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外交的ボイコットよりも高級時計に夢中な中国

富坂聰拓殖大学海外事情研究所教授
(写真:ロイター/アフロ)

 有給休暇を取ってスキー場に行こう――。

 北京冬季オリンピックまで2カ月を切った中国で、突然こんな呼びかけがSNSで発信され、たちまちトレンドワード入りする怪現象が起きた。

「もし、年末でなければ今年の流行語に入ったんじゃないかって勢いです」

 と語るのは北京のメディア関係者だ。しかも流行の理由が間近に迫ったオリンピックとは無関係だというから不思議だ。

「実は、北京冬季オリンピックの競技会場の一つにもなっている張家口雲頂スキー場で、そこに遊びに来ていた一人の実業家が、『腕時計を落とした』とSNSで発信したことが騒動の入り口でした」

 腕時計はスイスの独立したマニュファクチュールの中でも最高峰とされるブランドで、単なる落とし物として処理するわけにもいかない高級品だったようで、現地では捜索隊も組織され、大掛かりな〝宝探し〟が行われたという。しかし、それでも腕時計はどこにも見当たらなかったのである。

「諦めきれなかった実業家は、落とした腕時計を見つけてくれた人に『賞金を出す』と再びSNSで発信。ところが、その賞金がなんと30万元(約540万円)と法外だったことで騒ぎが一気に広がったというわけです。

3億6000万円の落とし物

 間もなくネット上では実業家の時計の値踏みも始まりました。そしてSNSに掲載された写真からそれが高級時計として名高いパテックフィリップで、しかも特注品であることが判明。値段はなんと推定で2000万元(約3億6000万円)だと伝えられると、さすがに金満報道にも慣れていた中国社会にも衝撃が走ったというわけです」(同前)

 冒頭の呼びかけは、北京の高給サラリーマンたちがSNSを通じて、『おい、仕事なんてしている場合じゃないぞ、みんなスキー場に急げ!』という皮肉を込めて発信され、たちまちトレンドワードになったというわけだ。

 いったいどこから突っ込んだらよいのか迷ってしまうほど突っ込みどころは満載だ。そもそもいくら特注品で、一万年分のカレンダーが組み込まれていると説明されても、4億円弱という値段は想像を超えているし、そんな高価な時計を身に着けたままスキーを滑る神経もよく解らない。加えて、本来ならばオリンピックが近づいているという高揚感に満ちているはずの開催国で、「誰が金メダル候補かっていう話題をそっちのけで、人々がこの話に群がっている」(同前)というから冗談のような話だ。

外交的ボイコットの裏側で

 実業家が自らの落とし物に賞金をかけた12月1日といえば、国外では中国の人権問題をめぐって「外交的ボイコット」をすべきか否か、侃々諤々の議論が巻き起こっていたころだ。そして同月6日にはアメリカが正式に「外交的ボイコット」を発表。するとオーストラリアが素早く同調し、さらにはイギリスとカナダが追随するという展開を見せていった。さらにニュージーランドも外交団の派遣を見合わせる――ただしニュージーランドは人権問題には触れず感染対策として控えるという――と発表すると、日本のメディアは一斉に「ボイコット拡大」と報じ始めた。

 そんな逆境のなかにあって、当の中国ではこんなふざけた話題で盛り上がっていたというから驚きだ。中国らしいといえばそれまでだが、日本人が「外交的ボイコット」と聞いて連想するような落ち込みは、どうやらこの国とは無縁のようなのだ。

ちなみに中国の人々はアメリカを中心起きている「外交的ボイコット」の動きをどう受け止めているのか。

トレジャーハンター発のクラスター?

 別のメディア関係者は、「まあ、アメリカがそういう動きをするってことは予想していたんじゃないですか。オーストラリアを筆頭にファイブアイズの国々が足並みをそろえることも想定の範囲ですよ。いずれにせよそれで中国が慌てたり、こまったりすることはありません。たとえ、どんな逆風が吹いても、予定通り大会をやり遂げるだけです。そして応援してくれる国々と大会を盛り上げ、『大成功だった』と締めくくるだけのこと。この大会には『失敗』という結論は最初からありませんからね」と淡々と答えるのだった。

 それにしても高級腕時計を落とした実業家は、探し当てた人が名乗り出ないで盗ってしまうことを心配しなかったのだろうか。

「例の高級腕時計は限定生産のため一つ一つに特別なナンバーが刻まれているのです。ですから、盗んだとしても売れば足がつく可能性が高いのです」(同前)という。

 発見すれば日本円で540万円の金が入るんだから「有給を取ってスキーに行く」価値はあるのかもしれない。

 ただ、〝宝探し〟に人が殺到し、オリンピック前のスキー場でクラスターなんてことにならないことだけが心配である。

拓殖大学海外事情研究所教授

1964年愛知県生まれ。北京大学中文系中退後、『週刊ポスト』記者、『週刊文春』記者を経て独立。ジャーナリストとして紙誌への寄稿、著作を発表。2014年より拓殖大学教授。

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