ファーストレディーだって普通の女性 オバマ元大統領夫人の自伝が世界各国で共感の訳
ミシェル・オバマ元大統領夫人の自伝、日本語訳「マイ・ストーリー」(訳:長尾莉紗、柴田さとみ 集英社)が8月23日に出版された。47の言語に翻訳され、出版部数は1000万部、世界的なベストセラーである。
原題は”BECOMING”、内容は時系列に沿った3部構成になっている。子ども時代からバラク・オバマとの出会いまでが描かれる”第一部 BECOMING ME”、結婚・出産から夫の大統領選出馬までが描かれる”第二部 BECOMING US”、ファーストレディーとなり、新しい世界に踏み出していく”第三部 BECOMING MORE”となっている。
テーマは各部のタイトルからも分かるように、第一部では自己発見、第二部では家族を作ること、第三部では社会と世界に向けたメッセージである。これは、多くの人が人生の中で体験する成長過程とも重なる。
この構成に表れているように、本書は元アメリカ大統領夫人が記したものでありながら、特殊性より普遍性に重きを置いている。ファーストレディーという特殊な経験・立場にまつわる興味深い逸話を紹介しつつも、普通の働く女性、母親たちと共通する悩み、喜びを強調しているからだ。
自分らしく生きることがテーマ
本書が繰り返し強調するのは自分らしく生きることの大切さだ。自分が何をしたいのか見極め、自分を信じることにまつわるエピソードがたくさん描かれている。つまり、自己肯定感とか自己効力感と呼ばれるものは、本書全体のコンセプトと言える。だから、セレブが書いた本ではあるが、いわゆる「セレブ本」ではない。
著者のミシェル・オバマが生まれ育ったのはシカゴ、父親は市の水道局で働き、母親は専業主婦で、ミシェルが高校に入る頃まで家庭にいた。両親は愛情に満ちており、家計が許す限り子ども達の教育を支えた。贅沢はせず家でできることは家ですませる。その代わり、節目には近所のお気に入りのレストランに行ったり、アイスクリームを数種類買ってきたりして家族で楽しんだ。
父親が外で働いて母親が家庭を守るスタイル、裕福ではなくてもやりくり上手な母親の工夫で家族が幸せに過ごすありようは、日本の女性たちにとっても覚えがあるだろう。アメリカのライフスタイルとは違っても、そういえば、うちもこんな風だったなあ、と私自身は子ども時代を思い出すことが多かった。
大学志望校を決める印象的なシーン
特に印象に残ったのは、ミシェルが大学進学を考える時期を描いたシーンだ。東海岸の名門校プリンストン大学で学びたい、と考える彼女に、大学進学カウンセラーは言う。
成績優秀だったミシェルは、その言葉に打ちのめされる。目標とする大学のレベルを下げるように助言されたが、聞かないことに決めた。それは、優秀な生徒の多い高校で鍛えられ、自信が芽生えていたことが可能にした自己決定だった。
ミシェルはプリンストン大学に入学する。カウンセラーの助言を聞かなかったのは結果として正しかったことになる。その後、ハーバード・ロースクールで学び弁護士になった彼女は、シカゴの大きな法律事務所に就職した。
大学の志望校を決める時のことを、彼女は後に家族と仕事に関する重要なシーンで思い出す。意地の悪い助言を「聞かない」と決めたこと、それで一定の成功を収めたことは、自分で自分の生き方を選ぶための自信につながっていく。
こういう経験を、多くの日本女性もしているだろう。本書で記される進学やキャリア選択における悩みや葛藤は、夫が世界的な有名人ではない、普通の女性も覚えがある。こうした体験を乗り越える際、自分を信じることの大切さや、家族に愛された経験が効く。生まれた国や文化圏、経済階層が異なっても共通する普遍的な価値を描いたからこそ、本書は全世界で読まれているのだろう。
大統領の妻を巡るメディア状況は半世紀古い
アメリカ大統領の配偶者は全世界から注目される。それはミシェル・オバマ元大統領夫人に限った話ではない。メリーランド大学ジャーナリズム学科のモーリーン・ビースリー名誉教授は共著書” First Ladies And the Press: The Unfinished Partnership of the Media Age” (2005, MEDILL VISIONS OF THE AMERICAN PRESS)の中で、大統領夫人に関するアメリカの報道が保守的だと指摘している。
例えばロザリン・カーター(カーター大統領の妻)が取り組んだ精神病患者支援プログラムはほとんど報道されなかったが、ホワイトハウスの夕食会でワインを提供するのをやめた、といったような話題は大々的に報道されたという。エピローグで歴史学者のルイス・グールド教授が「大統領夫人の地位はその国の女性の地位を反映していて、働く女性全体の状況より半世代遅れている」と述べているくだりは、今読んでも納得がいく。
ミシェル・オバマも悩んだメディアによる「怒れる黒人女性」というレッテル貼りは、ファーストレディーを巡るメディア状況がアメリカ女性全体と比べて半世紀遅れていることを示している。
特別な体験を一般人の目線で描く
努力や苦労についても記しつつ、本書は全体として前向きなものだ。ホワイトハウスで暮らした異世界のような8年間、常にシークレット・サービスに警護され、娘たちが友人宅を訪れるにも入念な準備が必要な緊張した空間。英国女王と対面した体験などを記した第三部は映画を見ているような非現実感がある。
華やかな生活を描いた部分も含めて、一般読者の目線から離れないところが本書の一貫した魅力だ。特に結婚・出産後、仕事と育児の両立に悩む場面は日本のワーキングマザーの経験とも重なる。
夫は多忙で家庭のことをひとりで引き受けなくてはいけない。3歳の幼稚園児と3カ月の乳児を抱えており、子どものそばにいてやりたいと思っている。けれども、パートタイムで働き大幅に給与が下がるのは嫌だ。忙しい夫が「今帰ってる」と言いながら、なかなか帰ってこられないこと。彼の方にも悪気はなく、早く帰りたいと思いつつ仕事が長引いていること。
仕事と家庭の両立に関するリアルな体験を記すくだりからは、著者が自分を特別視せず、多くの女性たち(若い女性、働く女性、働く母親、専業の母親)と共通点を探る試みが見られる。年齢や家族構成、働き方の違いを超えた人々をつなごうとする元ファーストレディーの姿勢は、昨今、分断に関する報道が目立つ世界各国で共感を呼んでいるのだろうし、日本でも多くの人に支持されるだろう。