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今こそ見たい世界記憶遺産。魂ゆさぶる伝説の写真展『ザ・ファミリー・オブ・マン』

寺田直子トラベルジャーナリスト 寺田直子
アメリカ原子力委員会による水爆実験の写真(筆者撮影)

1955年にMoMAで初開催

この世界にはひとりの男性がいる

彼の名は「すべての男性」

この世界にはひとりの女性がいる

彼女の名は「すべての女性」

そして、世界にはひとりの子供がいる

その子の名は「すべての子供」である

アメリカの作家・詩人であるカール・サンドバーグの序章によって始まる空間は立体的な構成の中、モノクロームの503枚の写真によって展開されていた。

写真展の名前は『ザ・ファミリー・オブ・マン』。1955年、ニューヨークのMoMA(ニューヨーク近代美術館)の企画展として開催。それを皮切りに世界各国・各都市を巡回し、多くの入場者を動員。日本でも56年に開催され話題となった。2003年にはユネスコ世界記憶遺産に登録。現在はルクセンブルク北部にあるクレルヴォー城に当時のコンセプトを踏襲したパーマネントコレクションとして展示されていることはあまり知られていない。ルクセンブルクはフランス、ドイツ、ベルギーに囲まれた大公国。国の面積は神奈川県とほぼ同じという小さな国だ。昨年、『ファミリー・オブ・マン』の存在を知り、今年初めパリで仕事があった際、クレルヴォー日帰り訪問を敢行した。

立体的な演出が独自の世界観を生み出している(著者撮影)
立体的な演出が独自の世界観を生み出している(著者撮影)

キャパなど高名な写真家たちが参画

『ザ・ファミリー・オブ・マン』を企画したのはルクセンブルク出身の写真家エドワード・スタイケン(1879~1973)。ファッションポートレートを中心にヴォーグ誌などで活躍したのちMoMAの写真部門ディレクターに就任、この壮大な写真プロジェクトを立ち上げた。およそ3年の歳月をかけ、200万枚におよぶ写真の中からセレクトされた273名、68ヶ国のプロ&アマチュアの写真家たち503枚の作品によって構成。その中にはロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ドロシア・ラング、ロベール・ドアノー、ユージン・スミスといった高名な写真家たちも多く、日本からは木村伊兵衛、山端庸介などの作品が選ばれている。

母性を切り取った写真には普遍の愛情が見え隠れする(著者撮影)
母性を切り取った写真には普遍の愛情が見え隠れする(著者撮影)

写真展のテーマはずばり「人間」

『ザ・ファミリー・オブ・マン』は誕生から死までを名もなき人たちの喜怒哀楽を通して語りかけてくる。一貫したテーマのもと個々の写真家の特色は封印され、モノクロームの均一の質感の作品群は立体的な展示空間との相乗効果により、まるで映画を見ているようになめらかにストーリーが投影され進んでいく。

米ソ冷戦時代であった公開当時、アメリカの民主主義を刷り込ませるプロパガンダとして『ザ・ファミリー・オブ・マン』には批判も多かったようだ。フランス人哲学者ロラン・バルトは「歴史を無視した表面的な類似性だけのもの。何の意味もない」と批判した。また、日本での展示の際、作品のひとつであった原爆写真が天皇のご見学時、カーテンで隔されたのち撤去されるという出来事もあった。

人生の重みが写真に宿り、見る者に問いかける(著者撮影)
人生の重みが写真に宿り、見る者に問いかける(著者撮影)

写真の被写体たちに人生が重なる

しかし、それをもっても圧倒的な存在感で浮き上がってくるのがそこに写るひとりひとりの強烈な命のほとばしりであり、人生の瞬間だ。写真を見てこれほど自分の感情が揺れ動かされたことは今までなかった。503枚すべてに人生が映しこまれている。

親になったときの言葉にできない喜び、傷ついたときの絶望感、若き青春時代のきらめくような日々。家族や仲間との愛すべき時間、働くということの試練、何かを学び吸収する喜び。老いていくということ。そして死。シャッターが切られた一瞬の中におもりのようにズシリとそれぞれの人生が刻みつけられている迫力は「個」を封印されても決して埋もれない写真家たちの表現力の産物でもある。肌の色も国籍も性別も、さらには時代も関係なく、人間はすべて平等で美しい存在であるべき。そう感じさせる力強いメッセージが伝わり、見る者の魂を激しくゆさぶる。

写真展を通して感じたのは「共感」だ。

作品群を見る人それぞれがおそらく、自分の人生を投影させる一枚を見つけることだと思う。人生は楽しいだけではないが、それでも尊く価値あるものだという『ザ・ファミリー・オブ・マン』のメッセージに共感し、呼応する。他人ではなく、まさに「人間というひとつの家族」として。

子供たちが手をつなぐ作品を集めた空間が印象的(著者撮影)
子供たちが手をつなぐ作品を集めた空間が印象的(著者撮影)

平和を願う思いが余韻に残る

著者が強く印象に残ったのが楕円形のフレームが配された一角だった。そこには手をつなぎ輪になって踊り、遊ぶ子供たちの写真が並べられていた。その中の一枚は正月だろうか晴れ着を身に付けて手をつないで遊ぶ日本の女の子たちだ。すべての子供たちがこの輪の中に入り、共に手を結び笑いあえる未来であってほしいと願った。

水爆実験の巨大な写真。公式写真集には入っていない一枚だ(著者撮影)
水爆実験の巨大な写真。公式写真集には入っていない一枚だ(著者撮影)

展示作品の中で極めて異例に人が写らない作品が数点ある。そのひとつが写真展後半、天井いっぱいに大きく展示されているアメリカ原子力委員会の提供による水爆実験の写真である。人影はないが日本人の私たちには広島と長崎の原爆投下と重なり、巨大なキノコ雲の下に多くの命があったことを想像するのは難くない。命を奪う行為の非道さ、おろかさをこの一枚の写真から感じとる日本人の感性は決して失ってはいけないものだと痛感する。

503枚めの写真はユージン・スミスによる子供の写真だった(著者撮影)
503枚めの写真はユージン・スミスによる子供の写真だった(著者撮影)

北朝鮮とそれをとりまく日本、アメリカ、ロシアなどの不安定な関係。宗教価値観によるテロ、貧困と差別。写真展が開催されてから60年以上経った今でも世界は混迷を深め、人々は傷つけあっている。批判されてきた側面はあるかもしれないが、この写真展の持つ普遍性、あふれるヒューマニズムは今でも色褪せていない。『ザ・ファミリー・オブ・マン』は今の時代こそ見ておきたい偉大な写真展だといえる。

画像

※クレルヴォー城へのアクセス

パリ東駅からルクセンブルク中央駅までTGVで約2時間15分。ルクセンブルク中央駅からクレルヴォー駅まで鉄道で約1時間(週末は本数が減るので注意)。クレルヴォー駅から徒歩10分ほど。

筆者のようにパリから日帰りが可能。ただ、ルクセンブルク自体も旧市街が世界遺産に登録されるなどコンパクトながら見どころが多い。クレルヴォー城訪問も含め1、2泊しながらゆっくりと楽しむのもお薦めだ。

クレルヴォー城公式サイト

ルクセンブルク政府観光局

トラベルジャーナリスト 寺田直子

観光は究極の六次産業であり、災害・テロなどの復興に欠かせない「平和産業」でもあります。トラベルジャーナリストとして旅歴40年。旅することの意義を柔らかく、ときにストレートに発信。アフターコロナ、インバウンド、民泊など日本を取り巻く観光産業も様変わりする中、最新のリゾート&ホテル情報から地方の観光活性化への気づき、人生を変えうる感動の旅など国内外の旅行事情を独自の視点で発信。現在、伊豆大島で古民家カフェを営みながら執筆活動中。著書に『ホテルブランド物語』(角川書店)『泣くために旅に出よう』(実業之日本社)、『フランスの美しい村を歩く』(東海教育研究所)、『東京、なのに島ぐらし』(東海教育研究所)

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