武蔵・片山流「プロ野球選手のつくり方」―無名の高校生・松岡洸希(西武3位)がドラフト指名されるまで
■松岡洸希を1年でNPBに送り込んだ片山博視コーチ
埼玉西武ライオンズ・松岡洸希。
埼玉県立桶川西高校からBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに入団し、たった1年でNPB入りした。しかもリーグ史上最高位のドラフト3位で。
元東京ヤクルトスワローズの林昌勇(イム・チャンヨン)投手を模倣したフォームで最速149キロを叩き出したこと、大舞台で常に結果を出してきたこと、もともと内野手で高3から投手を兼任することになったので肩の消耗がなくフィールディングもいいこと、そして19歳と若いこと…など、スカウトにとっては大きな伸びしろを感じさせるまたとない逸材で、ドラフト前には実に10球団から調査書が届いた。
まったくの無名だった公立高校出身の松岡投手が、どうして“ドラフト3位選手”にまでなれたのか。
そこには綿密な計画と緻密な計算があった。
その鍵を握る人物がいる。松岡投手が「あの人に出会わなければ、NPBにはいけなかった」と語る、武蔵の片山博視コーチ(元東北楽天ゴールデンイーグルス)だ。
昨年はヘッドコーチ兼任選手として、今年も選手を兼任しながら同コーチの職に就く。
以前から伝えているように片山コーチの助言によって、松岡投手は上手投げから横手投げに変え、そのときどきで的確なアドバイスを受けて成長した。
もちろん、備わっているポテンシャルとたゆまぬ努力があったからこそ成し得たのには違いないが、片山コーチでなければこうはならなかっただろう。
では片山コーチの証言をもとに、師弟の軌跡を振り返ってみよう。(取材は昨年12月16日)
《2018年 8月》
地元からいい選手を獲りたいと、武蔵の角晃多監督(元千葉ロッテマリーンズ)とともに高校野球の埼玉県大会のテレビ中継を全試合録画し、観戦した。地元選手は集客に寄与してくれる。目を凝らして“ダイヤの原石”を探した。
花咲徳栄高校の試合を見ていたときのことだ。
「あれ?最後に投げた子、おもしろいと思って、『背番号5だけど、まぁまぁ球も速そうだし、センスある子だと思います』って監督にも話してて」。
それが対戦相手の桶川西高・松岡投手だった。サードでスタメン出場し、途中から2番手でマウンドに上がった。
打っては3打数3安打でタイムリーも放ち、投げては140キロ近い直球で強力打線と対峙した。
残念ながらコールド負けを喫したが、その存在感はテレビ画面を通して光を放っていたという。
《2018年 11月》
夏が終わったあと、片山コーチはピッチング練習をする松岡投手を遠目に見たことがあった。もちろん接触することはいっさいなかったのだが。
「テレビでは細くて小っちゃく見えたけど、体も大きくなっていたようだった。マウンドでの姿はさらに大きく見えたんで驚いた。投げ方もシンプルできれいだった。変なクセもなくて。球速も出ていたようだし、変化球もよかった」。
そこでBCリーグのドラフト会議にて、特別合格枠で交渉権を獲得した。
その後、角監督とともに学校に指名挨拶に赴いた。すると、そこで驚いた。お父さんと並んで座る松岡投手が右手にギプスをしているではないか。
「ビックリした。『練習中、カーブを投げたときに肘が抜けたような感じになった』と言っていた」。
しかし獲得の意志は揺らがなかった。
《2019年 2月》
キャンプ前の合同自主トレが始まり、選手が集まった。そこで松岡投手のピッチングを見て、また驚かされた。
「投げ方が一気に変わっていた。『ケガの影響か?』って訊いたら、『いえ、則本さんが好きでマネして…』と。たしかによく似てるんだけど(笑)」。
かつて遠目に見たときは、オーソドックスな投げ方だった。しかし本人の意気込みの顕れなのだろう。本格的にピッチャーでやっていこうと決意するとともに、大好きな則本投手のフォームを模倣したのだ。
ただ残念だったのは、その投げ方は松岡投手の体には合っていなかったようだ。
「キャッチボールを見ても、肘が下がってほぼ横で投げてるみたいな…。本人は上から投げてるつもりだろうけど。で、傾斜で投げれば投げるほど、肘が“死んで”いたし、スピードも出なくなっていた」。
このままでは痛めている靭帯が、近いうちに使いものにならなくなる。つまりは松岡投手の野球生命が終わってしまう―。片山コーチはそう感じた。
「体の使い方が横やな。体の軸を見て、投げやすい位置にしたほうがいいんじゃないのか」
松岡投手にいつ告げようか、タイミングを見計らった。
《2019年 3月》
近い距離からキャッチボールを始め、徐々に延ばしていくとまた痛みが出た。ノースローの期間を設けても、軽く投げ始めたらまた痛みがぶり返し、再びノースロー。そんな日々が続いた。
今だと思った。サイドに変えさせようと。松岡投手には横手投手の動画を見て習得してこいと課題を出した。期待したのは松岡投手の「モノマネのセンス」だった。
「もともと肘のテイクバックがすごくしなる子なんで。肘が柔らかい分、誰のモノマネをしてくるかなって、楽しみにしていた(笑)」。
片山コーチの予想は又吉克樹投手(中日ドラゴンズ)だった。しかし“宿題”をしてきた愛弟子がブルペンで披露したのは、林昌勇投手のフォームだった。全盛期はサイドで160キロを誇った燕の守護神である。
「嘘でしょ、と(笑)。しかも完コピで!ソックリだった」。
松岡投手に驚かされるのは何度目だろうか。しかし今回の驚きは、今までで最も爽快で喜ばせてくれるものだった。
「あぁ、やっぱ速球派でいきたいんだな、と。『カッコイイから』という理由でのセレクトも悪くない」。
本人の意志がしっかり見えたことが、非常に嬉しかったのだ。と同時に大きな可能性が芽生えるのを感じたという。それまで、NPBなどチラリともよぎらなかった選手だったのが、だ。
「そもそもは長く野球をやらせるためにどうするかっていうだけの提案での横だった。でも投げ方を見てあまりにハマッてたんで、これで145〜6キロ出せたらNPBのチャンスあるなと思った」。
いよいよ松岡投手のプロ野球人生がスタートした。
《2019年 4月》
(4試合 6安打6失点 奪三振率4.50)
まだゲームに使えるレベルにはないものの「タイミングを見て、使えるときに使おう」くらいの感覚で、12日に初登板させた。1回を無失点と上々のデビューだった。
その後、すべて負けゲームの終盤に投げさせたのは「ピッチャーをやり始めたばかり。最初は苦しい場面じゃなく、自分の投げたいボールを投げられるように」という配慮だ。
無失点の試合を重ね、4試合目となった29日の茨城アストロプラネッツ戦で初めて失点した。しかも6点という大量失点だった。
このあと、松岡投手に変化が起きる。
《2019年 5月》
(9試合 4安打無失点 奪三振率9.00)
「4月最後の試合で6失点したあと、あいつ、変化球をいろいろ投げだした」。
サイドにしたことでスライダーはよく曲がるようになった。さらにチェンジアップやシンカー、ツーシームを投げ始めたという。
本人の中ではいろいろ覚えなきゃという意識だったのだろうが、片山コーチの考えは違った。
「高卒と同じ扱いでNPBに入るって考えたときに、何が必要かっていうと2つだけ。まっすぐが速いことと、ちゃんとストライクが取れる変化球が1コ、放れること。まず1コがないやつが中途半端に広げたところで使いものにならない。今日はこれダメだからあれってなるんだったら、いつでもストライクがとれる、ファウルがとれる、振らせることができるというスライダーがあればいい」。
極めさせるために、変化球はスライダーだけに限定した。
折しもフォームが体に馴染みはじめ、球速も上がってきたころだ。サイドにした当初は132キロほどだったのが、140キロを超えるようになってきた。
ストレートとスライダー。これだけで十分に勝負になると、片山コーチは踏んだ。
運も味方したという。
松岡投手が登板するとき、打順の巡り合わせでほぼ左打者に当たった。オーバーからサイドに変えたばかりの右腕にとって、右打者は当ててしまう怖さがある。とくに松岡投手の場合、ストレートがシュート気味であるからなおさらだ。
「もし右に当たっていたら、あいつは崩れていたかもしれない。だから、ほとんど左で本当にタイミングよかった」。
初登板からずっと回の頭に投げさせてきた。
ところが13試合目の福島レッドホープス戦で、初めて1点ビハインドの七回、二死二、三塁の場面で投入した。ところが2安打され、1つのアウトも取れないまま降ろした。
自身の記録は失点0だ。しかし前の投手には自責点が刻まれた。
「ちょうどね、BC選抜(注:1)の話が来たから」。思い出し笑いをしながら明かす。
「NPBとやるなら、どれくらいの緊張感で投げなあかんのかというのを一度経験させたかった。“人のランナー”を還してしまったらダメという緊張感って、違うから」。
これまでは自分のタイミングで振りかぶり、足を上げて投げていた。しかしセットからのマウンドだ。このころはまだクィックができなかった松岡投手は結局、打たれてランナーを還してしまったのだ。
《2019年 6月》
(6試合 5安打4失点(自責3) 奪三振率14.40)
さらに片山コーチは試練を与える。1日の福島戦で初めてオープナーをさせた。
「前回、緊張感の高ぶったところでいって、打たれて代わったでしょ。不安感の中で、新しいマウンドで投げる緊張感。1イニングだけ投げさせようと」。
ここで初めて被弾した。シーズンを通しても唯一の被本塁打である。
「不安と緊張で全然腕が振れなくて、死球も当てて。(ストライクを)取りにいったスライダーでドッカーン!」
松岡投手にとって、初めてといっていい「壁」だった。
その後、約1週間空けての群馬ダイヤモンドペガサス戦。選抜試合の2日前だ。0/3回を2つの四球のみで降板した松岡に雷を落とした。
「打たれたあとでしょ。群馬は打線的にはNPBの2軍と遜色ない。それに対して逃げていた。スライダーを置きにいって打たれて…。持ち味が違うやろ、と。なんのために5月、まっすぐとスライダーで腕振らせたんだって話でしょ」。
打たれることは責めない。逃げていることを断罪したのだ。片山コーチがここまで怒りを顕にしたのは初めてである。それだけ松岡投手のことを真剣に考えているからだ。
さらに怒りは続く。
「前の福島戦でシンカーを投げている。遊びだしたんですよね。スライダーが決まってたから、自分の中でもうマスターできたって勘違いして。じゃあ、2つ目の変化球をってシンカーを投げだした」。
シンカーを投げることによって肘が下がる。そうするとストレートの威力も落ちる。だから、シンカーを覚えるのは9月あたりでいいと片山コーチは考えていた。
「最後の最後、NPBのスカウトに『ありますよ』って見せられればいいっていう計画だった」。
ストレートが順調に140キロ半ばまで上がってきただけに、この時点で“余計なこと”はさせたくなかった。
もちろん若武者が持つ向上心からであることは理解している。
「その前から隠れてブルペンで、ちょくちょくシンカーを投げてるのは知っていた。あえて何も言わなかったけど(笑)」。
気づいていないのは本人だけだった。
「試合でやらかさないと、わからないでしょ」。
師匠の目はすべてお見通しだということは、愛弟子にもよくわかっただろう。
厳しい叱責とともに、運命の6月11日の選抜試合へと送り出した。
( 後編へ続く⇒続)武蔵・片山流「プロ野球選手のつくり方」無名の高校生・松岡洸希(西武3位)がドラフト指名されるまで)
(注:1)
昨年6月11日、BCリーグ11球団から選抜された選手たちで1チームを結成し、横浜DeNAベイスターズのファームと対戦した。
NPB各球団のスカウト陣に向けての大きなアピールチャンスであるが、シーズン中に開催したのは異例である。
シーズン後の9月19日、20日は読売ジャイアンツ3軍と、同25日、26日はオリックス・バファローズのファームと、それぞれ同様に対戦した。
(表記のない写真の撮影はすべて筆者)
【松岡 洸希(まつおか こうき)*プロフィール】
2000年8月31日生(19歳)/埼玉県出身
179cm・83kg/右投右打/A型
桶川西高校→埼玉武蔵ヒートベアーズ→埼玉西武ライオンズ(2020~)
《球種》ストレート、スライダー、チェンジアップ、カットボール、カーブ
《最速》149キロ
《趣味》アニメ、映画鑑賞
《特技》大食い。実家では毎日5合の米を炊くが、そのうち「僕が3合くらい」食べている。
【松岡 洸希*2019年 成績】
32試合 0勝2敗 27・2/3回 被安打22 被本塁打1 奪三振33 与四球20 与死球4 失点16 自責11 暴投3 ボーク0 失策0 防御率3.58 奪三振率10.24
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