「過労死ライン」が20年ぶりに改定も、遺族救済の観点からは程遠い内容に
16日、厚生労働省は「脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会」の報告書を公表した。これを受けて、およそ20年ぶりに過労死の労災認定基準が改定される見通しだ。
「脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会」の報告書を公表します
おもに過労死とは、長時間および過重労働によって引き起こされる脳や心臓の疾患に基づく「過労死」と、過労やハラスメントによって精神疾患を発症して自死に至る「過労自死」の2つに大きく分類される。そして、今回の改定は、脳・心臓疾患によって過労死が起こった場合、どのようなケースで労働災害と認定するかについてである。
過労死ラインの改定は、過労死遺族の団体や弁護士、労働NPOなどが何度も求めてきたことであった。現行の基準があまりにハードルが高すぎるため、過労死が起こっても救済されない遺族が多数存在するためだ。
また、不認定のケースが遺族が行政訴訟をおこし、判断が覆った事例もこれまで多数存在し、行政の認定基準と裁判所の判断の間の溝も深くなっていた。
さらに、世界的にも過重労働が問題となっており、今年5月に世界保健機関(WHO)と国際労働機関(ILO)は、週55時間以上働いている人、つまり月60時間以上の残業に従事すれば「深刻な健康被害をもたらす」との内容の報告書を発表した。
これらの国内外の動きを踏まえて、今回、過労死の認定基準が大幅に修正されると考えられていた。
しかし、蓋を開けてみると、報告書の内容は、労災と認めるために国が考慮すべき項目がいくつか追加されるにとどまり、最大の関心であった残業時間については据え置きとなった。今回の変更が過労死問題に与える影響について見ていこう。
現在の過労死労災認定基準 月80時間〜100時間の残業
まず、変更前の過労死労災認定基準について触れておきたい。前述の通り、脳・心臓疾患の場合と精神疾患の場合で基準が異なるため、ここでは前者の脳・心臓疾患に関して取り上げる。
そもそもあまり知られていないが、過労が原因で労働者が命を落としても国が独自に調査を行うわけではない。その死が過労死と国が認めるには、まず遺族が国(労働基準監督署)に対して、労災申請を行う必要がある。その申請を受けてはじめて国は、会社のタイムカードや日報などの記録を確認し、また同僚や上司などに対するヒアリングを踏まえて、労災かどうかを判断する。労災だと判断されて、ここで死が公的に過労死と認められるのだ。
国が労災と認めるかどうかを判断する際に最も重視されるのは労働時間、つまり残業時間である。国が調査する範囲は原則として発症前6ヶ月間になるが、脳・心臓疾患を発症する前1ヶ月間で100時間、2ヶ月から6ヶ月間で平均80時間の残業に従事していれば、病気と労働との因果関係が強いと判断されて、労災と認定される可能性が高い。この80時間という基準は、一般的に「過労死ライン」と呼ばれている。もちろん、この時間は絶対的なものではなく80時間未満でも過労死する可能性があるため、その場合は、出張の頻度や交代制・深夜勤務の実態、作業環境などを総合的に踏まえて判断することになっている。
とはいえ、現在認定されている件のほとんどは、過労死ラインを上回る残業に従事していたものだ。脳・心臓疾患による死に関しては、2020年度には205件の申請があり、211件で判断が下された(必ずしも同一年内に調査が完了し判断が下されるわけではないため、これらは一致しない)。そして、211件のうち67件、約32%で労災と認められた
そして、80時間未満の残業で労災と認められたのはわずか5件にとどまる。つまりほとんどのケースで、やはり残業時間が過労死ラインを上回っているかどうかが認定のポイントになっているということだ。
マイナーチェンジに留まる新基準
しかしながら、残業が80時間を超えると一律で脳や心臓疾患を発症するわけでもなければ、80時間未満であれば絶対に病気にならないというわけでも当然ない。事実、80時間未満の残業であっても過労死は起こっており、裁判所が国の不認定を覆しているケースもある。
さらに、国際的な調査に基づいてWHOなどは月60時間の残業で死に至る危険があると主張しており、また厚生労働省自身も月45時間を超えて長くなればなるほど、仕事と脳・心臓疾患の発症との関連性が強まると述べている。よって、月80時間の基準を引き下げることについての合理性はあったと考えられる。
しかし、新基準では、過労死ラインそのものは変更せずに、次のような判断基準が加えられているにとどまっている。
具体的には、「休日のない連続勤務」「職場外の移動を伴う業務」「勤務間インターバルの短い勤務」などを考慮に入れて、総合的に判断するとした。また、対象疾病に、「重篤な心不全」が新たに追加された。
もちろん、深夜交代制勤務や数日間の連続勤務などがあれば、例えば40時間の残業であったとしても身体的な負担は非常に大きく、これらの基準が加わることの意義はある。しかし、過労死ライン自体が80時間で維持されているため、たとえ国際的に問題視される月60時間以上の残業を行っていたとしても、80時間以下の場合であれば、今後も却下される可能性が高いと予想される。
残る課題
過労死遺族の支援に取り組む弁護士の団体「過労死弁護団全国連絡会議」は、今年5月の意見書で、過労死ラインを月65時間の残業に変更すること、発症前6ヶ月だけでなくそれ以前の期間も含めて過労死の原因となり得た要因を総合的に判断すること、労災の対象となる疾病の範囲を広げることなどを提案している。
脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会 「第8回」以降の議論に関する緊急意見書(2021)
しかし今回の改定は、これらの意見を反映することなくマイナーチェンジに終わった。これでは、日本で頻発する過労死問題が抜本的に改善するとは言うことはできない。
さらに、今回問題になっているのは、過労死が起こった際に労災を申請できたケースであるが、そもそも労災を申請することすらできずに泣き寝入りしている遺族がその背後に膨大に存在する。
突然家族が亡くなってもすぐにその原因が仕事だと認識できない場合や、「自分がちゃんとケアをしていれば死なずに済んだ」と自身を責めてしまう人も多い。また、仮に仕事だとわかったとしても長時間労働やハラスメントの証拠を遺族自身が集めなければならない。国は申請を受けて調査を行うが、タイムカードが改ざんや破棄されている、もしくはそもそもタイムカードが最初からないケースも少なくない。
なぜこのような事態に陥ってしまうかといえば、企業には労働安全衛生法上、労働時間を把握して記録する義務が存在するのだが、違反した場合に罰則が用意されていないことが大きい。タイムカードがなくても処罰されることはないのである。そのため、正確な時間を把握するという最も初歩的なステップで多くの遺族が困難に直面している。
それにくわえ、過労死が起こった際に遺族を支援する団体の数も、これほどに過労死が蔓延している実態を踏まえるとまだまだ十分とはいえない。遺族にとって、大切な人を亡くしたうえに会社と対峙して長時間労働の記録を収集するのは容易ではないことは明らかだ。このような労災申請という権利行使には支援が必要であり、社会的に遺族を支えていくことが重要だ。過労死遺族の当事者にはぜひ支援団体にご相談いただきたい。また、周囲に突然亡くなった方がおり少しでも仕事が原因の可能性があると考えられれば、ぜひご遺族に支援団体に相談するよう勧めてほしい。
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