ラグビーフランス代表のチームウェアに身を包んだ日本人 異例オファーで渡仏のスピードコーチ・里大輔さん
ラグビー・フランス代表のチームウェアに袖を通し、現地で独自理論を伝えた。
伝統の欧州6か国対抗戦「シックス・ネーションズ」にも招待され帯同予定だった。
元陸上短距離選手で、ラグビー日本代表のスピードコーチ経験がある里大輔さん。(さと・だいすけ/株式会社SATO SPEED 代表取締役)
2015年にラグビーU17日本代表のスタッフに加わると、そのスピードと動作に関する独自理論、情熱的かつ的確な指導が評判となり、以後多くの日本代表カテゴリー(U17~U20、7人制、15人制)に携わった。
ラグビーに限らず、欧州やJリーグで活躍するプロサッカー選手をはじめ、陸上競技、野球、スケートや体操、バレーボールなどを横断的に指導。
知る人ぞ知る“スピード&ムーブメント作りの職人”だ。
そんな里さんは20年2月24日、フランスラグビー協会の招待を受けて渡仏し、特例的に「レ・ブルー(Les Bleus)」の愛称で知られるラグビー・フランス代表のチームウェアに袖を通した。
24日からの3日間は、パリの南30キロに位置するマルクシの「ナショナル・ラグビー・センター」に宿泊。
フランス協会の技術コーチらに自身の理論を伝えた。
「フランス協会の技術委員会のコーチ、メディカルスタッフ、サイエンティストなどに対してレクチャーをしました」
「4日目からは北部のダンケルクに行って、現地で行われたU20代表の試合を分析もしました」(里さん)
行く先々で、事情を知らない関係者は目を丸くした。フランス人以外が代表のチームウェアを着ている――。
「本当にいろんな人から『めずらしい』『他国の人が“ブルー”のウェアを着ているのは見たことがない』と言われました」
帰国後の3月には、再度オファーを受けた。
今度は「フランス全土のコーチが集まる機会があるので、彼らに哲学や理論構造をコーチングしてほしい」という。
2月開幕の欧州6か国対抗戦「シックス・ネーションズ」にも招待予定だった。
その2度目の渡仏は新型コロナウイルスの影響で中止となったが、すでにフランス側は里さんに継続的なコーチングを打診済み。
里さんさえ希望すれば、フランスラグビーとの関係は今後も続く見込みだ。
きっかけは2019年、ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会の期間中に開催された日仏の交流会だった。
「W杯期間中にフランス開催のスタッフが視察で来日していて、日本ラグビー協会とフランス協会の意見交換会が開催されました」(里さん)
その場にフランス代表スタッフが同席しており、4年後に向けてスピード強化を図りたいフランス代表スタッフと、日本代表カテゴリーでスピード強化を担当してきた里さんが引き合わされた。
「彼らにスピードアップの捉え方、概念を伝えました。私は動作を一歩の単位で見ていて、その一歩の中に6つの局面があることなどを話しました」
また、その6局面の欠損を見極めればスピードアップを論理的にデザインできること、一口にスピードといっても『方向転換や体勢変化スピード』『タックル直前のスピード』など様々であると伝えた。
スピードをシンプルに捉えていた彼らは、衝撃を受けた。
強い衝撃を受けた一人が、ユース世界大会(ワールドラグビーU20チャンピオンシップ)を18年から連覇しているU20フランス代表のセバスチャン・ピケロニHC(ヘッドコーチ)だ。
「印象的な人物を挙げるならピケロニさん。目指すラグビーを完成させるためのマネジメント力が高く、私をフランスに呼んでくれた人でもあります」
母国開催の23年W杯で優勝をめざすフランスは、スピード向上が課題のひとつ。
その舵取りを、日本人である里大輔に託す――。
里さんの哲学に衝撃を受けたピケロニHCは目的達成のため、そんな常識外の一手を繰り出した。
かくして20年2月、里さんはフランス協会からスーパーバイザーとして招かれ海を渡ったのだった。
フランスでは里さんが驚くこともあった。
協会組織も入るフランスラグビーの中枢部、ナショナル・ラグビー・センターでのことだ。
「選手、コーチの本質を見抜く力がとても高かった。一歩の作り方をシェアすると、横にいる選手を評価できるようになったり、見ていたコーチが間違いに気付いて指導を始めたりしていました」
4日目から滞在した北部の街、ダンケルクでの光景も忘れられない。
ダンケルクでは世界大会3連覇をめざすU20フランス代表の試合があり、スタッフの一員としてベンチ入りした。
試合前のロッカールームが衝撃的だった。
「勝利への情熱があまりにも違いすぎました。U20代表のBスコッドの、しかもトレーニングマッチだったんですが、『我々には青い血が流れている』といって涙を流しているんです」
「『これはテストマッチか』と思うような、怖いくらいの雰囲気でした。こうした若い世代の力、戦う文化がフランスの強さだと感じました」
本質の追究と、勝利への情熱。そんなフランスラグビーを支える特質は、里さんのこれまでの歩みにも共通する部分だ。
1985年生まれ。早熟な陸上短距離選手だった。
中学2年時に100mで10秒97を記録。ジュニアオリンピック、全日本中学生大会で日本一に輝いた。
しかし成長と共に創意工夫がなければ戦えない状況となり、“一歩”に対しての徹底的なこだわりや、“感覚”として片付けられがちな領域の言語化に取り組むようになった。
「感覚を言葉にする作業を始めたことはひとつの転換点でした」
「感覚というグレーゾーンを作らず、ここまでは白、ここまでは黒と明確にする。隙なく追求して100に近づけました」
高校、大学、社会人まで陸上選手を続け、大学院卒業後に現役を引退。
大学や実業団の陸上競技部監督を務めるが、やがてプロコーチとしての可能性を追求したくなった。
「私はもともと大学教員。大学の監督という肩書きがあると、ある程度信用されるんです。ただ、本当の実力はどこなんだろうと感じていました」
一念発起し、プロコーチとして独り立ち。
2015年からラグビー日本代表カテゴリーに関わり、ラグビーがリードするコーチング文化と出会い、伝えるという段階にも習熟した。
「伝え方は中竹竜二さん(日本ラグビー協会理事/コーチングディレクター)の影響が大きいです」
「職人として『突き詰めてきたもの』をコーチとして『伝えるもの』にできた時期から、結果が出るようになりました」
2018年は高校日本代表スタッフとして動作づくりを細部まで徹底。U19アイルランド代表の撃破(○40-24●)という快挙達成に貢献した。
いま里さんの仕事は、既存の肩書きに収まっていない。
「たとえばヘッドコーチが目指すディフェンスに対し、S&Cコーチは体力や筋力を変化させることはしても、パフォーマンスに直結する動作のデザインまでは通常担当しません」
「ずっとパフォーマンスの設計者をやりたいと思っていました」
ヘッドコーチが理想とするアタック、ディフェンスに必要な動作を細かく設計し、ピッチ上の構造物にしていく。
すでに里さんは今年4月から、日本協会で「パフォーマンス・アーキテクト(設計士)」として活動を始めている。
これは、これまで存在しなかった里さんのための肩書きだ。
もちろん担当競技はラグビーに留まらず、すでに行動範囲も日本に留まらない。
知る人ぞ知る存在だった職人が、いまさらなる飛躍の刻を迎えている。 ■