北朝鮮で何が起きているのか!? 異例の党軍事委員会の頻繁な開催と軍総参謀長の交替!
北朝鮮でまたまた、労働党軍事委員会拡大会議が開かれた。党軍事委員会委員長でもある金正恩(キム・ジョンウン)総書記の出席の下、9日に党中央軍事委員会第8期第7次拡大会議が行われたのである。
党軍事委員会拡大会議の開催は今年に入ってすでに4度目である。この種の会議が年に2度開かれることはあっても、4度となると、極めて異例である。ちなみに一昨年は2月と6月の2度、昨年は6月の1度しかなかった。
軍事会議を頻繁に開いて、一体全体何を話しているのだろうか?北朝鮮ウォッチャーならば、大いに気になるところである。
北朝鮮の報道を検証すると、1回目の会議(2月6日の第8期第4次全拡大会議)では軍の作戦戦闘訓練の強化と軍隊内務規定が討議され、2回目(3月11日の第8期第5次拡大会議会議)は3月13日から始まる米韓合同軍事演習を警戒し、その対応を協議するための会議であった。
その1か月後の3度目の会議(4月10日の第8期第6次拡大会議)では「戦争抑止力を攻勢的に拡大する」ことについて論議され、朝鮮中央通信は拡大会議では米韓が「『平壌占領』と『斬首作戦』という好戦的な妄言まで露骨に流し、我が共和国との全面戦争を想定した大規模合同軍事演習をヒステリックに強行している」として、「それに対処する防衛力と戦争準備を一層完備するための重要な軍事的問題を討議した」と伝えていた。
そして今回の4度目の会議(第8期第7次拡大会議)では「敵対勢力の無謀な反朝鮮軍事的対決行為が一層露骨になっている現在の情勢は、我が軍隊のより主動的かつ能動的で、圧倒的な戦争対応意志と徹底して完全な軍事的準備態勢を必要として提起している」として、「有事の際、敵の攻撃を圧倒的な戦略的抑止力で一挙に無力化させ、同時多発的な軍事的攻勢をかけるための確固たる戦争準備態勢を整える問題が重要議題として討議された」(朝鮮中央通信)とされている。
会議終了後には金総書記が党中央軍事委員会で討議、決定した重大な軍事的対策に関する命令書に署名したようだ。
軍事分野に関して重要な事項が話し合われたことは疑いの余地もないが、おそらく3月の会議と同様に今月21日から韓国で行われる夏恒例の米韓合同軍事演習「乙支フリーダムシールド」(UFS)に備えたものであることは言うまでもない。
昨年の「UFS演習」は2段階に分けて行われ、第1段階では北朝鮮の攻撃を撃退、防御する訓練が、第2段階では反撃に重点を置いた訓練が実施されていた。また、北朝鮮との局地戦、全面戦に備えた国家総力戦の遂行能力も試すため訓練、即ち現実的に起こり得るシナリオを想定した訓練も同時に行われていた。
米韓連合軍は「北朝鮮の核と大量破壊兵器(WMD)の脅威に対する抑止、対応のための防御演習である」と主張しているのに対して北朝鮮はその都度、「我々に対する軍事的な侵攻を前提にした冒険的な北侵実戦演習」と反発している。
今朝、北朝鮮が配信した写真を見ると、金総書記は軍事委員やオブザーバーとして出席した陸・海・空及び前線司令官らに対して朝鮮半島の地図の中のソウル及び韓国の陸海空軍本部が集結している忠清南道・鶏龍市一帯と推測される地域を指さし、何かを指示している様子が映し出されていた。
戦争決定・遂行最高機関である党軍事委員会が頻繁に開かれていることと同様にもう一つ軽視できないのが陸・海・空を束ねる人民軍総参謀長が朴寿日(パク・スイル)大将から党軍事委員会副委員長の李永吉(リ・ヨンギル)次帥に交替したことである。
李次帥は過去に2度、軍総参謀長に選出されている。1度目は2013年8月で、2度目は2018年である。
1度目の解任時(2016年2月)は韓国で「軍内に軍団長から派閥をつくり、分派活動をしたとの理由で銃殺された」(「聯合ニュース」)と韓国で大々的に報道され、大騒ぎとなった。2018年に返り咲き、2019年9月に再度解任されたが、3か月後の12月に党中央委員会第一副部長(軍事担当)に転出していた。
それ以降、李次帥は2021年1月の党第8回大会で日本の警察庁にあたる社会安全相に、半年後の7月には国防相、そして昨年12月の第8期第6回総会拡大会議で党軍事副委員長に選出されていた。軍総参謀部作戦局長を歴任した李次帥は金正恩政権下で頭角を現した作戦通の将軍である。
軍総参謀総長は金正恩政権下(2012~)では李英鎬(リ・ヨンホ)→玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)→金格植(キム・ギョンシク)→李永吉(リ・ヨンギル)→李明秀(リ・ミョンス)→李永吉→朴正天(パク・ジョンチョン)→林光日(リム・グァンイル)→李太燮(リ・デソップ)→朴寿日→李永吉で延べ11人目である。直近の4年間では5度交替している。
なお、野戦軍の第1軍団長から昨年12月の党中央委員全員会議拡大会議で総参謀長に抜擢され、僅か8か月で解任された朴寿日大将の転出先は不明である。また、この日の会議には昨年4月に党軍事委員会副委員長と党書記(軍事部門担当)の任を解かれ、「粛清説」が取り沙汰されていたかつて軍No.1の地位にあった朴正天(パク・ジョンチョン)次帥も出席していた。