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イスラエルのレバノン攻撃:誰の何のための「停戦」か?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2024年11月26日、アメリカのバイデン大統領はイスラエルとレバノンが「停戦」を受け入れ、レバノン時間の27日午前4時から「停戦」が発効すると発表した。今般の「停戦」については、レバノンだけが焦点となっており、イスラエルによるガザ地区やヨルダン川西岸地区での破壊と殺戮、シリア(場合によってはイラク、イエメン、イラン)への攻撃は今後も放任されるためこちらの状況はさらに悪化する可能性が高い。また、ガザの人民への支援を標榜してイスラエルと交戦していた(はず)のヒズブッラーが、ガザ地区での状況の改善に全く貢献せずに戦線から離脱してしまうことは、同党にとっても、同党が属する「抵抗の枢軸」陣営にとっても劇的な威信の低下につながるようにも見える。いずれにせよ、今般の「停戦」には学術的にも実務的にも、これにかかわったり、これを観察対象としたりすると、「停戦」が地域の平和と安定、特に人民の安寧につながることはあんまり期待できそうもない。当事者が単に「停戦」といえば、これまでの損害や遺恨が全部チャラになるわけでも、今後いかなる危険も負担も生じないわけでもないことは明らかなのだが、「停戦」の合意事項をちゃんと読んだ上で論評した報道や解説が乏しいようなので、以下で参考までに合意事項を列挙しておこう。なお、合意は様々な政府、機関が各々の言語・解釈で発信しているようなので、本稿では27日付の『シャルク・アウサト』(サウジ資本の汎アラブ紙)の記事を参照しておこう。なお、同誌を眺めている限り、今般の紛争について「ガザでアラブ・ムスリムの同胞が殺戮されるのに怒っているようではあるが、それがアラビア半島の産油国の為政者の怠慢への非難につながるのは嫌だ」、「「抵抗の枢軸」陣営が戦果を挙げ、威信を高めるのは嫌だけどヒズブッラーがイスラエルに被害を与えるのは何となくうれしい」という支離滅裂な姿勢で報じているようなので、同紙を基にした合意の訳と解釈についてもそういうものと思ってほしい。

1.「ヒズブッラー」(注:ヒズブッラーをかぎかっこでくくるのも原文の通り)とレバノン領の他の全ての武装集団は、今後イスラエルに対するいかなる攻撃的活動もしない。

2.イスラエルは、上記に対し今後レバノンの陸、空、海の標的に対するいかなる軍事的・攻撃的活動をしない。

3.イスラエルとレバノンは国連安保理決議1701号の重要性を承認する。

4.両当事者は、国際諸憲章の枠内で自衛権を保持する。

5.レバノンの公式な治安部隊・軍事部隊は、南レバノンで武器の保有と武力の行使が許された唯一の武装機関である。

6.レバノンでの全ての武器とその関連物質の販売と生産は、今後レバノン政府の監視・統制下に入る。

7.武器とそれに関する物質の生産についての違法な施設は、全て解体される。

8.これらの遵守事項に反する社会資本、軍事拠点は今後解体され、違法な武器は没収される。

9.これらの遵守事項の実施の保証を監督・支援するため、イスラエルとレバノンが受け入れる委員会を編成する。

10.イスラエルとレバノンは、これらの遵守事項に違反する可能性のある事項を前項の委員会とUNIFILに通知する。

11.レバノンは、今後展開計画に沿って公式な軍と治安部隊を境界沿い全体、通過地点、南部地域を規定する線に展開させる。

12.イスラエルは、60日の間にブルー・ライン(注:レバノンとイスラエルとの境界線)まで段階的に軍を撤退する。

13.アメリカは、イスラエルとレバノンとの間の陸上国境画定のための間接交渉を推進する。

 イスラエルにとって重要そうなのは、4.7.8.項あたりで、同国が主観的にこれに反すると判断した場合、11.項なんて全く意に介さずにレバノンどころかシリアもイラクもイランも攻撃しそうだ。もちろん、イラクに駐留し、シリア領を不法占拠するアメリカも陽に陰にそれに手を貸すだろう。今般の紛争はガザ地区、ヨルダン川西岸地区、レバノンという寸土でイスラエルとハマースやヒズブッラーという「テロ組織」が交戦しているという矮小なものではなくアメリカ・イスラエル陣営と両国の派遣に抵抗しようとする諸当事者の連合である「抵抗の枢軸」陣営との争いなので、紛争を狭い地域、少数の当事者ごとにバラバラにして、個別に「停戦」なり「和平」を押し付ければそれで物事が解決するなどというらくちんなものではない。もちろん、「抵抗の枢軸」陣営はアメリカ・イスラエル陣営と全面的に交戦して勝てるはずがないことは十分承知なので、紛争を一定の「ルール」の範囲内に抑制しようとしてきた。これが、2023年10月7日以来のいろいろな場所での「前代未聞」の行為によって全く機能しなくなったので「抵抗の枢軸」陣営の選択肢はどんどん狭まっていた。しかも、「抵抗の枢軸」陣営はあくまでアメリカ・イスラエル陣営に抵抗することに利益を見出す諸当事者の連合であり、各当事者は別に他の当事者のために自らの利益を犠牲にしたり、自らの存亡を賭して決起したりする義理はない程度の強固な団結力を誇る。もちろん、当事者の一つが他に何の断りもなしにアメリカ・イスラエル陣営の方に「転んだ」のならば相応の報いは受ける。今般の「停戦」の場合、事前にイラン・ヒズブッラー・シリア・レバノン・イラクでそれなりの意思疎通があり、ハマースやパレスチナ・イスラーム聖戦(PIJ)も合意への支持を表明しているので、レバノン(注:レバノン政府は「抵抗の枢軸」の当事者ではない)やヒズブッラーが勝手に受け入れたというわけでもなさそうだ。

 ヒズブッラーにとって大事に見えるのは、合意の5.6.11.項あたりだろうか。ヒズブッラーはレバノンの議会に議席を持ち、政府に閣僚を輩出するれっきとした与党である。そのため、同党がレバノン国家の主権やレバノン軍の権威と役割を認めるのは当然のことだ。しかし、多数の宗教・宗派共同体を政治的権益の配分の単位と化し、国家にとっての重要決定事項で個々の共同体に拒否権を求める政治体制をとるレバノンで、総論賛成、各論や個別の決定で断固反対となる問題はヒズブッラーに関する問題だけではない。他所の誰かが無償でやってくれない限り(注:そんな便利な主体は現世には存在しない)、ヒズブッラーの武装解除や拠点の解体や拠点や施設の再建の阻止ができない可能性がかなり高いということだ。

 こうして考えると、今般の「停戦」で重要なのは広域的な紛争の局地に過ぎないレバノンに対するイスラエルの攻撃がとちょっとでも止まるというところに限られる。紛争によってもたらされた破壊と殺戮からどのように復興するのか、多数の避難民をどうするのかという問題、ガザ地区をはじめとするパレスチナ人民の人道問題をどうするのか、紅海やバーブ・マンダブ海峡の航路の安全をどうするのかという問題、レバノンやイラクでの政治的権益配分の仕組み、そしてイスラエルによる侵略と占領などの重要問題が、相互に連関していることすら世の中では十分理解されていないようだ。これらをまとめて解決することの難易度は極めて高いが、局部だけ分離して変な処置を施そうとすると、「アクサーの大洪水」攻勢のようなとんでもない場所と形で症状が悪化することを、人類は経験済みだ。今般の「停戦」が当座の対症療法、局所麻酔程度のものであることをよく理解し、地域の平和と安定に向けた普段の取り組みを怠らないことこそが大切だし、それは紛争によって少なからず影響を受けている本邦も主体的にかかわるべきことだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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