和製「国際」マナーとしての「ノックは3回」とマナーメディア:Part 1
Part 1:「ノックは3回」はマナー違反
1 謎マナー「ノックは3回」
職業柄、大学生と就職活動に関する話をすることが少なからずあるが、そこで気づかされることのひとつは、彼らが就活に対して強い不安を抱いていて、それがゆえにどうでもいいと思われるようなことにとらわれていることだ。
その中のひとつに、「ノックは3回」がある。就活における重要なプロセスの1つである面接の際、面接室に入る前にノックをする(なぜかそうすることに決まっているらしい)。それは2回ではだめで、3回であるべきだというのである。ゼミ生に聞くと、全員がこれを知っていた。それだけではなく、「2回ノックだと面接で落とされる」と恐れているのだ。この謎マナー、少なくとも一定以上の年齢の人にとってはあまりなじみがないかもしれない。私もそうだった。そもそも意味がわからない。
私のゼミでは毎年テーマを決めて本を作りコミックマーケットで売るという活動をしている。今年出た著書『就活メディアは何を伝えてきたのか』(青弓社刊)もそこから生まれたものだが、そんなこともあって、2023年度のテーマは「ビジネスマナーとメディア」とした。そこでまっさきに取り組んだことの1つがこの「ノックは3回」だった。学生たちが意味のないおそれを抱いたまま就活に臨むのはよろしくない。
このために古今のマナー本などを調べていくうちに大変面白いことがわかってきたので、「ノック3回」は国際マナーなのか、「ノックは3回」はどこから生まれたのか、及び「ノックは3回」が広まった背景とメディアとの関連について、3回に分けて手短に紹介する。これから就活に臨む大学生にとっても意義があるだけでなく、どうしてこのような謎マナーが広まったかを知ることは、社会についてよりよく理解するうえでも有用かと思う。
2 「ノックは3回」言説の現状
「ノックは3回」は、最近の就活関連メディアにはしばしば登場する。就活にあたって学生たちの多くが依存する就活サイトの大手であるマイナビとリクナビでも、これは書かれている。
他にもいろいろあるが省く。「空室確認」と「トイレに誰か入っていないか確認」は似て非なるものだがこれもとりあえず措く。ともあれ就活サイトではそこそこ一般的であるということだ。ここで面白いのは「就活サイトでは」という点である。就活が就職をめざした活動である以上、就活で身につけておくべきマナーは就職後に職場で実践すべきマナーと同じであると考えるのが常識的かと思うが、ビジネスマナー本で「ノックは3回」と明記してあるものは戦前戦後を通じてほとんどない(一部ある。後述)。たとえば公益財団法人実務技能検定協会が実施する「ビジネス実務マナー検定」や「秘書検定」(いずれも3級から1級まである)のテキストをくまなく探しても、ノックの回数に関する記述は一切ない。それどころか、そもそもノックについて触れてある本すらさほど多くはないのだ。
考えてみれば当然で、ビジネスの場においては多くの場合、ノックの回数など気にしないのだ。もしノックの回数がそれほど重要であるなら、古今のビジネスマナー本においてノックの回数がほぼ無視されていることの説明がつかない。そもそも責任ある立場のビジネスマンで「2回ノックをするような奴とは取引しない」などと考える人がどれほどいるというのか。この点はこの問題を考えるうえで基本的なポイントであり、この後もくりかえし出てくる。
3 国際プロトコール?
上記マイナビのページをみるとさらに「詳しい」解説が書かれているのだが、そこでは「国際プロトコール」に関する記述がある。ごく簡略に書くと「国際プロトコール・マナーではノックは4回とされているが日本では4回は多すぎるので3回が適切」(そもそもプロトコールとマナーは異なるのでつなげること自体が変なのだが)というもので、それならなぜ国際プロトコールを持ち出したのかそもそも意味不明な説明ではあるが、「プロトコール・マナーでは、3回のノックは家族や友人、恋人など日常的に接する親しい人の部屋などに入る際の回数とされてい」る、とある。それをビジネスの場で使えというのもこれまたずいぶん乱暴な話だが、これもとりあえず措く。
国際プロトコールは、外務省の説明によれば「国家間の儀礼上のルールであり、外交を推進するための潤滑油」である。外務省公式サイトのFAQには項目別の説明があるが、いうまでもなくノックの回数などは書かれていない。そもそも「国際プロトコール」が適用されるような立場の人(基本的には国王だの国家元首だの、国を代表するような立場の人だ)がそうした儀礼が求められる場において自分でドアをノックすることなどないし、「家族や友人、恋人など日常的に接する親しい人の部屋などに入る際」に「国家間の儀礼上のルール」に従うべき理由などどこにもない。
プロトコールの解説本として知られた、オランダのベアトリクス女王の名誉侍従長のGilbert Monod de Froideville氏(初版の著者はベアトリクス女王の甥でもあるパルマ公爵カルロ5世)の著書にもノックの回数に関する記述はない。万が一そうしたルールがあるとしても、少なくとも350ページを超えるこの本に書く必要はないと判断される程度には些末な内容だということだろう。この本ではエチケット(エチケットとマナーはちがうとも書かれているのだがこの文脈ではマナーとほぼ同義で使っているので省く)とプロトコールのちがいについて、「エチケットは個人間の礼節のルールであるのに対してプロトコールはその人やその人が属する国や組織の地位に注目する」とある。仮に国王が「3回ノック」だったとしても一般人が同様にすべき理由にはならないわけだ。
「ノックは3回」言説において国際プロトコールを持ち出した記述の中でその根拠を示したものはなく、それが実際に国際プロトコールとして行われた事例を示したものもない。おそらく自分で確かめた人はいないのだろう。調べた限り、少なくともノックの回数は国際プロトコールの内容ではないと言い切ってしまってよいのではないかと考える。
ではこの「国際ルールは4回」はどこからきたのか。同じような関心を持つ人はいるもので、調べた人がいる(よく調べたものだと思う)ので紹介しておく(一応自分でも確かめた)。
『The Magnolia, Or, Literary Tablet』という詩を掲載する定期刊行物をまとめた1833年の本の中に「KNOCKING AT DOORS IN ENGLAND」という項目があって、19世紀ロンドンにおいてはノックの回数によってその人の身分がわかる、とある(同時期の他の本にも同様の記述がある)。ざっくりまとめるとこうだ。
上掲ブログの人も書いているが、おそらくこうした英国の古い慣習が「国際ルールは4回」の元ネタであろう。前田侯爵家に生まれ幼少期をロンドンで過ごした酒井美意子氏の著書に「日本人はノックニ回が一般的だが、欧米人は四回である」と出てくるが、これは上記のような話を現地で聞いたのではないかと思われる。「ノックは3回」は酒井氏の著書にはない(「2回はトイレノック」もない)が、これも上掲19世紀ロンドンの慣習で「ノック3回はその家の主人や夫人、あるいは親しい間柄の人など」とされているのが上掲マイナビの記述にもある「3回のノックは家族や友人、恋人など日常的に接する親しい人の部屋などに入る際の回数」のネタ元であろうことは想像がつく。
しかし、くりかえすがこれは19世紀のものであって現代ではない。さらにいうとこれは英国、なかでもロンドンにおける慣習として記述されたものであって、ヨーロッパでもフランスでは「1回+名前を呼ぶ」であってロンドンのように何度もノックするのはむしろ礼を失する(door thunderingと揶揄されている)と書かれたものなどもあり、英国以外でも同様ということではないようだ。上記酒井氏を含め、これを日本に持ちこんだ人はおそらく英国で学んだか教えられたかなのであろうが、少なくとも「世界標準」マナーではないしましてや国際プロトコールなどではない。
4 むしろ日本独自の謎マナー
ではマナーの方はということで、たとえばマナー本として有名なEmily Postの『Etiquette in Society, in Business, in Politics and at Home』(1922)を見ても、ノックの回数に関する記述はない(ノックそのものについては、よき使用人のマナーとして「部屋に入る前は必ずノックしろ」とあるが回数は書かれていない)。英語圏のマナーサイトとして有名な「Miss Manners」のQ&Aには「ノックは何回すべき?」との質問が出ているが、回答は「相手が顔を出したらやめろ」である(この人らしいユーモアだがどうみてもネタ回答で、要するにばかばかしい質問だと斬って捨てているわけだ)。
とはいえ、慣習としてであれば、英語圏において「ノックは3回」といった考えがないわけではないようだ。英語圏の質問サイトなどを見ると、「自分ならノックは3回かな」といった回答があった。また、ChatGPTに聞くと「It is generally considered polite to knock on a door three times.」と返してくる。とはいえ「場合によるから一概にはいえない」といった答えが多く、ざっくりまとめると「2回から5回の間」ぐらいというのが一般的な答えのようだ。一方、「2回はトイレノック」の由来は不明だった。そもそもトイレのドアをノックすること自体が不躾であるという回答もあり、これは現代日本でも同様だろう。つまりトイレに誰かが入っているかどうかはノックしなくてもたいていわかるわけで、それをわざわざノックするのは「早く出ろ」という意味になるということだ。百歩譲って本当に「トイレノック」を意味するとしても(よほど「緊急」を要するときでもなければ)マナーに反すると考える方が自然だろう。
くりかえすが、マナーは国や地域、文化によって異なるのが当然であり、「郷に入れば郷に従え」が大原則なのであって、少なくともノックの回数について守るべき「国際標準マナー」があるわけではない。また、明治から昭和にかけてならともかく、「欧米」のマナーを「国際標準」として持ち上げ日本国内でも守れと主張するのは、文化の多様性をことさらに重んじる現代社会においては時代錯誤といわざるを得ない。そもそも欧(欧の中でもちがいはある)と米はちがうのであって、それらを「欧米」とひとくくりにするのは、それこそ東アジアだからと日本と中国をいっしょくたにするような失礼な扱いだろう。
ちなみに英語圏にみられる日本のビジネスマナーサイトをみると、日本で注意すべきビジネスマナーとして「ノックは3回」というのが出てくる。いうまでもなく、日本から広まっていったものだ。日本で「国際マナー」を謳って広めている「ノックは3回」が、英語圏では「礼儀作法に厳しい日本ではノックは3回だ。くれぐれもまちがえるな」とされているのである。
5 企業では気にしていない
そうはいっても就活中の学生はこうしたことを気にするかもしれないが、実際のところ、採用現場において(当然ビジネスの現場においても)ノックの回数が問題となることはほとんどない。多くの人事担当者は気にしていないからだ。「ノックは3回」を知らないわけではなく、それは重要でも本質でもないと考えているというのがポイントだ。
社会における習慣は移り変わるものであり、その意味で現代日本におけるマナーとして「ノックは3回」を多くの人が受け入れていくなら(それが実質的意味がないものだとしても)それ自体は何の問題もない。しかし、それを「国際プロトコール」だの「国際標準マナー」だのと称して箔付けをするのは事実に反するし、それを守ることによる具体的なメリットがあるわけでもないので意味がない。ましてや、仮に一万歩譲って何らかの根拠があったとしても、ただでさえ不安でいっぱいな就活生たちを「ノック2回だと落とされる」と脅すことなど言語道断といわざるを得ない。マナーの基本は相手への思いやりであると多くのマナー本にも書いてある。そうした「マナーで脅す」行為、「脅しでマナーを広めようとする」行為こそ、最大級のマナー違反だろう。
Part 2では、そもそも「ノックは3回」はどのように生まれたのかと、それがどのように広まってきたのかについて取り上げる。