性犯罪者はなぜ反省できないのか:「高畑事件」から考える示談と不起訴と社会のあり方
■「高畑事件」
強姦致傷の容疑で逮捕されていた高畑裕太氏は、被害者との示談も成立し、不起訴処分となり釈放されました。釈放時の仰々しい謝罪の仕方が芝居がかっているとか、集まったマスコミ人をにらみつけているように見えるなど、様々な報道がされています。
これで、裁判が開かれることはなくなり、事実が裁判で明らかにされることもなくなりました。高畑裕太氏が今何を感じているのかも、わかりません。
ただ、一般的に性犯罪者は反省することが難しく、再犯率も高いとされています。なぜ、性犯罪者は反省しにくいのでしょう。
■強姦か同意か
強姦は、暴行や脅迫による性器の挿入ですが、性交自体は同意なら犯罪ではありません。ただ、この「同意」がよくわかりません。ある犯罪者は、女性をどんなに脅し、殴っても、最後に女性が「はい」と言えばそれは同意だと本気で思っていました。彼の最初の性体験は、強姦でした。
法的には、加害者が同意だと思い込んでいただけなら罪に問えるでしょうが、多くの人が同意と思っても無理はないとなれば、強姦罪が成立するかどうかは微妙でしょう。
さらに性犯罪者の多くは、認知がゆがんでいます。普通の人なら、たとえ女性がはっきり「ノー」と言っていない時でも、拒絶しているとわかるのに、彼らにはわからないことがあります。女性が苦しんでいたり、恐怖を感じていても、彼らは共感することが難しいのです。
「同意だと思った」というのは、嘘であり裁判での言い訳という場合もありますが、誤解して思い込んでいる場合もあるのです。
これでは、なかなか反省できないでしょう。
■共感されにくい性犯罪被害
ある女性が、尊敬する男性の別荘に行った。男性は女性にキスを迫る。女性は拒むのだが、拒みきれずキスされ、さらにホテルに誘われる。もしもこのような出来事があれば、どうでしょうか。
たとえどのような関係の男女がどこにいても、同意なしの性的行為は許されません。けれども、世間ではなかなか納得しない人もいるでしょう。別荘に行った女性が悪い、キスぐらいで騒ぐなという人もいるでしょう。
性犯罪は、刑法上は軽いわいせつ行為でも、被害者は人生が左右されるほどに深く傷つくこともあります。しかし、体の怪我や金銭被害に比べて、心の傷はわかりにくいのです。
見知らぬ人からの行為で傷つこともあれば、身近な人による行為で傷つくこともあります。交際中の男性に無理やりセックスさせられる「デートレイプ」で深く傷つく女性たちもたくさんいます。
わいせつ行為ではなく強姦ですら、乱暴な男性の中には、「減るものじゃなし」などという人もいます。強姦は、魂の殺人とさえ言われているのにです。
女性が強姦される恐怖は、男性が去勢される恐怖だと言う人もいます。男性が、誰かに男根を切断された時に、女性たちが「そんなものなくても生きていける」などと語ったらどうでしょうか。
加害者自身の共感性が弱く、世間の被害者への共感も低いなら、加害者が反省できなくても不思議ではありません。
■裁判
少年が強姦事件を起こした場合などは、関係者一同が本人を反省させようとすることが一般的ですが、大人の裁判では違います。検察側と弁護側が戦います。
被害者とされる女性が、いかに普段から性的に奔放だったかとか、事件発生時も男性を誘うかのような行為をとったかなどが指摘されることもよくあるでしょう。
これが例えば路上強盗事件なら、いかに被害者が強欲だったかとか、当日どれほど高価なスーツを着て偉そうに歩いていたかなどは、問われないでしょう。
たしかにケースとしては、女性が同意していたのに、後から男性を訴えることもあるでしょう。これで逮捕有罪となれば、冤罪です。しかし本当に強姦なのに、女性側の責任が問われるような裁判のスタイルは、加害者男性の反省には悪影響でしょう。
■示談
強姦罪は、親告罪です。強姦致傷や集団強姦は、違います。強姦罪が親告罪なのは、裁判を始めることが被害者にとって不利益になることがあるとの配慮でしょう。
本当は100パーセントの被害者でも、性犯罪被害者は不当に責められ、傷つくことが多くあります。弁護士の中には、その点を強調し、示談を迫る人もいると言われます。
強姦罪で一度は逮捕されても、示談が成立して釈放となれば、反省をしない加害者もいることでしょう。
以前、ある教育系の大学で、6人の男子学生が19歳の女性学生への集団準強姦罪で逮捕される事件がありました。サークルの宴会で、酔った女性を別部屋に連れ込み、6人の男性が次々と襲ったとされた事件です。集団準強姦罪も集団強姦罪も刑の重さは同じです。大学は、彼らを停学処分にしましたが、被害者女性は後に示談に応じました。
この事件を、検察は不起訴としました。不起訴にも種類がありますが、このケースでは、「起訴猶予」でした。起訴猶予とは、被疑事実は明白でも、様々な状況から訴追を必要としない(公判が維持できない、有罪にできる見込みがない等)と判断されたものです。
学生側は、起訴猶予処分を受けて、停学処分を下した大学の処分が不当として民事裁判を起こします。一審は、被害者女性が証言台に立つこともなく、学生側勝訴でした。学生は、疑いが晴れたと喜びの涙を流し、弁護士は「ある意味、刑事事件での無罪にあたる」とコメントしています。
しかし、その後の二審の高裁判決では、大学の行なった処分は教員養成大学の社会的責任として合理的な措置であるとして、地裁の判断を大きく見直す判決が下されています。
この学生らによる事件も、今回の「高畑事件」も、示談や不起訴が絡む事件です。どちらも、様々な推測はできるものの、事実は闇の中です。多くの場合当事者しかいない性犯罪、強姦事件は、事実の解明が困難です。被害者女性が不利益を被りかねない現状では、捜査や裁判への協力が得られなくても、女性を責められません。
示談成立、不起訴でも、深く反省できる人はいるでしょうが、示談と不起訴で、自分はやはり悪くなかったと感じる人もいることでしょう。
「疑わしきは罰せず」ですし、たとえ事実があっても、家族や弁護士が、当人を守るのは当然です。示談を求め、不起訴や無罪判決を願うのは、当然です。しかし、本当に当人を守るとは、事実があるとするなら反省させ、更生させることではないでしょうか。
■性犯罪加害者の反省と更生のために
刑事事件としては、不起訴や無罪でも、社会的制裁を受けることはあります。完全に冤罪であるならば、社会的制裁も受けるべきではありませんが、有罪判決は出なくてもルール違反や不道徳な行為はあった場合は、学校や会社が処罰を下すのは、一般的です。
さらに、起訴されれば正式な処分が下され、有罪となれば社会的生命が奪われることも多いでしょう。
問題は、これで加害者が反省するかどうかです。多くの加害者は、自分が不当に責められすぎていると感じています。
彼らの中には、女性蔑視の思いがあったり、男女の人間関係の感覚がゆがんでいたり、世の中全体を見る目がゆがんでいることもあります。大切なのは、彼らの価値観を正し、認知の歪みを取ることです。
犯罪者を甘やかすべきではないと思います。しかし、不当に責められていると思っている人を責め立てるだけでは、彼らの心はさらに固くなり、反省がかえって難しくなったり、形だけの反省になったりします。
彼らに深い罪の意識を持ってもらうためには、時にカウンセリング的なアプローチが必要です。彼らの言い分を一度は傾聴し、その上で、自分の考え方の歪みを自覚してもらう方法です。
このような性犯罪者への更生プログラムは、再犯防止に効果を上げています。
性犯罪者を反省更生させるためには、有罪になってもならなくても、更生プログラムを受けることが大切だと思います。さらにその前提として、罪を憎むと同時に、たとえ罪を犯してもやり直す価値はあると感じさせること、そして社会全体で被害者への共感と支援の思いを強めることが大切でしょう。