「水素」を固体にして貯蔵する技術、化学工業分野に大きく寄与。九州大学などの研究
水素が注目されているが、九州大学などの研究グループが、固体状態にした水素を還元反応などに自由に使える形にする技術を開発した。有機合成や医薬品合成などに活用できる技術だという。
水素の利活用とは
政府は2023年末、脱炭素の次世代エネルギー源としての水素の普及に長期の資金補助を行うことを決定した。水素は、次世代エネルギー源への可能性のみならず、化学工業におけるアンモニアやメタノール生産などの還元剤や反応ガスとして、また半導体製造での雰囲気ガスとして、あるいは宇宙ロケットの液化水素燃料など様々な産業分野で利用されてきた(※1)。最近では、鉄鋼業で二酸化炭素排出を減らすため、水素を使った製鋼技術が注目されている。
地球上で最もたくさんある元素であり、燃やしても二酸化炭素を出さないなど、多くの利点のある水素だが、気体のままでは体積が大きく、取り扱いの危険性もある。
そんな水素に新たな利活用のための研究開発が発表された。
これまでも水素を液化して貯蔵する技術はあったが、より効率的に貯蔵、運搬するための「エネルギーキャリア」技術が求められている。九州大学などの研究グループ(※2)は、常温で水素から電子を抽出して貯蔵し、必要な時にいつでも有機合成や医薬品の合成に利用できる水素のエネルギーキャリアを開発し、化学系の学術誌で最も歴史と権威のある米国化学会誌に発表した(※3)。
水素還元による化学反応とは
高校時代の化学の授業で、有機化合物に芳香族と脂肪族があり、脂肪族にアルカン、アルケン、アルキンなどがあると習ったことのある人もいるかもしれない。炭素(C)の骨格に多重結合(二重結合、三重結合、四重結合以上は特殊)を含まない化合物を飽和化合物のアルカン、多重結合を含む不飽和化合物で二重結合がアルケン、三重結合がアルキンという、といったような内容だった。
有機化合物を使った産業分野は多岐にわたるが、二重結合のアルケンを結合が不安定な状態(シクロプロパン化、シモンズ・スミス反応)にする還元法は、医薬品、農薬、殺虫剤(蚊取り線香などのピレスロイド系殺虫剤)などの化学工業製品の製造に不可欠な化学反応だ。
しかし、この方法の還元剤には亜鉛(銅や銀との合金)などを使って反応させてきた。これらの還元剤の廃棄物による大きな環境負荷が問題になっているが、水素を還元剤に使うことができれば、この還元法による環境負荷を低くできる。
ところで、水素は、電子を一つ放出して陽イオンにもなるし、電子を一つ加えて陰イオンにもなる特殊な元素だ。陽イオンの水素をヒドロン(Hydron、プロトン)、陰イオンの水素をヒドリド(Hydride、ハイドライド)、電荷が対にならない状態を水素ラジカルという。
有機化学での還元反応は、ある物質が電子を受け取ることを意味するが、水素を還元剤として利用した還元反応には、陰イオンのヒドリドの水素を使う方法、水素原子(水素ラジカル)を使う方法、そして水素を電子源として使う方法がある。
この中で一般的なのはヒドリド法と水素原子法の二つで、最後の電子源として使う方法はまだ確立していない。つまり、水素の電子だけを取り出して貯蔵することができれば、エネルギーキャリアとして化学物質の製造現場に寄与できる。
常温で合成、常温で貯蔵
同研究グループは、水素を元素ではなく電子としてとらえ、多くのエネルギーを必要とせずに水素から電子を取り出し、固体として貯蔵できる技術を開発した。この技術は、同研究グループによる天然の酵素、ヒドロゲナーゼの還元システムを参考にした以前の研究成果(※4)から発展させたものだ。
ヒドロゲナーゼは、水素の合成や分解を触媒する酵素で、発見されたのは1931年とその研究は100年近い歴史がある(※5)。同研究グループは、ヒドロゲナーゼ酵素をもとにして研究してきたが、水素による触媒的なシクロプロパン化で電子を貯蔵する物質の選定がなかなかうまくいかず苦労したという。
電子の貯蔵触媒として無数にある金属イオンなどの候補を検討したところ、新しい水素エネルギーキャリアとして、イリジウム化合物を電子の貯蔵触媒として利用することに成功した。
このイリジウム化合物は、現実の実験室内で常温で合成でき、水素電子を固体状態で3カ月以上、常温で貯蔵でき、必要な時にその電子をシクロプロパン化の還元に利用することが可能という。
同研究グループが開発したシクロプロパン化反応は、固体状態で貯蔵し、運搬することができること、そして水素を還元剤として使うため、金属還元剤由来の金属廃棄物は排出しないことも大きな利点だ。また、この還元反応は、従来のシモンズ・スミス反応とは異なる現象によるものだという。
今回の成果は高価なイリジウムを使っているが、今後はより安価で豊富な資源である鉄を使う水素エネルギーキャリアの開発をしていくとしている。ちなみに、同研究グループは、すでにNiFe(ニッケル・鉄)ヒドロゲナーゼによる研究を進めている。
水素の本格的な利活用に関しては、まだ技術的、コスト的なハードルが高い。今回の成果は、水素の利用に大きく貢献することが期待される。
※1:Ram Ramachandran, Raghu K. Menon, "The International Journal of Hydrogen Energy" Vol.23, No.7, 593-598, 1998
※2:九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所/大学院工学研究院(小江誠司主幹教授ら)、近畿大学理工学部エネルギー物質学科
※3:Seiji Ogo, et al., "Cyclopropanation Using Electrons Derived from Hydrogen: Reaction of Alkenes and Hydrogen without Hydrogenation", Journal of the American Chemical Society, doi.org/10.1021/jacsau.4c00098, 11, March, 2024
※4:Seiji Ogo, et al., "A Functional [NiFe]Hydrogenase Mimic That Catalyzes Electron and Hydride Transfer from H2" Science, Vol.339, Issue6120, 682-684, 8, February, 2013
※5:Marjory Stephenson, Leonard Hubert Stickaland, "Hydrogenase: s bacterial enzyme activating molecular hydrogen" Biochemical Journal, Vol.25(1), 205-214, 1931