コロナ禍で考える戦後日本の構造的弱点
コロナ禍が世界を襲った時、各国がすぐに行ったのは国境封鎖と自国優先の行動だった。新型コロナウイルスの急速な蔓延は、ヒト、モノ、カネが自由に国境を越えるグローバリズムによるものだが、それに対抗するには国境を閉じ、自国を第一に考えて行動せざるを得ないからだ。
米国のトランプ大統領が感染源である中国や欧州からの入国を禁止すると同時に、自国産のマスクを輸出禁止にしたのは、それを象徴する出来事だった。その時私は食料を外国に頼るしかない構造にした戦後日本の弱点をまず考えた。
ロシアは4月に国内供給を優先して小麦の輸出を停止し、インド、ベトナム、カンボジア、ウクライナなども食料輸出を制限する動きに出た。一方の米国、カナダ、オーストラリア、欧州は食料の輸出規制に否定的で、日本政府は「影響は限定的」と楽観的な見通しを語るが、しかしコロナ禍がさらに深刻化すればその限りではない。
また日本の農業を支える中国やベトナムからの技能実習生の来日が見込めず、農家が悲鳴を上げているという報道や、米国の食肉加工工場がコロナで閉鎖に追い込まれ、食肉価格が過去最高値になったという報道もある。それらは必ず日本の食料事情に影響を与える。
私が日本の食料自給に関心を持つようになったのは、1981年秋に米国のコメ作りを取材した時の驚きの経験があるからだ。その頃、米国の水田面積が拡大していることに興味を持ち、「なぜコメを食べない米国で水田面積が拡大するのか」を取材しに行った。
最大のコメどころである南部アーカンソー州に全米最大の精米工場がある。社長は前農務次官だった。彼の説明によれば、米国は欧州各国に農産物を輸出していたが、欧州が共同体を作り域内の関税を撤廃したため、米国の農産物が売れなくなった。
そこで欧州で作れない作物を考えた。コメは寒冷地に不向きでイタリア南部とスペインでしか作れない。そしてもう一つ、米国には戦後の日本でコメ食の国民をパン食に変えた成功体験がある。カギは学校給食で子供にパンを食べさせたことだ。子供に味を覚えさせれば大人になってもパンを食う。米国産小麦をいつまでも日本に輸出することができる。
米国はその逆を考え、欧州の子供たちにコメを食べさせる計画を作った。スイスのチューリッヒに本部を置き、「コメは完全栄養食品だ。子供の健康にはコメを!」という宣伝文句で活動を始めた。コメのピザ、コメのスパゲッティ、コメのサラダなどレシピも数多く考えていると言う。それが米国で水田面積が拡大している理由だった。
戦後生まれの私はコッペパンと脱脂粉乳の給食を食べた世代である。学校の教師から「コメを食べると頭がぼける」とか「ビタミンB1不足で脚気になる」と言われた。そしてコッペパンと脱脂粉乳は食料難の日本の子供を助けるための米国の援助だと思い込んでいた。
ところがそれが違ったのだ。米国は日本に小麦の生産をやめさせ、米国の農産物に頼るよう仕向けるため、我々にコッペパンと脱脂粉乳の学校給食を与えた。私が子供の頃に見ていた麦畑の光景はいつかなくなり、日本人の食生活はどんどん欧風化していった。
それにつれて日本の食料自給率は低下し、敗戦の翌年に88%あった自給率は今や37%しかない。つまり6割以上を外国に頼っている。先進国で自給率が50%を切るのは日本と韓国だけだが、両国に共通するのは米軍に国家の安全保障を委ねているということだ。
山だらけで農地面積が少ないスイスは、自給率50%を維持するため憲法に食糧安全保障を書き込み、食品ロスを出さない体制づくりや流通機構改革、そして何よりも主婦は高くとも国産の農産物を買うよう心掛けている。
200年以上も戦争をしたことのないスイスは、永世中立国としてどの国とも同盟を結ばず独立自尊を貫く。そのため専守防衛の国民皆兵制度を持ち、決して他国に攻め入らないが、他国が侵入すれば徹底抗戦と焦土作戦で対抗する意志を見せつける。それがスイスの抑止力だ。「敵基地攻撃」などと言って強がるだけの日本とは対極の真の強さがある。
戦前は日本の統治下にあり、戦後は米国が統治したパラオ共和国を取材したことがある。親米派と親日派がいる中で若者が私にこう言った。米国は食べきれないほどの食料を送ってくる。そのため国民は農業することを忘れた。戦前の日本軍は島民と共に農業をしたが米国は違う。そこが怖いと。
米国の西部開拓史は先住民族を自給自足させないことから始まる。第7代大統領アンドリュー・ジャクソンは強制移住法を作って先住民族を保留地に追いやり、自給自足できない状態にして合衆国政府が食料を提供した。そして先住民が言うことを聞かないと食料提供を停止し、それに抗議して立ち上がる者を次々に虐殺した。それが西部開拓史だ。
私が米国のコメ作りを取材した頃、米国でコメは肉料理に添えられる野菜の一種だった。ところがその直後に米国民の肥満とがんを減らす報告書が公表された。マクガバン・レポートという。そこで肥満とがんの原因は米国民の食生活にあると指摘された。
そして最も理想的とされたのが昔の日本人の食事である。つまり玄米と味噌汁、小魚の佃煮、海苔、漬物というレシピだ。玄米は完全栄養食品、味噌汁は発酵食品、頭からしっぽまで食べられる小魚にはたんぱく質やカルシウムがあり、海苔など海藻類にはミネラルが豊富だ。
以来、米国の上流社会では海苔巻きや鯖料理を食べる女性が増えた。納豆も人気が出た。そして肥満にならないことが金持ちの条件と言われ、肥満は貧困層の特徴になった。ハンバーガーやホットドッグ、コーラなどは貧困層の食べ物だ。今回のコロナ禍で死んだのは貧困層が多いと聞くと私はそのことを思い出す。
韓国の死者数が少ないのはキムチが原因と欧米の学者は指摘する。発酵食品がコロナに強いということだ。ヨーグルトで有名なブルガリアも死者は韓国と同程度の300人である。日本には味噌、醤油、日本酒など発酵食品が多い。戦後の日本人の食生活が米国の誘導で欧風化していなければ、日本人は今よりもコロナ禍に強かったかもしれない。
そして米国に誘導されたもう一つの構造的弱点についても言わなければならない。それは少子化である。少子化は日本が民主主義国として成熟したからと錯覚している人もいるが、河合雅司著『日本の少子化 百年の迷走』(新潮選書)を読むと、そうでないことがよくわかる。米国の占領政策の結果なのだ。
米国は日本を占領支配する時、日本の人口問題に強い関心を抱き、何度も人口調査をした。それは日本が戦争で領土を拡大しようとした背景に人口過剰問題があると考えたためだ。明治政府は「欧米に追い付き追い越せ」を合言葉に資本主義化を進めたが、それによって日本の人口は急増し、政府は過剰となった国民を移民として海外に送り出すしかなかった。
米国の西海岸やブラジルに渡った日本人移民は現地で摩擦を生み、排日運動や移民制限政策で締め出される。日本の人口問題は八方ふさがりとなり、それが新領土獲得の「大東亜共栄圏」思想を生む。そして「産めよ増やせよ」の掛け声とともに満州への移住が奨励されたと米国は考えた。
戦後日本を統治したGHQは、人口過剰を放置すれば国民生活を困窮させ、国民が共産主義に近づくか、あるいは破れかぶれで再び海外に活路を求めることを恐れ、人口膨張を食い止めることを占領政策の柱にした。
しかし人間の生殖を国家が統制する考えは、ナチスの非人道的な優生思想と変わらない。GHQは人口抑制策を米国が押し付けたと見られないように立ち回る。日本が自らの考えで産児制限に取り組むようにしたのである。GHQが目を付けたのは戦前から女性の地位向上に取り組んできた加藤シズエであった。
加藤シズエは戦前・戦中に産児制限運動を指導して軍部から弾圧を受けている。GHQは加藤に婦人問題のアドバイザーになることを求め、加藤は婦人参政権の付与をGHQに求める。こうして昭和21年の衆議院選挙で加藤シズエは夫の勘十と共に社会党の衆議院議員になった。彼女は優生保護法の成立に尽力する。
GHQは日本の民主化のために「家制度」の解体を進め、それと女性が「結婚しない自由」「出産しない自由」を結び付け、核家族化と個人主義を「権利」として主張する雰囲気を作り出す。こうして昭和23年に母体の健康を保護することを目的に優生保護法が議員立法で成立する。それは人工妊娠中絶を大幅に合法化した。
戦後はどの国にもベビーブームが到来した。そしてどの国もブームは10年間ほど続いた。ところが日本だけは昭和22年から24年までの3年間で終わる。23年に優生保護法が成立したからである。昭和24年以降、日本ではすさまじい勢いで中絶が増える。24年の中絶件数は10万件、25年は32万件と3倍増、28年には106万件と10倍になった。短いベビーブームの次に長い中絶ブームが到来したのである。
避妊で最も多いのは「経済的理由」だが、日本経済が高度成長を続ける時にも子供を計画的に出産することは企業にとってメリットがあった。戦前の「産めよ増やせよ」が「産むな減らせよ」に転換し、「子供は2人まで」が定着していく。
ベビーブーム世代が子供を産む第二次ベビーブームが訪れた1970年代初め、「ローマ・クラブ」が人口膨張や環境汚染に警鐘を鳴らす「成長の限界」を発表すると、74年に日本人口会議は「子供は2人まで」の大会宣言を採択し、少子化に歯止めをかける好機をつぶす。こうして翌75年に年間出生数が200万人を下回り、出生率も2.0を割り込んだ。
国立社会保障・人口問題研究所の予測によれば、2010年を100として2060年に人口が減るのは日本とドイツ、韓国の3か国だけだという。しかも日本の減り方は群を抜いている。韓国の89.9、ドイツの79.1に対して67.7、つまり3割以上人口が減る。
これに対してフランスは116.8、イギリス131.4、米国142.1、豪州163.1と、先進各国は人口規模が大きくなる。人口は国力に比例する。それを痛いほど分かっているフランスは少子化を克服した。女性の育児にかける負担を減らすため義務教育を3歳から始め、子供のいる家庭を減税の対象にするなど様々な取り組みを実施した。
私は日本政治の最大課題は少子高齢化問題だと35年前から言ってきた。田中角栄氏から「子供が3人以上いなければ民族は滅びる」と言われたからだ。「政治はどうする」と私が問い質すと「3人以上子供のいる家庭は減税だ」と角栄氏は答えた。しかしその後の日本政治に少子化対策らしきことは一つもない。
フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は「来日すると日本人は少子化問題が大変だと言うが、何をやっているのかを聞くと、だから担当大臣を作ったと言う。担当大臣を作るのが少子化対策だと言う日本人は馬鹿だ」と言った。その通りだが、食料自給と同じく少子化も米国の誘導によるものだとすると、米国を恐れて日本は何もできないと言うことか。
コロナ禍は「貿易立国」で戦後成長した国が、軍事で米国に従属するため、対米貿易黒字を増やせなくなり、「観光立国」に転換して中国人富裕層のインバウンドに頼ろうとし、そのためコロナの初期に水際対策がとれず、さらに東京五輪も返上できずに右往左往する様を見せつけてくれる。
しかしコロナの直撃で息も絶え絶えになった「観光立国」になおもしがみつき、「GO TO トラベル」で感染を拡大させている日本政府に、コロナ後の世界は見えているのだろうか。私には戦後の占領政策で構造的弱点を抱えさせられたその根源的克服に目を向けないと、この国の未来はないように思えるのだが。