広島の「被爆樹木」種がオスロ植物園へ寄贈される
広島原爆を生き延びた「被爆樹木」の4種類の種が、ノルウェーのオスロ植物園に寄贈された。
寄贈式は、10日のノーベル平和賞授賞式前日に開催された。
オスロのトイエン地区にある植物園は、人気の観光スポットであるムンク美術館から徒歩2分ほどで着く。無料開放された大きな庭となっており、地元民の憩いの散歩エリアとしても知られている。
この日の気温は4度ほどで、地面には雪がひっそりと残っていた。
寄贈式には広島・長崎の両市長、日本被団協から長崎の被爆者の田中熙巳代表委員、広島の被爆者の藤森俊希事務局次長、広島・長崎からの被爆者20名が参加した。
オスロ市からは、日本でいうと都知事にあたるレイモン・ヨハンセン氏(オスロ市議会の行政部リーダー)が代表として参加。植物園を所有するオスロ大学学長と自然博物館の館長も足を運んだ。
ノルウェー、日本、ドイツなどからのメディアも数多く駆け付けた。
筆者は急きょ、植物園側に頼まれて、日本やノルウェーメディアの通訳のお手伝いなどもすることに。
広島の原爆を生き抜いた樹の種がオスロの地に埋められることは、地元の通信社や最大手紙アフテンポステンなどでも事前に報道されていた。
国営放送局NRKやTV2なども取材に駆け付け、被爆者らに被爆体験を聞いていた。
ノルウェーの記者たちが被爆者を取材する場には、筆者はこれまで何度か立ち会わせ、通訳もしたことがある。目の前で被爆体験を直接聞くのが初めてのノルウェー人記者ばかりなので、対面で聞くエピソードには誰もが大きな衝撃を受けるようだ。
被爆者である斎藤政一さん、長曽我部久さん、橘英子さんはノルウェー国営放送局NRKのネット記事で、田中熙巳さんは夜のニュース番組で紹介された。
寄贈式での代表者からのスピーチは英語と日本語でおこなわれた。
広島の松井市長は、「近い将来、この種がオスロ市民の皆さんに愛されながら、平和の象徴としてこの地に根付き、その成長と共に、核兵器廃絶に向けた機運が高まるとともに、私たちの平和への思いが広く、長く、共有されることを願ってやみません」と述べた。
オスロ市の代表として、ヨハンセン氏(労働党)は、「これからの平和に向けて、政府の動きだけでは足りず、市民社会の動きが大きな意味をなしてくる。国境を越えて、一緒に進んでいこう」。「たくさんの木に溢れたオスロに、広島の種が加わることを嬉しく思う」と述べた。
核のない世界へ向けてオスロでも変化
ノルウェーは保守派の右派政党が政権を担うが、自治体レベルでは首都オスロでは左派政党らが権力を握る。
2015年の地方統一選挙で勝利した左派陣営が結成後、マリアンネ・ボルゲン市長(左派社会党)はすぐに平和首長会議に加盟した。
被団協の藤森さんはその選挙前にもオスロを訪れていた。前任の市長に平和首長会議へ加盟するようお願いしていたが、当時のスタング元市長(保守党)は加盟をやんわりと拒否していた。筆者はその場に居合わせていたのだが、右派から左派へと変化した、オスロの核に対する姿勢は今と数年前では異なる。
被爆樹木の種は、植木鉢へと植えられたが、今後は植物園で育てられ、いずれはオスロの公共地域に植えられる予定とのこと。
Photo&Text: Asaki Abumi