メキシコで32年前と同じ日に大地震 東日本大震災に似た地震の誘発か?
巨大地震に続く内陸地震
9月19日13時14分(日本時間20日午前3時14分)に、メキシコシティの南120キロのプエブラ州近くの深さ51キロを震源とするマグニチュード(M)7.1の地震が発生しました。この日は、32年前にメキシコ地震(ミチョアカン地震、M8.0)が発生し、メキシコシティを中心に1万人の死者を出した記念日でした。多くの住民は、記念日に行われる防災訓練をした直後に強い揺れに襲われました。
アメリカ地質調査所によると、この地震は、沈み込むココスプレートの内部で起きた正断層型の地震のようです。メキシコでは、西側の太平洋沖で、海のプレートのココスプレートが、陸のプレートの北アメリカプレートの下に潜り込んでいます。このため、メキシコは、我が国と同様にプレート境界周辺で起きる地震に繰り返し見舞われてきました。
東日本大震災に似ている地震の誘発
メキシコでは9月7日23時49分(現地)にも、チアパス州沖のテワンテペク湾の地下70kmを震源とするM8.1の地震が発生ししています。この地震もココスプレート内で起きた正断層型の地震だったようです。震源は深かったのですが、海の地震だったため1mほどの津波が起きました。
7日と19日の地震の震源は、遠く離れているものの、7日の地震による地盤内のひずみの変化で、19日の地震が誘発された可能性が疑われます。発生メカニズムは異なるものの、巨大地震の後に内陸で地震が起きる事例は過去にも多くあります。例えば、2011年東北地方太平洋沖地震(M9.0)のときにも、半日後に長野県北部地震(M6.7)が、1ヶ月後に福島県浜通り地震(M7.0)が起きました。また、発生が懸念されている南海トラフ地震でも、1944年東南海地震(M7.9)の翌月、1945年三河地震(M6.8)が発生しています。32年前に発生したメキシコ地震(M8.0)でも、1日半後にM7.6の、7ヶ月後にM7.0の地震が発生しています。
メキシコシティの被害の様子
9月19日の地震では、メキシコシティをはじめ多数のビルが倒壊し、200人以上の死者が出ており、まだ、多くの人がビルの下に生き埋めになっています。
テレビでは、スタジオのキャスターが、地震警報(我が国の緊急地震速報に相当)を報じ、注意を促した後、強い揺れに襲われていました。メキシコでは地震の巣の太平洋沖から大都市・メキシコシティまで300km程度の距離があるので、地震発生から地震波の主要動が到達までに100秒程度の時間が稼げます。この距離を利用して、震源近くの地震計で揺れをキャッチし、メキシコシティの住民に揺れの警報を発することで、揺れる前に注意を促すことができます。このため、早くから地震警報が普及していました。今回も、地震警報の有効性が確認されたようです。
テレビ映像では、SNSの普及で、地震時の動画が色々紹介されています。鉄筋コンクリート造のビルが一瞬にしてパンケーキ状に瓦解する様子には驚きます。この破壊の仕方は、我が国の建物の実大振動実験での倒壊の仕方とは異なります。日本の建物の場合には、何度か揺れに抵抗した後で特定の階が潰れることが多く、一瞬に全層が瓦解するような破壊を見ることは殆どありません。倒壊後も梁型や壁・柱があることで、生存空間が残っている場合が多いように感じます。映像で見ると日本の建物とは鉄筋量に差があるように感じます。
湖を埋めた高原都市が被害を拡大した
9月19日の地震は、地震規模はM7.1程度で、メキシコシティは震源から100km以上も離れているので、通常は、多くの建物が壊れることは想像しにくい距離です。地震規模が同等の1995年兵庫県南部地震で言えば、高知県下で沢山の建物が壊れた、という状況をイメージ下さい。
ですが、テレビで見た地震の揺れは強烈でした。32年前のメキシコ地震でも、震源から350kmも離れたメキシコシティで甚大な被害となりました。こういった強い揺れを生み出したのは、メキシコシティ特有の事情があったからと思われます。
メキシコシティは、北緯19度で、常夏の島ハワイと同じ低緯度に位置し、北回帰線よりも南の熱帯に相当する場所です。このため、700年前に、アステカ人は、2200mを越える高地に「テノチティトラン」という都市を造りました。その後、そこにあったテスココ湖を干拓したり埋め立てたりして作ったのがメキシコシティです。
今では、市内に900万人弱の人が住み、周辺を含めると2000万人もの人口を抱える大都市になりました。周辺を山に囲まれた盆地状の高原として、一年中過ごしやすい気候なのですが、埋め立て・干拓によって作られた地盤なので、地盤が軟弱で揺れが強く増幅したり、液状化しやすくなります。これが、遠くの地震でも強い揺れを生み出す原因となります。
沖積低地や盆地に位置する我が国の大都市と同様の立地条件と言え、学ぶ点は多そうです。
都会と地方との被害様相の違い
9月19日の地震は、午後の早い時間の地震だったため、大都市・メキシコシティでは、沢山の人が職場や学校にいる時間でした。大きなビルや工場、学校が倒壊したため、同時に犠牲になる人数が増えてしまいました。
一方、9月7日の地震では、メキシコシティは、震源から700km以上離れていたため、市内での被害は報じられませんでした。また、震源近くには大きな町がなかったため、大きなビルの被害は少なく、住宅被害が目立ちました。深夜の地震だったため住宅の中で犠牲になる人が多く、100人弱の死者が出ましたが、地震規模の割に死者は多くはありませんでした。
19日の地震は、9月7日の地震と比べて小さな地震ですが、19日の地震の方が大きな被害を出しました。7日の地震ではレンガ造の住宅被害が多く見られましたが、19日の地震では大きなビルの被害が目立ちます。被害の大小は、地震の規模では決まらず、被災人口や、被災地の地盤や建物の特徴に左右されることが分かります。都市と地方とでは地震被害の様相が異なることなどがわかります。
これらのことから、人が集まる大都市の安全性、軟弱な地盤の建物の安全性、規模の大きな建物の安全性など、条件に応じた安全性の割り増しを考えることの大切さが分かります。全国一律の最低基準である我が国の耐震基準についても、再考すべき時だと思われます。
32年前同じ日に起きたメキシコ地震の教訓
先に述べたように、9月19日は、1985年にM8.0のメキシコ地震が起きた日でもあります。この地震は、太平洋沖のプレート境界で起きた地震で、震源の深さは27kmでした。震源から350kmも離れていたメキシコシティを中心に、1万人にも及ぶ犠牲者が出ました。被害の原因の一つは、上に述べた軟弱地盤による揺れの増幅にありましたが、もう一つ、地盤と建物との共振という問題も忘れないで起きたいと思います。
この地震では、21階建ての高層ビルが完全に倒壊したのを始め、多くの高層ビルが被害を受けました。一方で、43階建てのラティノアメリカーナタワーには被害はありませんでした。メキシコシティで観測された地震波形を分析すると周期2秒程度で長く揺れ続けていました。この2秒というのは、メキシコシティの軟らかい地盤の堅さと厚さで決まる揺れやすい周期です。この周期は高層ビルが苦手な長周期の揺れ、長周期地震動です。
地盤と建物の共振
例えば、お皿の上にプリンや冷や奴を乗せて左右に皿を揺すると、ある周期の時にとても強く揺れます。これが地盤の揺れやすい周期です。一方で、建物にも高さや構造によって揺れやすい周期があります。下敷きを団扇代わりに使うと揺れやすい周期が良く分かります。地盤の揺れやすい周期と建物が揺れやすい周期が近づくと、揺れが大きく拡大されて、建物に被害が生じます。強い揺れで地盤や建物がダメージを受けると、それぞれの周期も少し長くなります。こういった結果、特定の高さの建物の被害が生じることになります。
メキシコシティのように鍋の形をした盆地に軟らかい地盤が堆積すると、たらいの中の水のような状態になります。たらいを動かすと、中の水は揺れ続けます。これと同じように、盆地状に堆積した地盤は、揺れを増やすだけでなく、長く揺れを続けることにもなります。実は、関東平野、濃尾平野、大阪平野なども同じような構造をしています。
メキシコ地震のようにM8.0を越えるような巨大地震では、長周期の揺れをたっぷり放出します。そして、長周期の揺れは、遠くまで減衰せずに伝わります。丁度、小さな鐘に比べて大きな鐘の方が低音(長周期)の音がすること、重低音の音は遠くまで届きやすいこととよく似ています。
すなわち、メキシコ地震のメキシコシティは、巨大地震×長周期放出・伝播×大規模堆積盆地×高層ビルという最悪の組み合わせが重なったことになります。この重なりは、南海トラフ巨大地震による三大都市とも重なります。
32年前の教訓を思い出し、長周期地震動対策を進めたいと思います。