誤報検証で取材すべき先は
iPS細胞の世界初の臨床応用例だとして読売新聞等が報じた件(元記事は既に削除されているようだ)は、その後一転して誤報騒ぎとなった。件の人物は、今やスキャンダルの主としてマスメディアの注目を一身に集める存在となっている。
「iPS移植、5件「ウソ」…森口氏が記者会見」(読売新聞2012年10月12日)
京都大学山中教授がノーベル賞を受賞してなんだかおめでたい気分だったのに、一気に水をさされたような状況だが、あちこちのメディアの取り上げ方がどうも気になる。
マスメディアは、件の人物の記者会見に詰めかけて、発言の矛盾点やら虚偽やらを突き止めようと躍起になっているようにみえる。特にテレビは、ここぞと記者会見の模様を何度も何度も何度も何度も(しつこいが本当に何度も流していてうんざりするのだ)流していて、ああこういうのはよほどメディア的においしいネタなんだなあということがよくわかる。
「検証「iPS移植報道」森口氏、治療の事実なし」(読売新聞2012年10月13日)
「森口氏、手術めぐる説明訂正=「うそと言えばうそ」、謝罪も-iPS治療、虚偽濃厚」(時事通信2012年10月14日)
「森口氏“つい勢いでウソをついた”」(NHK2012年10月14日)
もちろんこういう作業も必要ではあろうと思うのだが、こればかりがクローズアップされる状況はあまりよろしくない。本来この件は、ノーベル賞がらみで特にiPS細胞に注目が集まっていた時期であるという面を除けば、一個人による研究成果の捏造やら経歴の詐称やら(の疑い)といった、学界では(残念ながら)ときたま起きる、はっきりいってあまり大きく取り上げるほどのこともない事件だ。
件の人物が言っていることの多くが根拠を欠くらしいということは、すでに概ね判明したといっていいだろう。どうせ学術的な検証は素人である記者たちがいくら問い詰めてもできるわけがないのだし、記者会見で彼をこれ以上一生懸命問い詰めても、さして有益な情報は得られまい。報道を見ると、件の人物は実際に一時東大やハーバードにも在籍はしていたようだし、今も東大の研究プロジェクトに参加しているようだから、この業界の人物ではある。強いていえば、どこかで根拠の薄い「治療」などをして健康被害などを引き起こしていないかといった点など気になるところもあるが、そのあたりも含め、アカデミックコミュニティが中心となって検証していくべき問題だと思う。
「助成1億6千万円…森口氏参加の研究調査へ 内閣府」(産経新聞2012年10月14日)
むしろ報道の皆さんが検証すべきは、マスメディアの中にある。
元となった「大スクープ」は、読売新聞や共同通信などが報じたものだ。取材した記者もサラリーマンであり、人事異動などもあるから、当該分野の専門知識は正直あまり期待できないだろうが、担当となればある程度は勉強しているはずだし、そもそも裏づけ取材をきちんとしていれば、どこかで「これはおかしい」と気づく機会はあったはずだ。さらにマスメディアでは、記者が書いた原稿をデスクなどがチェックする。当然、この記事もチェックを通って公表されたのだろう。となれば、今回そのチェック体制もきちんと機能していなかったのは明らかだ。どの記者が取材し、記事を書き、そして誰がどうチェックして記事になったのか。何を根拠にこれでいいと判断したのか。このプロセスこそ、マスメディアが検証すべき問題ではないだろうか。
「論文・動画、記者にメール…東大病院で取材」(読売新聞2012年10月13日)
読売新聞は記事にするまでの経過をそこそこ詳しく記事にしているが、記者名は出ていないし、細かいところはやはりわからない。企業としてやったことだから氏名は出さないということかもしれないが、既に削除された元記事の中には署名入りのものもあった。報道の皆さんは当該記者や担当デスクに記者会見を要求したらいいと思う。学界のしくみにはうとくても、こちらは同業界だからどこまでも深く突っ込んだ質問ができるだろう。件の人物をあれこれ問い詰めて何のビザだったみたいなどうでもいい証言を引き出そうとするより、報道のプロセスをあらゆる角度から徹底的に検証した方がはるかに有意義だ。
「森口氏の記事、読売6本掲載…5本で詐称の肩書」(読売新聞2012年10月14日)
この記事で読売は、自社だけでなく、ごていねいに他社ではどう取り上げているかも検証して報じているが、当然こういう相互チェックはあった方がいい。ぜひマスコミ各社は、サンゴの傷を捏造した会社も企業合併で大誤報を飛ばした会社も含め、読売や共同を取材するだけではなく、自社をチェックしてほしい。もちろん他の会社もだ。この人物についてだけではなく、他の科学関連記事も、潜在的には全ての記事がチェック対象となろう。
というのも、これは個別の失敗の問題として論じていればいい話ではないからだ。
「ハインリッヒの法則」と呼ばれる経験則がある。元は労働災害についていわれたものだが、リスクマネジメントの分野では広く使われる考え方で、簡単にいえば、1つの重大事故があれば、その背後には29の軽微な事故があり、そのまた背景には300の事故寸前の「ヒヤリ」状況が存在する、というものだ。ふだんから「ヒヤリ」の状況に目を配っておくことで、重大事故を起こさないようにしようということだが、逆にいえば、重大事故が起きたときにはたいてい、それ以前に小さい事故やヒヤリ状況が多数発生している、ということになる。数字はともかく、報道の現場にもこうした経験則はあてはまるものだろう。つまり、こうした重大な誤報が生じうるとすれば、それ以前に小さな誤報や誤報寸前の「ヒヤリ」状況が多数起きていると考えるのが自然だ。そしてそこには、組織的、構造的な問題があることが多い。表面化していないだけで、トラブルはすでにいろいろ起きているかもしれない。となればそれを検証することが必要だろう。
こんなことを書いていると、ああお前もマスメディア叩きの一派かという声も聞こえてきそうだが、そうではない。私はむしろ、こういう誤報騒ぎをネタにしてここぞとマスメディア叩きを繰り広げるのは正直いかがなものかと思っている。もちろん誤りは修正されるべきだし、彼らが自ら負うと宣言している社会的責任を考えれば謝罪みたいなこともあってしかるべきだろうとは思うが、だからといって、だめだだめだと言ってばかりいるのも生産的ではない。
むしろ今回のケースは、誤報を流すというミスは犯したものの、他社や世間のチェックが効いたために迅速に修正されたケース、ととらえる方が健全ではなかろうか。こういったミスは、どの会社にも何かしらある。発生を防ぐのが一番だが、もし起きてしまった場合にいかに迅速に対応し、事態を収拾するかの方がよほど大事だ。少なくとも今回のケースでは、誤報によって誰かが直接的に大きな被害を被るようなことはなかったように思う。事実は概ね明らかになったようだし、そろそろ意識を今後の報道のあり方みたいな部分に振り向けた方がいいように思う。
マスメディアも昨今は予算が厳しくなったりしているのだろう。じっくり時間をかけ、たっぷりコストをかけていける状況ではないのかもしれない。ただ「ちゃんとやれ」と言っていても始まらない。「迅速に修正されたのだから健全ではないか」と主張するのはそのためだ。これまでは、マスメディアは正確な情報こそが命で誤報など絶対に許されない、という考え方が半ば当然とされてきたように思うが、現実にはそんなことは不可能だ。誤りは常にありうる。予算に制約があるならなおさらだ。だとすれば、ミスが生じにくいように努力することは前提としても、仮にミスが生じても、それが具体的な被害を生まないようなしくみになっているかどうかを考えることが重要になってくるのではないか。
マスメディアの報道は、他社によって常に検証されうる状況にある。さらに今は、ネットにあらゆる分野の専門家たちがいて、自分の分野でおかしな報道がされれば、たいていの場合、たちまち異論が上がる。だとすれば、たとえあるメディアが誤報を発してしまっても、内外の目で検証され、誤りが迅速に修正されれば、全体としてメディアへの信頼性は守られる、ということになるのではないか。過剰に問題視することは、かえって隠蔽その他の悪影響を生み出しかねない。
情報技術とネットの発達は、メディア空間におけるマスメディアの絶対的な優位を崩した。マスメディアを批判する人は、マスメディアに対して非常に高い期待を押し付けていることが多い。実際、その影響力の大きさを考えれば、マスメディアの責任はまだ相当に重いものだろう。しかし、インターネット、とりわけソーシャルメディア上でのさまざまな人々の活動が情報の発信及び流通にそれなりの役割を果たす状況となった今、誤報の検証も、マスメディアだけに責任を押し付けていればいいという時代ではもはやない。マスメディア報道の信頼性は、各社が個々に取り組むべき問題ではあるものの、最終的には私たちみんなで保てばいい、と考えてみてはどうだろうか。ネットにつながった私たちは、単なる情報の受け手ではない。それもまた、メディアリテラシーの一部といっていいように思う。