検察の「日産併合起訴」は、ゴーン氏無罪判決阻止の“策略”か
ゴーン氏弁護団の公判分離申立て
昨日(4月2日)、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏の弁護人の弘中惇一郎弁護士が、記者会見を開き、ゴーン氏と日産の公判を分離し、違う構成の裁判体で審理するよう東京地裁に申し立てたことを明らかにした。弘中弁護士は、ゴーン氏と日産の刑事裁判を併合したまま審理を進めれば、フェアトライアル(公正な審理)に反すると説明した。
端的に言えば、起訴事実を全面的に認め、有罪判決を得ようとしている日産と、起訴事実を争い、無罪を主張するゴーン氏が、同じ裁判官に裁かれるのでは、公正な審理が期待できないということだ。
有価証券報告書の虚偽記載の事実について、法人として起訴されている日産自動車とゴーン氏・ケリー氏は、同一の起訴状で併合して起訴されているので、通常は、同じ裁判体で審理が行われる。
これまで、日産は、検察と「二人三脚」のような関係で捜査に協力してゴーン氏を起訴に持ち込んできたのであるから、法人として起訴されている事実について全面的に認めることになる。一方、ゴーン氏とケリー氏は、起訴事実を全面的に否認しており、裁判でも無罪を主張する。
日産は起訴事実を全面的に認めるため、検察官が請求する関係者の供述調書などの証拠はすべて採用され、裁判官がそれをもとに有罪判決を出す。一方、ゴーン氏とケリー氏の裁判については、起訴事実を全面否認するため、検察官請求証拠は不同意として裁判に出ないようにし、証人尋問によって事実が認定されることになる。
分離された事件は、裁判体が同じであっても、証拠関係が異なるので、事実認定や有罪・無罪の判断も別になされるというのが建前である。しかし、実際は、検察官請求証拠をすべて読んだうえで日産について有罪判決を出した裁判体が、ゴーン氏・ケリー氏についての同じ事件を、証拠が別だからと言って、見た証拠を見なかったことにして無罪と判断することができるだろうか。
そのような形で刑事裁判を行うことが、フェアトライアル(公平な審理)に反するというのが、ゴーン氏の弁護団が公判分離の申し立てをした理由だ。
自白事件も「司法判断」を行う“日本的刑事司法”
このような問題が生じてしまうのは、日本の刑事裁判制度のもとでは、「自白事件についても証拠による事実認定が行われる」からである。
古くから、アメリカ、イギリスなど英米法諸国では、「有罪答弁」(アレインメント)という手続があり、被告人が起訴事実を認め「有罪答弁」を行えば、証拠の取調べは行われず、被告人は有罪とされる。刑事訴訟において職権主義がとられるドイツでも、21世紀に入ってから、被告人が罪を認めた場合に手続を簡素化する「合意手続」が導入された。アレインメントに憲法上の疑義があるとされたイタリアでは、憲法が改正されて「合意手続」が導入された(【ドイツにおける答弁取引(いわゆる申合せ)と憲法】)。フランスでも、一定の範囲の「軽罪」については「有罪に関する事前承認のための出頭」という制度がある(「重罪」は、10年以上の拘禁刑が科され得る犯罪)。
このように、諸外国では被告人が事実を争わない場合に、正式な裁判手続きを経ないで有罪とする制度を認めるのが趨勢である。その背景には、司法取引の導入との関係があると思われる。有罪答弁によって「有罪」とされ、被告人が刑に服するのは、「証拠」による「司法判断」によるものではなく、「合意」の結果に過ぎない。ところが、日本の現行制度のように、司法取引で「他人の犯罪」の捜査公判に協力した被告人であっても、裁判手続きによって、自白や関連する「証拠」に基づいて「有罪判決」が出され、それが「司法判断」だということになると、それと関連する「他人の事件」での有罪無罪の判断に重大な影響を生じてしまう。
有罪判決を出した裁判体が「同一の事件」で無罪判決を出せるか
同じ裁判官からなる裁判体が、司法取引による有罪の「司法判断」を行った場合には、その影響はさらに顕著なものとなる。同じ人間であれば、一つの事象に対する事実認定や判断について、根拠となる証拠が異なっているからと言って、「異なる事実認定」をすることに強い抵抗があるのは当然である。「事実認定」と言っても「自由心証主義」であるから、異なる証拠関係だからと言って、「ある事実」が、あるのか、ないのかの判断・認識が分かれることには抵抗を感じるのが通常ではなかろうか。
会社として「司法取引」に応じたに等しい日産が、アレインメントによることなく、証拠による裁判手続を経て有罪判決を受けることになると、その「証拠」というのは、検察との合作で、最大限に「有罪」を印象づけるものとなる。それをすべて見て有罪判決を出した裁判体が、同じ事件で無罪を主張するゴーン氏・ケリー氏に対して、異なった認定をすることができるだろうか。
そういう意味で、ゴーン氏の弁護団が、日産の裁判手続と分離し、別の裁判体で審理することを求めるのは当然である。それが行われず、同一の裁判体が、日産と、ゴーン氏・ケリー氏を裁くということになれば、「公正な裁判」とは言えないことは明らかだ。
自白事件の「有罪判決」を、無罪判決阻止のために活用してきた検察
これまでも、検察は、自白事件についても証拠による「司法判断」が行われるという日本の刑事裁判を最大限に活用してきた。例えば、企業犯罪で逮捕した被疑者Aが全面否認していて、有罪無罪が微妙な場合に、関与の希薄な共犯者Bを敢えて併合起訴するという方法がとられる。その共犯者Bには、「検察協力型ヤメ検弁護士」が弁護人について、起訴事実を全面的に認め、早期に執行猶予付きの有罪判決が出る。そうなると、その有罪判決を出した裁判体が、同じ事件でAに無罪判決を出すことは極めて困難になる。このようなやり方は、特に、特捜部では「常套手段」とされてきた。
日産の「法人併合起訴」は検察の「策略」か
昨年6月に導入された「日本版司法取引」の初適用事案となった三菱日立パワーシステムズの外国公務員贈賄事件では、会社が「法人」として社内調査結果の提供などを行い、役職員の捜査公判に協力したことの見返りに「法人」の起訴を免れる「司法取引」が行われた。その事例と同様の「司法取引」をすれば、ゴーン氏の事件でも、社内調査結果を検察に提供して、捜査に協力した「日産」の法人起訴を免れさせることは十分可能だったはずだ。
その日産を敢えて起訴したのは、日産とゴーン氏らとを併合起訴して同じ裁判所に係属させ、事実を全面的に認める日産に早期に有罪判決を出させることで、同じ裁判所がゴーン氏らに無罪判決を出すことを困難にしようという「策略」だったとの見方も可能だ。
自白事件についても検察官請求証拠によって有罪の「司法判断」が行われるという日本の刑事司法は、国際的にも特異な制度になりつつある。それは、「人質司法」と並んで、今回のゴーン氏事件を契機に抜本改革を議論すべき事柄と言うべきであろう。