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NYロックダウン(外出制限)から1ヵ月 変わったこと、変わらないもの【新型コロナ】

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
4月7日、ブルックリンのERに緊急搬送される様子。(写真:ロイター/アフロ)

店が閉まり街から活気が失われ、その代わりにけたたましい救急車のサイレン音が鳴り響く。

これが筆者が住むニューヨークの今だ。

ニューヨーク州内でCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の初の感染者が確認されたのが3月1日。20日後には感染者が1万人を越えた。緊急対策として22日、州は自宅待機令(Stay-at-home order、ロックダウン)に踏み切った。

あれから1ヵ月が経った。

外出制限で何が変わったのか。また変わらないものは?

まず、1ヵ月前と数字を比較しよう。

3/22(ロックダウン開始日)

NY州

感染確認 1万5168件

死者114人

NY市

感染確認 9045件

死者99人

4/21(ロックダウンから1ヵ月後)

NY州

感染確認 24万7543件

死者1万4347人

NY市

感染確認 13万6816件

死者1万9人

  • 数字はクオモ州知事の発表やニューヨークタイムズなどを参照。病院の集計がもとだが、コロナ診断されていない死者や在宅死などの関係で、数字には多少の差異がある。

人のいないタイムズスクエア。3月30日に撮影。(c) Kasumi Abe
人のいないタイムズスクエア。3月30日に撮影。(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe
お昼時の42丁目駅。このような光景は真夜中にしか見たことがなかった。(c) Kasumi Abe
お昼時の42丁目駅。このような光景は真夜中にしか見たことがなかった。(c) Kasumi Abe

感染のスピードがゆっくりに

ここに来てよく聞こえるようになったのは、FlatやPlateau(平坦化)、Down(減少)、Slow(ゆっくり)という言葉だ。ロックダウンから2週間を過ぎて少しずつ聞こえてくるようになり、徐々に数字にも現れるようになった。

総入院数(アメリカでコロナ入院=重症者)もこのような曲線になっている。

入院患者の総数を表す曲線が平らになったのはロックダウンから3週間後
入院患者の総数を表す曲線が平らになったのはロックダウンから3週間後

ICU患者数も減り、ネットチェンジ(入院から退院や死亡を引いた変動差額)もここ1週間ほどマイナスに転じている。

市内の911コール(緊急通報電話)の数は、地元紙によると4月18日には3485件に減少した。(ピークだった3月30日の6527件の約半分)

そのせいか筆者はここ最近「ニューヨークは感染ピークが過ぎてよかったね」と言われることが多いが、その認識は合っているようで合っていない。

正確には「感染者や入院患者数の増加を表す曲線が平坦化している」=「流行のピークの波が平らになった」「感染のスピードがゆっくりになった」だけだ。

コロナの新規入院患者はピーク時で1日3000人を超えていたが、最近は1日1300人ほどまで減った。しかし依然多い状態だ。

また今でも1日500人近く(一時期は1日800人近く)が毎日毎日、尊い命を落としている。

画像

感染率が0.9に下がった

Infection/Transmission Rate(感染率=実効再生産数)とは、感染者1人から何人に感染しているかをはじき出した数字だ。一時期ニューヨークではこれが1.4だったが、1ヵ月の外出制限により0.9まで下がっている。つまり10人の感染者から感染しているのは9人ということになる。

(感染のスピードを抑えるには数値を1以下にする必要があり、1.2以上になれば以前のような増加曲線に戻る)

州が発表した感染率。ダイヤモンド・プリンセスが2.2、一時期最大3.0だった武漢が完全都市封鎖により現在0.3。
州が発表した感染率。ダイヤモンド・プリンセスが2.2、一時期最大3.0だった武漢が完全都市封鎖により現在0.3。

州では、CDCやホワイトハウスのタスクフォースが3月に発表した感染者数の予想数値、つまり最悪のシナリオを基に、これまで病床や医療用具(特に人工呼吸器)の確保に力を注いできた。自宅待機が功を奏し実際の数は予想数値より低くなったため、4月半ばから人口呼吸器を必要とする他州に提供し始めた。

人口呼吸器の次は、検査体制(機械、キット、試薬)の強化だ。ウイルス検査と抗体検査を大規模に行っていくことが「経済活動再開への鍵」とされている。ただし現状では製造国や試薬の供給事情などが絡み、一筋縄ではいかない。検査を大規模で行っていかなければ意味がないため州は連邦政府に助けを求めている。

このように、今のニューヨークは最悪期から抜け出たというだけで、気を緩ませるには時期尚早だ。1918年のスペイン風邪は第2波の方が大きかったというし、クオモ知事も「まだウイルス戦争に勝利したわけではない。ここでソーシャルディスタンシングを無視して出歩くと、数字はすぐに元通りになる」と再三警告している。

ニューノーマルな世界へのシフト期

この1ヵ月で、常識や価値観は一転した。

クオモ知事は定例会見でよくこのように言う。「我々はもう元には戻れない。その代わりに『ニューノーマル』の世界へ前進していくのだ」。

握手やハグが習慣だったアメリカ人はそれらを突然奪われた。今は誰もが2メートルの距離を保ちながら立ち話しをする。

マスクもそうだろう。マスクどころか前髪など髪の毛で顔を隠している人はもともとあまりいないお国柄だ。絶対にマスクをしなかった人々が、自らの意志でそれを着けるようになった。「健康な人はマスクは不要」と言われていたが、この1ヵ月の間に、社会的距離を保てない公共の場において行政命令で「着用必須」とまでなった。

生活面でも学校からヨガやダンスクラス、飲み会までがオンラインで開催されたりと、これまでリアル開催が当たり前だったものがカタチを変えつつある。

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe
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この1ヵ月間の気持ちの変化

ロックダウンが始まる少し前(3月半ば)まで、ニューヨークでは誰もがまだリラックスしていた。

感染者や死者の数が日に日に増えていたが、当時は郊外の礼拝所がクラスターの原因になっていたので、ニューヨーカーはまだこの危機を自分事として捉えていなかった。アメリカの医療技術は進んでいるから心配しすぎるなと知事も述べていた。

そのころの心配事と言えば仕事や生活のこと、またいつも行くバーが閉まった、友人との約束がキャンセルになった、アジア人への差別が怖いなどだ。しかし人間というのは、生きるか死ぬかの瀬戸際になったら、そのような心配は一切なくなるものだと身を以て学んだ。

「感染したら終わり」と危機感を持ち出したのは、3月半ばを過ぎてから。

州当局から具合が悪くてもアポなしで病院に来ないようお達しがあり、大量に建てられた仮設病棟、ビニール袋をかぶった医療従事者、病院に何台も横付けされている遺体安置用の冷凍トラックがツイッターに流れてくると、さすがに血の気が引いた。

いったん「絶対に感染できない」という気持ちになると、空気を吸うだけでも感染してしまうのではないかという不安にかられ、外に出るのが怖くなった。

そんな中でも不思議だったのは、買い出しに行くスーパーやデリで、死者が毎日800人近くも出ているのにマスクをしていない店員や通行人がまだいたことだ。公園に行ってリスや鳩がいつも通りにそこらにいるのを見て安心したりもした。

感染のスピードがゆっくりになった今、外出の際に以前ほどの緊張感はなくなった。しかし気の緩みが命取りになりえるので、今後も注意しなければならない。

また外出制限は「短距離走ではなくマラソンの心構えが必要」と言われている。自宅待機令は当初、4月19日までの要請だったがその後29日までとなり、現在は5月15日まで延長されている。これからもウイルス戦争はまだまだ終わりそうにない。いつ終息するともわからぬ今後を考えると気が遠くなり目眩がするが、こればかりはコントロールできないのだから、前向きに捉え時間を有効活用していくしかない。

変わらないもの

この困難期に、変わっていないものもある。

人々の素朴な優しさや結束力だ。ロックダウンの前後、人々は露骨に距離を取りたがり、ギスギスした空気を一瞬感じる時期もあった。しかし感染のスピードについては「コントロールできる」ことがわかるようになり、人々の温度は日常に戻っていった。

例えばスーパーに行くと、狭い通路をすれ違う時に声を掛け合う。探し物が見つからない時、助けてくれる人がいる。

ニューヨークが医療崩壊寸前の最悪期だったころ、助けたいと挙手した医療従事経験者や学生が6万人以上、メンタルヘルス分野は1万人以上もいた。彼らの移動のため、ジェットブルー航空は無料で飛行機を飛ばした。

声をかけた中で州外から2万人が実際に志願してくれた。「私たちから、ありがとう」と知事。

閉店を余儀なくされたレストランや失業中のアーティストに募金をする人もいる。

「我々はUnited States(結束した州の集まり=合衆国)だ。大統領と言い争ったり国が分断している時間はどこにもない」と先日クオモ知事が言った。

毎晩7時、人々は自室の窓から拍手と声援(&口笛、ラッパ音)を送り、死んだ街が一瞬サッカーの観戦場のようになる。1日も欠かさず。

これはクラップ・フォー・ケアラーズと呼ばれ、今でも働いてくれているエッセンシャルワーカーへ送っているものだが、同時に「オレたち今日も生きてるぞ。一緒に頑張ろうな」という互いへのメッセージにも聞こえる。Unity(結束力)を肌で感じる瞬間だ。

私はこの1ヵ月の困難期を通し、ニューヨークがますます好きになった。

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe
バーでは持ち帰り用の「隔離カクテル」も。(c) Kasumi Abe
バーでは持ち帰り用の「隔離カクテル」も。(c) Kasumi Abe
この1ヵ月で花々が咲き、すっかり春に。(c) Kasumi Abe
この1ヵ月で花々が咲き、すっかり春に。(c) Kasumi Abe

(Text and photos by Kasumi Abe)  無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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