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「国益」の視点から考えるヘイトスピーチ撲滅論

古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
東京・秋葉原で展開された「ヘイトデモ」と「カウンター」運動(写真:Duits.co/アフロ)

・いまこそ「国益」の視点でヘイトスピーチ撲滅を考えよ

ヘイトスピーチ(憎悪表現)を法で規制しようという動きは、随分前から大きな流れとしてはあるが、国レベルではいまだ弱含みである。そんな中、さる1月15日、全国で初めてとなるヘイトスピーチ抑止条例が大阪市議会で可決・成立し、吉村同市長は「(施行は)今年夏頃を目処に」とする趣旨の発言をして大きなニュースになった。

今後、その運用が極めて注目される同条例は、橋下前市長時代に企図・準備されたもので、まさに橋下氏の「置き土産」だ。

ヘイトスピーチにより、主にその槍玉にあげられる在日コリアンへの誹謗中傷について、それがいかに彼ら(彼女ら)に対して心の傷を与えるのか―、という個別事例は、多くの「カウンター」と呼ばれる活動家やライター、或いはその文脈の中で取り上げられてきた。「チョンコ出て行け!」「チョンをガス室へ!」などという「デモ」や動画を見て、その当事者である在日コリアンが心中穏やかではないのは察するに余りある。

当然、ヘイトスピーチの第一の直接被害者は善良で無辜の在日コリアンだろう。しかし、ヘイトスピーチによって最も傷がつく存在とは、何を隠そう「日本」という国家の国威・イメージであり、ひいては日本国の「国益」そのものなのである。

2014年8月、スイスで開かれた国連人種差別撤廃委員会は、日本における状況を審査し、日本に於けるヘイトスピーチを問題視し、この問題に対する法規制を迫った。この状況は、まさに日本が西欧から「人権意識三等国」であると指摘されるに等しい「国辱」ではないだろうか。

ヘイトスピーチにより、日本国内のマイノリティへの精神的被害が殊更強調される中、「最も毀損されるのは日本の国益」という視点が、やや弱い気がする。なぜなら「国益」を声高に主張する日本の保守派に、この問題(ヘイトスピーチ)に対する問題意識が極めて鈍いからだ。

・「NOヘイト!」の掛け声は保守派からあがるべき

ジャーナリストの安田浩一氏は、その著書『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文春新書)の中で、

あの人たち(ヘイトスピーチを行う『行動する保守」』などの面々)は愛国者を気取っているけれど、むしろ国を冒涜しているとしか思えない。口汚く罵倒することが愛国心だと信じているならば、日本にとっても大きな迷惑ですよ

出典:『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』安田浩一、文春新書、P.31、2015年、括弧内筆者

と記述しているが、これは安田氏の地の文ではなく、新右翼団体「一水会」顧問の鈴木邦男氏のコメントの引用である。無論「邪推」を承知でいうのだが、リベラル派は「国益」とか「国威」という言葉にいまだアレルギーを持っているからこそ、この発言を地の文ではなく他者のコメントとして使用したとも言える。「国益」を全面に押し出したヘイトスピーチ撲滅論には抵抗があるように感じるのである。

こう考えると、「国益」の視点で考えるヘイトスピーチ撲滅論を担う中心は、「素直な筋論」としてはこの国の保守派が相応しいだろう。

普段「国益」を声高に叫ぶ保守系言論人こそ、この日本の国威・国益を毀損するヘイトスピーチ問題について殊更敏感になるべきだし、なければならない。が、彼らはほとんどが微温的にヘイトスピーチの法規制に難色を示し、あるいはヘイトスピーチを行う過激な行動団体に対して「黙認」の態度を貫いている。

この日本の保守系言論人の態度こそ、ヘイトスピーチの前衛であるネット右翼(ネット保守ともいう。ここでは便宜上、より一般的なネット右翼と呼ぶ)との相互癒着の象徴だ。

この構造を解明せずして、ヘイトスピーチの撲滅などありえない。

・ヘイトスピーチを生み出す原因はネット右翼ではない

ヘイトスピーチを行うネット右翼の多くは、5分や、せいぜい20分などといった短いセンテンスのネット動画をその理論の支柱としている。その理論的支柱は、所謂『保守系言論人』と呼ばれる保守系文化人や知識人のSNSでの発言、ブログや動画での発信、そして著作物の「ヘッドライン」である。

例えばある保守系言論人Aが『福沢諭吉の脱亜論』をテーマとした本を書く。あるいは保守系論壇雑誌への寄稿でも良い。その本や原稿の中には「朝鮮人を殺せ!叩きだせ!」等という過激な煽り文句は一切出てこない。が、ネット右翼はその「タイトルと目次」のみを読んで、「嘘つき朝鮮人は半島に帰れ」などというヘイトスピーチの理論的根拠としている。

福沢の脱亜論は、福沢が物心共に支援した李氏朝鮮末期の独立運動家・金玉均(1851-1894)への期待への反動としての失望が具現化されたもので、ネット右翼が唱える「特亜(特定アジア)撲滅」などという単純なものではない。

にも拘らず、ネット右翼が唱えるヘイトスピーチは、そういった保守系言論人の著作の内容などどうでもよく、ただ扇情的な著作や原稿の「タイトルと目次」、つまりヘッドラインに寄生することで発生する。

そして、そういった保守系言論人の著作を斜め読みしたブログや、YouTubeのお粗末な動画の中で開陳されることになり、これが拡散されていく。これを私は、『ヘッドライン寄生』と名づけている(『ヘッドライン寄生』の詳細は、拙著『ネット右翼の終わり』晶文社、2015年。或いはヤフーニュース個人2015年4月の小生記事『ネットのデマはなぜ無くならないのか?「8.6秒バズーカー」「翁長知事の娘」から考えるデマと寄生の関係』を参照のこと)。

・「嫌韓本」の中にはヘイトスピーチの元ネタはない

近年、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」が結成され、大きな話題になった。確かにヘイトを全面に押し出すかつて老舗とされた中小出版社の問題は指摘されているが、それとてネットの後追いの感は否めず、ましてそれ以外の版元から出た、一時期「嫌韓本」として知られた書籍の多くは、実際には「嫌韓本」というよりは「知韓本」である。

例えばベストセラーとなった室谷克実氏の『呆韓論』(産経新聞出版)、『悪韓論』(新潮新書)の中には、「キムチ臭い朝鮮人を日本海に叩き落とせ」「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺し」などという、「ヘイトスピーチの定型句」は一句も出てこない。

大半は氏が韓国駐在時代に見聞した「韓国あるある与太話・体験記」の類として、クスリと笑えるものも多いのだが、ネット右翼はこの本を読まずに「呆韓」とか「悪韓」などという扇情的なタイトル、或いは過激な帯文のみに「寄生」して、街頭でヘイトスピーチを展開するのである。

これがヘイトスピーチを生み出す根幹だ。前出の安田浩一氏は、『ヘイトスピーチ』前掲書の中で、在特会(在日特権を許さない市民の会)の前会長である桜井誠氏を、

在特会の生みの親であり、同時にネット右翼の理論的指導者として、一部から熱狂的な支持を集めている。

出典:『前掲書』P.39

として紹介しているが、在特会に代表される「行動する保守」の筆頭とみなされる桜井氏は、理論的指導者などではない。なぜなら彼らの理論とは、彼らより上位の、保守系言論人の著作や論考のヘッドラインに寄生しているからだ。よって桜井氏自身はネット右翼による「ヘッドライン寄生」の先鋭的当事者、つまり被寄生者ではなく寄生する側にすぎないのである。

・在特会を黙認する保守系言論人

このような保守系言論人と、インターネットの世界から特に2002年の日韓共催大会を契機として、保守系言論人の出自(冷戦時代の反共保守)とは全く異なる形成過程をたどるネット右翼との「蜜月」は、実際にはネット右翼による書籍の購買力はそれほど多くはないにせよ、少なからぬ保守系言論人の書籍の売上や知名度、ネット動画の再生数に貢献する。

一方のネット右翼は「知識人が言っているのだから間違いはない(実際には言っていないことすらあるが)」という、理論体系の「お墨付き」と承認欲求が満たされるという「相互癒着」関係を産んだ。

だからこそ、国威・国益毀損の重大問題である「ヘイトスピーチの法規制」に対し、保守系言論人は一様に否定的か、あるいはだんまりを決め込んでいる。保守系言論人は「国益」を叫ぶ一方、その「国益」を毀損しかねないヘイトスピーチ問題や法規制に対しては、「自らの潜在的顧客が減少したり、ネット上で裏切り者と名指しされること」を恐れて、少数を除いて一様に口をつぐんでいる。

それは在特会に対する保守系言論人の反応の冷淡さをみれば分かるだろう。「在特会ってなんですか」という政治家のコメントほどではないにせよ、「特に興味が無い」「やり方はいけないとは思うが、言っている事自体は正しい」「あまり良く知らないのでコメントできない」「私は参加したいとは思わないが、まあ良いのではないか」などという曖昧な態度に終始している。

興味が無い、よく知らない、というのは嘘だ。在特会に代表される「ヘイトスピーチの前衛」を批判すると自らの本の売上やネット上での評判が炎上という形で失墜する、と恐れて、一様に口をつぐんでいるのである。つまり「国益」よりも「私益」を優先しているのである。何たる体たらくだろうか。

・ネット右翼の「韓国先制攻撃論」には一理あり

ヘイトスピーチを法規制しよう、という話題が盛り上がり、東京や大阪での「日韓断交デモ」などが批判的な文脈の中で話題になるたびに、ネット右翼たちは、必ず、以下のように反論する。

―日本人が韓国人をヘイトする以前に、韓国人が日本人をヘイトしている

これは、ネット右翼が自らのヘイトスピーチを正当化させる言説の中で、必ず登場する決まり文句だ。つまり、韓国人が先に日本人を呪詛してきたから、それに対抗してやっているのであって、よって韓国こそが先にヘイトを仕掛けたことへの自衛手段だ、というのである。私はこれをネット右翼による「韓国先制攻撃論」と名づけている。

しかし、この理屈には一理ある。戦後、東西対立が激化する中で「東アジアの反共国家群」の一員として日韓連帯があったのは周知のとおりである。日韓基本条約締結(1965年)を転換点として、日本の保守層と韓国政権は、「反共」という目的で概ね一致した。

冷戦時代、むしろ左派の日本共産党こそが韓国を「朴正熙はアメリカの傀儡であり、極東におけるアメリカ帝国主義の尖兵」などと非難し、保守派は「韓国こそは、朝鮮半島唯一の合法政権であり極東における自由と民主主義の砦」と連帯意識があった。

が、冷戦が終わると韓国は「反共」の政策を転換し、「反共の分断国家」として緊密な関係にあった台湾と断交して中国を承認した。韓国政府の対日姿勢も従前に増して、露骨なものになった。韓国が実行支配する「竹島」は李承晩時代に「占領」されたものの、大々的に地上構造物や接岸施設を増設し始めたのは概ね冷戦終結後の90年代以降である。

冷戦終結後、韓国のナショナリズムは、「反共」から「反日」へと急速に舵を切り始めた(或いは「反米」も)。朝鮮統治時代の「懐かしさ」を知る世代が社会から引退し、「親北」が色濃い政権が「日本統治時代の歴史の見直し」に関する委員会を立ち上げたり、関連する立法を行う。

近年政治問題になっている日本大使館前の慰安婦像も、「反共」時代の韓国では考えられなかった「反日」ナショナリズムの帰結といえる(詳細は、拙著『知られざる台湾の反韓』PHP研究所、2014年。或いは『もう無韓心でいい』ワック、2014年)。

ネット右翼がことさら問題視するのは、ほぼすべてこの冷戦終結後の韓国ナショナリズムの沸騰についての事象である。繰り返すように、「韓国が先」という彼らの理屈には一理ある。

・冷戦期の「日韓蜜月時代」を語らない保守

しかし罪深いのは、「反共」時代の日韓の蜜月を知っているはずの日本の保守系言論人の多くが、この時代の日韓についてだんまりを決め込んでいる、ということだ。現在の日本の保守系言論人の多くは、韓国への愛憎を基盤とした複雑な感情を持っている。

かつての「反共の同志」に裏切られた、という意味において、愛が憎しみに転換したのだ。だが、現在の保守系言論人は、そのほとんどが「反共」時代の日韓の蜜月をネット右翼に対し語ろうとしない。

日本統治時代を原体験として記憶する世代がまだ社会の中心にいた1970年、80年代に韓国を訪問し、現地の老人や村民から日本語で飲めや歌えの大歓待を受けた、などという美談は、「反共」時代を肌で経験した少なくない保守系言論人の中に存在する。

しかし彼らは、一様にそれらの体験を封印して、「反日」に転換して以降の韓国のナショナリズムの欠点ばかりをあげつらう。理由は「韓国での美談などを紹介すると、ネット右翼に攻撃され、本の売上や動画の再生回数が落ちる」ことを恐れているからだ。

次世代に体験を継承するべき保守系言論人が、一様に口をつぐみ、ネット右翼に耳障りの良い韓国攻撃のヘッドラインという「元ネタ」を提供し続けている。「韓国先制攻撃論」には応分の理解を示すとして、そこに歴史的経緯の説明を付着すれば、ネット右翼の攻撃もまたより温和なものに導かれるかもしれなかった。

しかし保守系言論人が自らをしてこの職務を放棄しているので、「韓国先制攻撃論」を軸としたヘイトスピーチは一向に無くならない。ヘイトスピーチの源泉とは、まさにこの部分にこそある。

・かつて西欧に「NO!人種差別」を言った日本なのだが…

2012年に閣議決定した「観光立国推進基本計画」は、「平成28年までに訪日外国人者数を1800万人にする」としたが、既に平成27年(2015年)の段階で訪日外国人数は1973万7千人と、目標を軽く達成した。

2020年東京五輪が控え、ますます訪日外国人が増加すると予想される中で、街頭やネットでのヘイトスピーチが日本の国威やイメージに与える悪影響は計り知れないのである。

そして何より、かつて日本は有色人種唯一の列強として、欧米に伍する大国を形成し、白人社会にびまんする有色人種への偏見意識に異議を唱えた、という歴史の意義を振り返らなければならない。

米ヒューストン大学教授の歴史学者ジェラルド・ホーン氏は、第一次大戦後のパリ講和会議の際、日本が中心となって提唱した人種差別撤廃に関する条項を、次のように評価する。

日本がパリ講和会議で人種差別を撤廃することを国際連盟規約に盛り込むことを提案した時に、アメリカでなく、大英帝国、特にオーストラリアが強く反発して、反対した。日本では、「多くの団体が、パリ会議を人種差別の撤廃のために活用するべきだと訴えて、人種平等の運動を展開した。それは日本が中国と大義を共有できるという利点を有していた」からだった。日本では人種差別反対運動は全国民の願いであり、上からの世論操作によるものではなかった。

出典:『人種戦争―レイス・ウォー 太平洋戦争もう一つの真実』ジェラルド・ホーン著、藤田裕行訳、加瀬英明監修、祥伝社、P.65、2015年

もちろん、この日本の「人種平等」「アジアの連帯」などという理想は、後に歪んだアジア主義として日本の大陸侵攻や日米戦争時の「南進」を正当化させる方便として使われる事となったのは周知だが、それでも、かつて西欧に対し堂々と公の場で「人種差別はNO!」と言った日本が、今やその西欧から逆に説教を受けているという現状は、まさしく「日の丸が泣いている」の表現(安田氏前掲書より鈴木邦男氏のコメント)が適当だ。

保守派はもっとヘイトスピーチに怒るべきだ。ヘイトスピーチを「言論の自由」などと妄想を言って否定しない保守は、保守でもなく愛国者でもない。

作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長

1982年北海道札幌市生まれ。作家/文筆家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長。一般社団法人 日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。テレビ・ラジオ出演など多数。主な著書に『シニア右翼―日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中央公論新社)、『愛国商売』(小学館)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)、『女政治家の通信簿』(小学館)、『日本を蝕む極論の正体』(新潮社)、『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『欲望のすすめ』(ベスト新書)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)等多数。

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