メディアは広告であり、2024年は広告が問われる
※本記事は1月30日(火)開催のウェビナー「CTV時代のテレビCM データを駆使した新しい売り方を考える」(リンクは告知サイト)に向け、そのテーマについて論じたものだ
今年、メディアにおいて最重要問題となるのは、広告だと思う。それは、テレビ広告においてとネット広告とで問題の方向が違ってくる。
メディアは広告とセットの存在である
SVODはじめ「サブスク」の形態が2010年代に急速に浮上した。そのことをもって、今後のメディアはサブスクが主役になり広告モデルは古くなる、との声も聞かれた。当時から、それは大きな間違いだと感じていた。いや、メディアとは広告とセットなのだと。もちろん、例外は存在するが。
広告のことを侮蔑的に語りたがる人たちがいる。メディアの本質がわかってないなあと思ってしまう。逆にメディアの本質は広告とセットなのだ。
企業は商品やサービスを人々に提供してビジネスを行う。その際に、広告は欠かせない。そして広告の舞台はメディアだ。
広告を軸に捉えると、メディアは人々と企業の間を取り結んでいるのであり、それもメディアの社会的な価値の大きな要素なのだ。もちろんそこには常に、ジャーナリズムと企業サービスのせめぎ合いが起こるが、その葛藤も含めてメディアなのだと私は思う。
NHKのような「公共メディア」は別だし、SVODのようなサービスも別だ。だがNetflixとディズニー+は広告プランも選択肢に加え、アマゾンプライムビデオも海外ではそうなるらしい。
多くの人々に対しコンテンツを提供する存在にとって、広告モデルが重要なビジネス要素なのだとはっきりした。
なぜメディアは広告とセットなのか。それは、メディアとはイマを伝える存在だからだ。
参考:メディアはイマであり、テレビはまあまあどうでもいいイマが強みだった(MediaBorder23年7月18日)
イマを伝えると書いたそのイマの中には、実は広告も含まれる。広告を通じて、報道とは別の形で企業のイマを伝えているのだ。そしてそれがメシの種になる。だから今後も、メディアにとって広告は事業モデルの中心であり、サブスクともセットで運営することになる。これまでも新聞雑誌がそうだったように。完全に課金モデルだけで運営するメディアは限られるだろう。
ネットメディアの広告は今の形式の限界が近い
ネット広告市場は22年にマス4媒体の広告市場をも超えて3兆円にまで膨らんだ。いまや広告市場のメインストリームだ。ところがその中身たるや無法地帯化してしまっている。
あれだけ世界を制したFacebookやX(旧Twitter)の広告がボロボロになると誰が想像しただろう。だが説明するまでもない通り、Facebookには誰がどう見てもインチキな広告が平気な顔でタイムラインに流れてくる。Xの方はイーロン・マスクのおバカな言動により広告主が引いている。新ルールで拡散されるほど収益がユーザーに入るようになり、ゲスな投稿が跋扈している。まともな場所と言えなくなる寸前だ。
またネット上のメディアの記事を読もうとすると、まるで読者の邪魔をするように広告がやたらと表示される。どう見ても広告の面積の方が本来の記事より大きい。ページをめくると前面を塞ぐ広告が表示され、閉じるボタンがわからない。記事を読み進む意欲をなくしてしまう。
そんな状態で接触した広告に効果があるはずがないのに、1インプレッションとしてカウントされてしまう。企業は間抜けなことに、そのインプレッションにお金を払っている。まるで狸の化かしあいのような、ほとんど詐欺に近い「市場」で大きな金額が動いてしまっている。
ひどい広告表示のメディアでは、質より量なのかどんどん書き手を増やし、どんどん記事を増やしている。クズ広告が載るクズのような記事を載せまくると、クズメディアに成り下がってしまうのではないか。
この問題は2010年代からあったし、私はそのテーマの本も書いたが状況はむしろ悪くなっている。このままでは臨界点を超えてしまう。私は今年、それが来ると思う。実際、ネットメディアは全般的に不調と聞く。今のやり方はダメなのだ。
うまいこと広告を表示させようという意図しかない広告は表示されても見られない。まず読者が、次に広告主がNOを突きつけてくる。だがFacebookもXもGoogleもどうしたらいいかは見出せないだろう。
だがシンプルな話だ。コンテンツと広告の整理、そこに尽きる。これが記事です、ここは広告です、という区別をはっきりさせる。それだけの話だ。必要なのは秩序なのだ。
このテーマの先は、今年様々に掘り下げていこうと思う。
テレビCMは安く売ってきたのを是正できるか
テレビCMの場合、まったく別の課題が今年浮上するだろう。昨年、日本テレビがARMプラットフォームを24年度末からスタートさせると発表した。さらに年明けにはこんなニュースも飛び込んできた。
スイッチメディア、メ~テレと東海3県のテレビ視聴データで番組の価値を再定義して広告主に提案する共同営業を開始 (スイッチメディア社リリースページ)
中京地区の局と、スイッチメディア社の取り組みという点が面白い。一体何をしようというのか。
それを知る前に、既存のテレビCMの売り方に元々あった問題点を理解する必要がある。日本のテレビCMはCPMで見ると米国より安売りしてきた。ここでは見せられないが、実際にそういうデータはある。
なぜ安かったか。ポイントはスポットセールスにある。これは考えればわかることで、スポット枠をGRPで売ると安売りになってしまうのだ。本来高くても買いたい枠と、本来買いたくない枠を一緒にして売るのだから全体としては安売りになってしまう、ということだ。1個100円のりんごも、1箱だと30個入って2000円で売るようなことをやってきた。
その解決策が日本テレビが始めたSAS(Smart Ad Sales)で、スポット枠を単品売りするやり方だ。
もう少し詳しく説明すると、ある広告主がM1(若い男性)にCMを見せたいと考えたとしよう。番組Aは個人全体視聴率は低いがM1がたくさん見ている。その広告主にとっては買いたい枠だ。ところが個人視聴率は低いのでGRPで買うと安売りになってしまう。
ここで「売り方」の問題が出てくる。スポットで買う際になかなか「番組Aの枠を買いたい」と言っても通用しなかった。だからと言って突然タイム枠は取れない。そんな場合にはSASで指定買いできればいいわけだ。もちろん価格は交渉になるだろうが、GRPで買う時より多少高くても全体の中で納得できればいいわけだ。
このSASもまだ活用できていない局や広告主もいるだろうが、今後のひとつの方向性になるだろう。
その次にどう進むか。スイッチメディア社とメ〜テレの取り組みはそこを目指すのだろうが、そう簡単ではない。
とにかく答えは一つではなく、これまでのように「タイムかスポットか」からいかに考え方を広げられるかが今後のテレビ局の課題になるだろう。これについても、今年は重要なテーマの一つとして注力していきたい。
1月30日のウェビナーでは、ひとつの試案としてCPMを元にしたテレビCMの議論をしていく。
参考:「テレビCMの新しい売り方を議論するセミナーをなぜ開催するか」(MediaBorder23年12月20日)