謝罪会見を求める私たちの声は大きくなったのか
謝罪はすべきなのか
舛添さんの問題は、いわば、メディアと国民が責めやすい対象を選定して「謝罪に追い込んだ」事件といえなくもありません。それに、ベッキーと不倫した某バンドボーカル氏にたいして「謝罪せよ」という声がいまだに高いようです。乙武さんについて、謝罪会見を求める声が大きかったようです。
日本の「謝れ」病は、怖いものがあります。私は企業のコンサルタントに従業しています。その際にも、いかに謝罪するか、話題になります。
たとえば企業が謝罪会見をする場合は
1.関係者が不特定多数にいたるため報道機関を解する必要があり
2.なんらかの不正行為、不法行為が起きており
3.記者会見をすることで公的な利益につながる
ケースです。
しかし、そこで考えてみると、不倫は本人間あるいは家族間の話にすぎないので、謝罪会見の意味と意義がわかりません。いや、きっと、意義はないのかもしれません。あとはエンターテイメントの世界にいるひととして、記者会見をしたほうがよいのか、しなくてもよいのか、自分で決めればいい話です。
謝罪は増えたのか
ところで、この「謝罪会見」って、昔からこんなに多かったのでしょうか? なんとなくですが、多い気がします。日本人は毎年のように不寛容になって、他者に謝罪を求めるようになったともいわれます。しかし、それはほんとうでしょうか。
さっそく調べてみました。朝日新聞と読売新聞の30年分を調査し「謝罪会見」なる単語をふくむ記事数です。左から、年、朝日新聞の「謝罪会見」記事数、読売新聞の「謝罪会見」記事数です。
年/朝日新聞/読売新聞
1984年/1/0
1985年/0/0
1986年/0/0
1987年/0/1
1988年/4/2
1989年/0/0
1990年/1/2
1991年/1/8
1992年/4/5
1993年/0/4
1994年/0/2
1995年/3/8
1996年/1/4
1997年/6/16
1998年/1/11
1999年/1/8
2000年/23/16
2001年/14/19
2002年/17/20
2003年/10/29
2004年/22/26
2005年/14/25
2006年/34/46
2007年/107/56
2008年/36/32
2009年/31/21
2010年/35/19
2011年/13/13
2012年/23/9
2013年/25/13
2014年/26/20
2015年/14/6
2007年は亀田親子の謝罪問題で急に盛り上がりました。80年代は、ほとんど謝罪会見ってなかったのですね。グラフにしてみました。こう見ると、傾向としては右肩上がりにあります。
もちろん企業や個人が、不祥事後に謝罪会見をすぐさまやって、コトを穏便にすませようという姿勢もあるでしょう。しかし、私が思うに、大衆の余裕がなくなってきたんじゃないでしょうか。つまり、謝罪会見の増加とは、バブル崩壊とほぼ一緒なんですよ(1989年~1992年)。
謝罪は実質的に増加傾向にあるのか
大衆は経済的な余裕をなくし、娯楽として芸能人や企業の謝罪を求めるようになった。こう考えたら、しっくりきます。
中長期的に見て、増加傾向にはあります。ただ、近年的に増加傾向にあるかといえば、逆に2007年や2008年のピークからすると減少傾向にあるようです。
ですから、近年、とくに日本人が不寛容になっているかというと、それはあまり支持できそうにありません。できれば私は、このまま減少傾向が続き、巨悪に対する批判こそ、高まることを期待しています。