気になったのは、現場にいた人々のリアクションもそうだ。

ある人は叫びながらスマホで女性を撮影していて、そんな時間があるのなら水や消火器を探すべきという指摘を見かけた。ごもっともだと思う。

水を確保せよという意見については、地下鉄の駅にはトイレがないので水の確保は困難だろう。設置されている消火器も多くないので、結局のところあのような場に出くわしたらできることと言えば警察を呼ぶこと、そして助けられそうであれば助けることくらいだろう。

あの場にいた人に救助を試みている人が映像からも報道からも確認できなかったのは残念な限りだ。ただ同時に難しさも感じる。筆者とてあのような場に遭遇したならば気が動転し何をすべきなのかわからず、無力になったり怖気づいてしまったりするかもしれない。

それを理解した上であえて書くとすれば、目の前の人が死に直面するような状況で、傍観したりスマホ撮影したりする行為はやはり残念無念だったと言えよう。

ニューヨークに冷たい人ばかりがいるのかと言えば、それも違うことも伝えておきたい。

日本から訪れた人が「ドライな街かと思ったけどフレンドリーで意外と優しい人が多い」と話すことがよくある。この街(というかアメリカ人に)は正義感の強い人が多いし、見知らぬ人が困っていても助け合う精神が身についているというのは、20年以上ここに住んで筆者が感じてきたこと。

9.11同時多発テロ時の、人々の強さと優しさが感じられる逸話がある。筆者が以前取材をした人の証言によると、ツインタワーの倒壊直後は瓦礫の塊や破片が空から降り、まるで背中を切りつけられたような衝撃だったという。人々は全身粉塵まみれになった。そんなカオスな場で見知らぬ男性が上着を脱いでバラバラに引き裂いて水に浸し、全身が真っ白になった周囲の人に口をカバーせよと差し出したという話だった。

人々の強さと優しさが見られるのは緊急時だけではない。常日頃、人々を見ていると、ホームレスにお金や食べ物を分け与える人がいたり、交通事故に遭った人を助けようと駆け寄る通行人がいたり、そんな場面にたくさん遭遇する。ニューヨーカーが見知らぬ人に無条件で差し出す優しさ、恩情、慈悲を目撃することは日常茶飯事なのだ。

そのような正義感があり心が温かい人がいる一方で、そうでない人もいる。日頃からSNSにはさまざまな地下鉄でのトラブルの動画が流れてくるが、トラブルに関わりたくないと見て見ぬ振りの人もいる。

コロナ禍のアジアンヘイトで暴力が横行した時も、アジア系の高齢者が殴られているのにただ傍観するだけの人もいた。23年に地下鉄車両で首を圧迫されて殺されたジョーダン・ニーリーさんの時も、周囲の人々のリアクションは同じだった。

筆者が今回の焼死事件の人々のリアクションでもう一つ解せないのは、女性の目の前を通り過ぎる警官の姿だった。

その警官は慌てる様子もなく映像を見る限りは普通に歩いている。短い映像からの情報なので現場では違ったのかもしれないし、諸事情もしくは警察自身の命を守るための一定のルールがあるのかもしれない。でもその時点ではまだ女性は立っていた=つまり生きていたのだから、鎮火のために上着を被せるなどの行為があっても良さそうなのにその警官は火がついた女性の目の前を「素通り」していた。火は結果的に消火器によって消されたようだ。そして女性はその場で死亡が確認された。

この街に渦巻く数々の問題が集約されたこの事件に関することで、筆者が唯一救われた情報は、事件後に身元不明で身寄りがないであろうこの女性のために、牧師によって祈りが捧げられたということだった。9.11のテロが起こった時も、多くの人々が罪のない犠牲者に対して祈りを捧げたことを思い出したのだった。

(Text by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、著名ミュージシャンのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をニューヨークに移す。出版社のシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材し、日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。

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