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龍谷大平安、38回目の春に満願成就

森本栄浩毎日放送アナウンサー
センバツを制したのは、春夏通算70回目の甲子園という名門・龍谷大平安だった

「選手たちを褒めてやってください!」優勝が決まった直後のインタビューで龍谷大平安(京都)の原田英彦監督(53)は絶叫した。それほどまでに、選手たちの頑張りが際立った決勝戦だった。スコアは6-2だが、試合を左右したのは終盤のわずかな差だった。

秋の悔しさをバネに

近畿勢同士のセンバツ決勝は実に35年ぶり。大阪と京都の対戦は初めてだった
近畿勢同士のセンバツ決勝は実に35年ぶり。大阪と京都の対戦は初めてだった

決勝は平安が主導権を握る。上り調子の1番徳本健太朗(3年)がいきなり三塁打を放った。昨年もレギュラーだったが大会前から調子を落とし、試合には出られなかった。「真面目な子でね。打てないと考え込むんですよ」と原田監督は大舞台で本来のパフォーマンスを発揮できない実力者を心配していた。今大会も、滑り出しからパッとしなかったが、前日の佐野日大(栃木)戦で自信を取り戻していた。この一打で勢いづいた平安打線は、履正社(大阪)の2年生エース・溝田悠人を追い詰める。しかし、平安の先発・高橋奎ニ(2年)も前日の完投の疲れがあったか、いつものキレを失っていた。中盤まで平安が先手で攻めるが、履正社もよく食い下がった。原田監督が早めに動く。大会直前に出場選手登録した元氏玲仁(もとうじ れいじ=2年)をマウンドに送った。元氏は、昨秋の京都決勝で先発して好投した。その時点で最も期待されていた投手だったが、近畿大会の直前にケガをした。「一番大事なときに」と原田監督を失望させたが、3月に入ってからの頑張りでチャンスをつかんでいたのだ。そのため元氏は、近畿大会準決勝の履正社戦(11-7で平安の勝ち)に登板していない。初対戦の履正社打線は戸惑っていた。「昨日、高橋には『ナイスピッチング』と声を掛けました。でも僕らの代になったら、どっちが背番号1を取るか、という気持ちでやっています」とライバル心を見せる。元氏は原田監督の期待に応えた。

エースの気迫で圧倒

決勝戦のヤマは8回に訪れる。元氏に疲れが見え始め、投手交代で原田監督の目算が狂った。犬塚貴哉(3年)が緊張のあまり我を失い、アウトがとれない。絶体絶命のピンチで背番号1の中田竜次(3年)をマウンドに送らざるを得なくなった。満塁でボールツーからの救援は、あまりにも酷だ。しかしここで名門の背番号1が真価を発揮する。いきなり初球がボールで追い詰められても、中田は冷静にカウントを整える。最後は外のスライダーに永谷暢章(2年)のバットが空を切った。そして今大会のラッキーボーイ・1番の辻心薫(もとまさ=3年)も投ゴロに抑えた。「絶対に抑えてやろうと。気持ちで投げました」と中田の気迫が履正社を圧倒する。放送席では、解説をお願いした浜松開誠館監督の磯部修三氏(浜松商で優勝経験)が、「さすがは名門の背番号1」と唸った。永谷の打席で点が入っていたら、平安は押し切られたかもしれない。それくらい試合を左右する場面だった。その流れが9回表の河合泰聖主将(3年)のダメ押しアーチにつながる。涙で顔をくしゃくしゃにしてベンチに戻った河合は、「みんなが打たせてくれた」と仲間に感謝した。この瞬間、平安の優勝は決まった。

新チームの転機

新チーム結成当初の平安は主将も決まらずに意見の衝突もあった。河合は、抽選会前日に行われたキャプテントークのアンケートにも、「自分のことしか考えない人が多く、苦労した」と書いていた。皆がひとつになるきっかけは、秋の府大会決勝での原田監督の涙だった。飛球を追ったライトの石原遼大(3年)がフェンスに激突して退場した。足を骨折する大ケガだった。試合も福知山成美にリードを許す展開。「チーム全体が沈んでいたんでね、『おまえらこのまま終わるんか』と檄を飛ばしたら、あれよあれよという間に逆転したんですわ」と原田監督。この試合の後、「ようやった」と言ったとたん、指揮官の目に涙があふれた。「秋の早い時期からこんな力があるんやなと感動しました」。原田監督は、このチームが本気で日本一を狙えると確信した。

優勝旗を手にした平安の選手たちは応援団席へ胸を張って行進した
優勝旗を手にした平安の選手たちは応援団席へ胸を張って行進した

そしてことあるごとに「日本一を狙う」と公言し、有言実行してみせたのである。ケガをした石原も、記録員として優勝の喜びを分かち合った。

名門の矜持を胸に

河合にはもうひとつ忘れられない思い出がある。昨春のセンバツ、初戦で早稲田実(東京)に逆転負けを喫してグラウンドから引き上げるときのことだ。スタンドから「原田、お前ではもう無理や」という心ないヤジがとんだ。これに原田監督が激高し、選手たちは震え上がった。思わぬ光景を目の当たりにした河合は心に誓っていた。「監督さんは本当に悔しかったと思います。だから、絶対優勝をプレゼントしたい」と試合前取材でも繰り返していた。優勝の報告に、3塁アルプススタンドがどよめき、揺れる。その前で、原田監督が3度、宙に舞った。そして河合の肩を抱いた監督の手には、ウイニングボールがしっかりと握られていた。平安としては昭和31年の夏以来、58年ぶりの甲子園優勝。そして昭和23年の京都一商(現京都市立西京=さいきょう)以来、66年ぶりの京都勢のセンバツ優勝。その空白期間は意外なほど長い。

インタビューで原田監督は、OBに感謝し、選手たちを褒めた
インタビューで原田監督は、OBに感謝し、選手たちを褒めた

常日頃、原田監督は名門校ならではの宿命と戦ってきた。先述のようなヤジはしょっちゅうだと言う。と同時に「京都はウチが強くないとダメなんです」と名門としての矜持も忘れていない。「いろんな人が応援してくれて、期待してくれました。やつらは本当によくやってくれました」原田監督は、声を限りに選手たちを称えた。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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