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豊臣秀吉は母の胎内に日輪が入り、誕生したというが事実なのか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉。(提供:イメージマート)

 今でも自分の素生を偽る例はあるが、豊臣秀吉はその点で実に豪快な経歴詐称を行った。秀吉は母の胎内に日輪が入り、誕生したというが、それが事実なのか考えてみよう。

 秀吉の出自は不明な点が多いが、武士の子ではなく、農民の子だったことは明らかである。その後、秀吉は織田信長に才覚を認められ、登用された。

 信長の死後、秀吉が後継者として天下人になったのは周知のことだろう。とはいえ、秀吉は自分の出自にコンプレックスを抱いていたのは事実である。そこで、自らの誕生譚を創作したと考えられる。

 天正18年(1590)、秀吉は新しい誕生譚を作り上げた。その誕生譚とは、母の「なか(大政所)」のお腹に太陽が入り妊娠する夢を見て、秀吉が生まれたという信じ難いものだった(『甫庵太閤記』)。秀吉は、日吉山王権現(天台宗の鎮守神)の申し子として、位置付けられたのである。

 この説は、「日輪受胎説」と呼ばれるものである。秀吉の幼名が日吉丸であったというのは、日吉山王権現に拠ったものであった。この年、秀吉は宿敵の小田原北条氏を滅亡に追い込み、天下統一を名実ともに成し遂げた。

 その秀吉を神格化するのには、このような新しい伝説が必要だったのである。もちろん、この話は荒唐無稽なもので、とうてい事実として認めることはできない。

 先学が指摘するように、「日輪受胎説」には中国の歴代王朝における始祖神話の影響が非常に大きかったといえる。のちに秀吉は朝鮮に出兵を行うが、「日輪受胎説」を根拠にして、支配の正当性を主張しようと考えていたようだ。すでに国内の支配だけでは、飽き足らなかったのである。

 秀吉は「日輪受胎説」を国書にわざわざ記して、明、朝鮮、ルソン(フィリピン)、高山国(台湾)、インドなどの東アジア諸国に送ってアピールし、各国が秀吉に従属化しなければならない根拠としている。秀吉の出自にまつわる話は、アジア一帯に及ぶ壮大なスケールになっていた。

 秀吉が貧しい農民の子であったことは、多くの史料にその事実が示されている。したがって、「日輪受胎説」はまったく信を置けない俗説なのである。それでも秀吉が新たに自身の誕生譚を作り上げたのは、貧しい出自を打ち消し、何とか権威を身にまとおうとする必死の努力の証だった。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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