<ミャンマー>「民主化あきらめず前進を」 軍政に抗した老闘士が遺した言葉(写真10枚)
◆常に警察の尾行がついた
2月1日、ミャンマーでは国軍によるクーデターが起こり、国家顧問のアウンサンスーチーさんらが拘束された。市民は各地で抗議行動を繰り広げ、治安部隊の銃撃で死傷者が相次ぐ事態となっている。この国は半世紀以上もの間、軍事政権下に置かれてきた。自由を求める人びとは、弾圧に苦しんだ。軍政下にあった2010年、私はミャンマーの主要都市ヤンゴンで、民主化運動の老闘士、故ウィンティン氏を取材した。(玉本英子・アジアプレス)
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ジャーナリストのウィンティンさん(当時81歳)は、1988年にアウンサンスーチーさんとともに国民民主連盟(NLD)を立ち上げた中心的人物だ。政治囚として投獄され、19年の獄中生活を経て釈放された。出所後は刑務所での過酷な経験を執筆するなどの活動を続けた。彼の名は多くの市民に知られるほどだった。
私はウィンティンさんとヤンゴン市内の喫茶店で待ち合わせをした。彼には4人の私服警官の尾行がついていた。場所を移動しようと急いでタクシーに乗り込んでも、警官たちはバイクにまたがり、追いかけてくる。
「私はいつも監視され、どこに行ったか、誰と会ったか、すべて記録されるんです」。
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◆釈放後も囚人服の色、青を着る
彼は、いつも青いワイシャツを着ていた。青は囚人服の色で、自分は今も囚(とら)われの身であり、獄中にいる仲間を決して忘れない、との思いからだ。長期の独房生活では、眠ることも認められなかったり、食べ物が与えられなかったりすることもしばしばだった。何度も激しく殴打され、歯を失った。2000人にもおよぶ政治囚が拷問や虐待を受けてきた。
ウィンティンさんは私にこう話した。
「国軍が新たな政治体制を対外的に取り繕うとも、権力は手放さないだろう」。
政治について温和な口調で語りながらも、その眼光は鋭かった。
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◆「軍政は人びとを苦しめた」
窒息しそうな軍政下の社会のなかで暮らしていた市民もまた、民主化を願っていた。だが、逮捕を恐れ、反軍政的な言葉を表立って口にする人たちは少なかった。
ヤンゴン市内のある民家を訪れたとき、40代の女性が言った。
「軍政は人びとを苦しめ、暗い未来しか見えない」。
そしてベッドの下に隠していたアウンサンスーチーさんの写真を見せてくれた。
「私の心の灯火(ともしび)です」。
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その後、アウンサンスーチーさんは自宅軟禁を解かれる。形式上の民政移管が進められ、議会補欠選挙では、彼女が率いるNLDが圧勝。私は再びミャンマーに入り、歓喜に沸く市民を取材した。誰もが政治について自由に語り始めていた。しかし軍政に有利な憲法は変わらず、権力は温存されたままだった。
2014年、ウィンティンさんが病気で亡くなったとの知らせを聞いた。葬儀の際、棺に納められた亡骸(なきがら)は、青いシャツをまとっていたという。彼の遺(のこ)した言葉を思い起こした。
「すぐに民主化は実現しないだろう。私たちは何年も闘ってきたし、これからも闘うことになる。幾多の困難があっても、前進することが重要です」。
2月のクーデター後、軍は国民の統制に乗り出し、情報の遮断も始めた。ミャンマー全体が再び監獄のようになりつつある。弾圧に直面する人びとが、本当の意味で青い服を脱げる日は来るのだろうか。日本を含む国際社会は、人権状況に関心を寄せ続けるべきだ。
(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年3月30日付記事に加筆したものです)