脱原発か再稼働か。中途半端なスタンスの毎日新聞が僕の気持ちに合っている
●今朝の100円ニュース:「首相判断で原発即ゼロ」小泉元首相が記者会見(毎日新聞)
2011年3月11日の昼過ぎ、僕は飲食店の取材で名古屋にいた。取材先へと急ぎ足で歩いていたので地震の揺れに気づかず、取材後に同行のカメラマンに「今日は東京に帰れないと思いますよ。すぐにホテルをとったほうがいい」と教えてもらって、慌てて部屋を予約。東京の予定はキャンセルになったので、名古屋在住の友だちを呼び出して飲みに行った。居酒屋は何事もなかったかのように営業している。席もほぼ埋まり、早くも酔った客が笑い声をあげていた。
翌朝、復旧していた東海道新幹線で東京駅まで戻ると、疲れた表情の人たちで混雑している。昨夜は会社に泊り、朝になって帰宅する人たちが多いのだろうか。満員の下り電車内は少し汗臭く感じた。中央線の西荻窪駅で降り、一人暮らしのアパートに戻ると、本棚が傾いているのにちょっと驚いた。
被害といえば、好きな納豆が買いにくく買ったことと、「反原発」に目覚めた地元の友人知人と気まずくなったことぐらいだ。あの日、揺れも感じず、アパートより快適なホテルに一泊できた僕。気ままな独身でもあった。「大宮くんも放射能情報をもっと知ったほうがいいよ。東京は危ないから」とアドバイスしてくれた知人に、「杉並区と政府が何とかしてくれると思いますよ。区のホームページは毎日見ているから大丈夫です」と返して、呆れられてしまった。
1年半後に僕は結婚をして愛知県に移り住んだ。放射能の危険から逃げたかったわけでは全然なく、結婚相手が仕事の都合で愛知を離れられないことが理由。ただし、東日本大震災での被害はほとんどなく、原発比率の低い中部電力管内で、製造業が発達している愛知に住むと、原発への危機感はさらに薄れていくのがわかる。
僕は愛知で過ごすときは中日新聞をときどき読むが、東京に滞在しているときに中日新聞の関東版である東京新聞を手に取ることはない。東京新聞は脱原発のトーンが強すぎて、気持ちが追い付かないからだ。同じ新聞社内でも地域で温度差があるのだから、新聞社間での違いは大きい。今朝の新聞の1面を見比べると、小泉元首相の記者会見の扱い方で、新聞各社の原発への危機意識と姿勢は明らかに違う。朝日と東京は1面のトップ記事で取り上げている一方で、読売と日経は少なくも1面では無視。新聞社ごとに、読者に読ませたい「ニュース」は違うのだなあ、と改めて感じた。
体験や生活環境、家族の状況などによって、人の気分や考えは大きく変わる。得たい情報も異なる。意に沿わない新聞や雑誌を購入しようとは思わないし、興味のない見出しのネットニュースはクリックしないだろう。原発はできればなくなってほしいけれど即ゼロにして経済が混乱するのは嫌だな、程度の意識しかない僕は、コンビニの新聞コーナーで長考してしまった。あまり極端な記事は読みたくない。
結局、レジに持って行ったのは毎日新聞。1面では、小泉氏の記者会見を小さな囲み記事で紹介しつつ、トップ記事は「民主、秘密保護法案反対へ」。知る権利を守って国民の情報力を確保すれば世論を誘導しなくても原発問題は解決できる、というメッセージだろうか。社説でも、「日本は今歴史の分水嶺にある」とちょっと陳腐な表現で、重要政策の方向性を決める権利と責任は国民にあると示唆している。この新聞、バランスが取れているというか中途半端というか……。でも、今朝の気分にはぴったりだった。