音楽を語る言葉を捨てよ、そして音楽へ 大森靖子ワンマンライヴレポート
「何か」がはじまった夜
2013年5月13日に渋谷CLUB QUATTROで開催された大森靖子のワンマンライヴ「『魔法が使えないなら死にたい』ツアーファイナル!~つまらん夜はもうやめた~」は、何かの「はじまり」を強烈に感じさせる熱気に包まれていた。もしかしたら、時代の空気を吸収しながらその中であがき、張り裂けんばかりに表現する新しいスターが誕生した場に居合わせたのではないか。そう思わせるのに充分な夜だったのだ。
大森靖子はまだメジャー・デビューしていない。それどころか、インディーズのアーティストとして事務所にすら所属していないのだ。ほぼすべてをひとりで管理している、純粋な意味で「インディーズ」のシンガーソングライターだ。その彼女が、キャパシティ700人の渋谷CLUB QUATTROを超満員にしてしまった。「何か」が起きたのだ。
(写真:Masayo)
大森靖子は1987年生まれ。彼女のアコースティッ・ギターによる弾き語りは、情念をも込めつつ激しい起伏を操り、ときにギターを投げ捨ててステージを去る。全国のどこへでもギターだけを抱えて向かい、そして歌う。少しTwitterで発言しない間に、日本の思わぬところへ行っている。
音楽は魔法ではない、しかし
会場に着いてエレベーターを降りると、ちょうど目の前にアーバンギャルドの松永天馬がいた。彼は以前、大森靖子の「音楽を捨てよ、そして音楽へ」の歌詞をツイートしていて、今日は見られる時間が限られているのに会場へ足を運んだという。さらに、知人の音楽ライターやDJにも次々に会ったのだが、誰もが行列の長さに驚きの声を上げていた。入場の手際が悪いのではなく、ただ単純に人が多いのだ。階段の暑さに耐えて受付を済まして入場すると、会場につながる通路には大森靖子を撮影した巨大なポスターが何枚も貼られていた。
超満員の会場では、ちょうど1曲目の「新宿」が始まったところだった。歌い出しに出てくる単語は「きゃりーぱみゅぱみゅ」。そして大森靖子は大きなピンクの帽子、長髪パーマのウィッグ、赤いドレスといういでたち。それは私がこれまで見てきた、飾り気のない服装にアコースティック・ギターを抱えているだけの彼女とはまるで違う雰囲気だった。彼女の背後には、布やぬいぐるみがうずたかく積まれている。
(写真:渡辺博江)
アコースティック・ギターとキーボードによる弾き語りが続いた中、この夜のピークは「音楽を捨てよ、そして音楽へ」から「パーティドレス」への流れだった。
「音楽を捨てよ、そして音楽へ」は、2012年のライヴ盤CD-Rのアルバム・タイトルにもなった楽曲だ。2013年にリリースされたファースト・フル・アルバム「魔法が使えないなら死にたい」にも収録されている。この楽曲はこんな歌詞ではじまる。
意表を突く並びの言葉たちではじまり、過去のいじめや教師との軋轢を歌いつつ歌詞は展開していき、より激しく歌われていく。
この「音楽は魔法ではない」というキーワードを繰り返しながら、終盤ではラップのように、隣室の老婆が浴槽で死んだ話や、自分がシンガーソングライターとしてここまでくるのに5年かかったことが語られる。「音楽は魔法ではない」と言いながらも、大森靖子は音楽へ修羅のように全身を投じている。そのアンビバレンツこそが生み出す凄味がこの楽曲にある。
続く「パーティドレス」は、いわゆる「メンヘラ」の風俗嬢の歌だ。
この歌詞の主人公は、売春の相手にもらった金でパーティードレスを買いに行く。
露悪的なほどの歌なのに、最後は不思議なほどにせつない。大森靖子は、若い女が性について歌えば人の興味を引くだろう、という意図でこの楽曲を書いたものの、誤解を生んで蔑まれることもあったという。しかし、ワンマンライヴでの大森靖子は、すでに自分が作り出した物語による誤解も引き受ける強度を持った存在になっていた。その姿に感銘を受けたのだ。
「共感」が生まれたライヴ
私が初めて大森靖子を見たのは、2012年8月25日に開催された「ストップ!自殺~はいつくばっても生きていこう~」というイベントだった。そう、いわば自殺防止の啓蒙イベントである。そこに「自殺未遂体験者」のひとりとして登場したのが大森靖子だった。他の出演者の話の間、始終退屈そうにしている彼女に私の目はひきつけられた。そしていざアコースティック・ギターを抱えて歌い出したときの衝撃たるや……。その日、私は彼女のミニ・アルバム「PINK」を買ってサインをしてもらい、以降「ぐるぐる回る」などでたびたびライヴを見ることになる。
大森靖子のライヴは、基本的にアコースティック・ギターによる弾き語りなのに、ときにDJプレイを見ているかのような錯覚を起こすほどノンストップで次々に楽曲が演奏されていく。当夜も、テンションの上がっているファンの拍手や歓声を上書きするかのように演奏をする場面があった。そして本編終盤の「夏果て」では、誰もそこに入り込んで邪魔することのできない物語を彼女は歌った。殺人犯に殺される女性の歌だ。
(写真:Masayo)
しかしアンコールのとき、事前にTwitterで大森靖子がリクエストしていた通りファンがピンクのサイリウムを振っているのを見たときには、彼女もすっかり素の表情になって喜んでいた。そして、「(サイリウムを)振るような曲がないんです」と言って、会場からは笑い声が。大森靖子は「共感」という言葉をあまり信じていないと、以前「MUSIC MAGAZINE」で取材したときに語っていた。しかし、当夜の大森靖子は自分自身に共感する人々を目の当たりにしたはずだ。会場を埋め尽くすほどの人数の。
(写真:金子山)
大森靖子と時代の波長とがシンクロするとき
大森靖子はアイドル好きを公言しているし、本人にもアイドル的な要素がある。たとえば、2013年4月3日にBiSと共演した映像は、彼女を一般的な「シンガーソングライター」と認識している人には違和感すら覚えさせるだろう。BiSと一緒に、メンバーのひとりのように歌い踊っているのだから。こういうこともしてしまう不思議なアーティストなのだ。
会場では、前述したアーバンギャルドの松永天馬のほか、カーネーションの直枝政広、神聖かまってちゃんのちばぎんとみさこにも会ったし、吉木りさやでんぱ組.incの夢眠ねむも来場していたという。大森靖子は、いつのまにか様々な界隈の人々から注目される存在になっていた。
そんな状況を見ていると、大森靖子と時代の波長とがシンクロするときが来るならば、彼女はより多くの人々の共感の受け皿となるかもしれないと感じる。「魔法が使えないなら死にたい」のジャケットが椎名林檎の「勝訴ストリップ」を連想させることに、なんともいえない胸騒ぎを覚えるように。
Twitterの140字で誰もが何かを語りたがる。女の子たちはスマートフォンで自撮りをしてはタイムラインに流し続ける。もはや中毒のように誰もがそれをやめられない。そんな時代に、大森靖子は非常に戦略的に「大森靖子」という作品を生み出そうとしてきたように見受けられる。彼女はインタビューでもなかなか本音を言ってくれないし、ICレコーダーを止めた瞬間に大事なことを言ったりするのだ。
そんな大森靖子がこのワンマンライヴを経て変わることがあるだろうか。いや、変わるのは周囲の受け止め方かもしれない。ともかく、このワンマンライヴの大盛況を経て彼女をめぐる環境が大きく変わっていくのは間違いないだろう。
(写真:Masayo)
ワンマンライヴの終了後には、新宿Motionでアフターパーティーが開催され、大森靖子は自身のバンド・THEピンクトカレフでまた歌ったという。半日もしない間にまたステージだ。大森靖子は、これからも機会さえあればあらゆる場所のあらゆる時間帯で歌うだろう。それが結果的に、彼女を次のステージへと押しあげていくはずだ。これまでの活動を総括したワンマンライヴによって、大森靖子が確実にひとつステージを上がったように。