イースターの復活と希望:科学や医学は命を救えるか:新型コロナとの戦い方
■イースター復活祭おめでとう
2020年は、4月12日(日)がイースターです。日本でも、だんだん「イースター」が有名になってきました。
イースターとは、キリスト教のお祭り、「復活祭」です。
イースターの日は、その年によって違います。春分の日のあとの満月の後の最初の日曜日が、イースターです。
イースターといえば、ウサギや卵ですが、ウサギは子供をたくさん産むから、卵は石みたいなのに命が生まれるからということで、復活の象徴になったようです。
イースターは、キリスト教にとっては、実はクリスマスよりも大切な日です。
クリスマスは、イエス・キリストの誕生をお祝いする日ですが(イエス・キリストの誕生日ではないですが)、もしもキリストが生まれて、いろいろ良い話をしてくれて、それで亡くなっていたら、キリスト教は始まりませんでした。
イエスが死んで復活したからこそキリスト(救世主)になり、キリスト教は誕生しました。
■イエス・キリストの物語:死と絶望、復活と希望
人は死を恐れます。それでも現代人は、普段は死を意識しないのですが、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、今年は現代人も死を意識し始めています。
生物的な死があり、社会的な死があります。全てが終わりになり、なくなってしまうのが、絶望であり、「死」です。
しかし、物語の中では、しばしば復活が描かれます。死んだと思った主人公のヒーローが実は生きていて、最後の最後にヒロインを救い出す話などは、たくさんあります。
もうダメだ、おしまいだ、絶望だと思う中で、大逆転、大復活が起こり、全てが覆されてのハッピーエンド。これは、物語の定番です。
イエス・キリストは、ローマ軍によって逮捕され、十字架にかけられて死刑になります。十字架は、18世紀のギロチンと同じように、古代の死刑の道具でした。
ローマ帝国による死刑ですから、死亡がきちんと確認されます。いくら2000年前とは言え、ローマ帝国は甘くありません。キリストの遺体は、ミイラのように、布でグルグル巻きにされ、洞窟型の墓に納められます。
キリストは生前、復活を話していたので、ローマ軍は墓の入り口を大きな石で塞ぎ、ローマ帝国の名によって封印し、ローマ兵を見張りに立たせました。
ところが、3日後に弟子たちが墓に行ってみると、石はどけられていて、墓の中には布だけが残っていました。
この布が現在も残っていて、「聖衣」とされていますが、本物かどうかはわかりません。常識的には偽物でしょうが、様々な科学的検査が繰り返され、議論が重ねられています。
さて、聖衣どころか、常識的にはキリストの復活自体が現実的ではありません。様々な議論がされていますが、キリストは仮死状態だったという人もいますが、墓の中で意識を取り戻したイエスが、一人で布を取り、石をどけ、兵士をやっつけるのは考えにくでしょう。
弟子が来て遺体を盗んだという説もありますが、ローマ帝国の封印を破るのはローマ帝国に逆らうことですから、キリストが十字架にかかってバラバラになった弟子たち、そんな力があったとは考えにくいという人もいます。
キリストの復活は、実際の復活ではなく、キリストの思い出が心によみがえったのを、弟子たちが復活と表現したのではないかという説もあります。もっともらしいですね。
けれども、イエス・キリストの弟子たちがギリシャに伝道に行ってキリストの話をしたときに、合理的思考が好きだったギリシャ人たちは、キリストの哲学には興味を示しても、復活の話になったら去っていったという話があります。
もしも、キリストの復活が心の復活だったなら、弟子たちはギリシャ人にそのように話せばよかったでしょう。
さて、歴史が示しているのは、イエス・キリストが人々に教えを伝え、十字架で死んで、弟子たちは散り散りになって力を失い、ところがその数週間後には再び力を得て、信者の大きな集まりになっていったことです。
ローマ帝国に迫害された弟子たちは、キリストの復活を否定するように迫られましたが、多くの弟子たちがそれを拒み、処刑されていきました。そして、ローマ帝国の最も辺境の地で生まれた小さな宗教団体は、300年後にはローマ帝国の国教となっていったのです。
歴史の中の大きな死、絶望と、そして復活、希望です。
イースターは、死からの復活を示す希望のお祭りです。キリスト教徒にとっては、自分たちの死も終わりではなく、絶望ではありません。これが、イースターの復活の思想です。
「私(イエス・キリスト)が道であり、真理であり、命なのです」
■科学と命
死の恐怖と戦う方法の一つが、宗教や哲学、様々な思想です。もう一つが、医学であり、科学技術です。
海を越えて遠くの国へ行ってみたいけれども、船が沈んで死ぬのは怖い。ではどうすれば良いのか。科学技術を高めて、決して沈まない不沈船を作れば良いのです。
そうして作られたのが、タイタニック号でした。タイタニックは、当時の最新技術で作られた世界最大の豪華客船でした。タイタニックは、今の技術から見ても、優れた船です。
しかし、その結末はご存知の通り。処女航海で沈むというドラマチックな最期でした。
私たちは、100年前にタイタニック号は沈まないと思っていた人々を、科学技術の過信だと偉そうに論評して来ました。
けれども阪神淡路大震災では、横倒しになった高速道路を見ました。こんなことが日本で起こることが信じられませんでした。
東日本大震災では、絶対に壊れなと思っていたスーパー堤防が破壊されました。自然災害で何万人もの人が亡くなるなんて、そんなことがまだ起こるのだと、誰が予想していたでしょうか。
そして今、新型コロナウイルスの蔓延です。誰もいなくなったパリやニューヨークの風景は、まるでSF映画の地球最後の日の風景のようです。こんなことが現実に起こることを、どれだけの人が予想していたでしょうか。
この21世紀の先進国で、薬もない感染症が流行し、死体袋が並ぶことがあるなんて、どれほどの人が現実的に予想していたでしょうか。
科学は進歩しました。科学技術は目まぐるしく進歩しています。テクノロジーは、驚くほど進んでいます。しかしそれでも、事故で人は死にます。災害で人は死にます。人の命を奪う新しい病気が、次々と現れれるのです。
■死と復活と私たちの希望
タイタニック号が沈んだ後も、私たちは船を作り続けました。ジャンボジェットが墜落した後も飛行機は飛びます。阪神淡路も復興しています。東日本大震災の被災地も、復興の道を歩んでいます。
事故や災害があるたびに、徹底した科学的調査が行われ、乗り物も建物も、年々安全が増していきました。
私たちは今日も海を渡り、空を飛びます。亡くなった人の思い出を胸に。二度と事故を起こさないことを誓って。
新型コロナウイルスとの戦いは始まったばかりです。この後も、次々と新型ウイルスは襲って来るでしょう。その度に、私たちは「3密」を防ぎ、新しい薬を作っていきます。どんな巨大な災害が襲ってきても、私たちはまた立ち上がります。
私たちには、復活の思想が必要です。思い出の場所が破壊され、最愛の人を失ったとしても、それでも希望を失わず、死を受け入れ、絶望を乗り越え、必ず私たちは復活するのだという希望です。
希望は悲しみの涙から、怒りのうめきから生まれます。絶望の底に、希望の光が灯ります。
非常事態宣言がなされましたが、春が来ました。桜が咲きました。花見はできなくても、そんなこととは無関係に、桜は見事に咲きました。
私たちは新型コロナウイルスに勝利できる。その希望を持って、非常事態を乗り越えていきたいと思います。
混乱の中ではありますが、「イースターおめでとう」。