マイルCSの表彰式、その壇上で伯楽・藤沢和雄が言った思いがけない言葉とは?
自ら希望して魔法使いの下へ
「馬を走らせる事の出来る魔法使いだと思っていました」
1500勝トレーナー・藤沢和雄に対し、最初に抱いていた印象をそう語ったのは渡部貴文。1980年生まれで現在41歳の持ち乗り調教助手だ。
ゲームで競馬を知り、大学で乗馬にハマると牧場で働いた後、2006年の春から美浦トレセン入り。1年後に栗田博憲厩舎で持ち乗り調教助手となった。
「そこでリザーブカードという牡馬を担当しました」
前任者がゲートで乗っかけられて怪我をするなど、気性の難しい馬だった。
「スイッチが入ると暴れ方が半端じゃなく、運動場の端から端まで引きずられた事もありました。曳き運動にしたり、森林馬道へ行ったり、馬具を変えてみたりと、色々手を打ちました」
その成果か徐々に落ち着きは出たが、決して満足は出来ぬまま、13年の夏、同馬は現役を退いた。そして、その直後、渡部自身も栗田厩舎を辞め、藤沢和雄厩舎へ籍を移した。
「藤沢先生が『どういう魔法を使っているのか』を知りたかった事もあり、スタッフに空きの出たタイミングで自分から希望して雇っていただきました」
転厩後はオークス馬ソウルスターリングを、その年(17年)の秋から担当した。
「調教でもひと息で走ってしまうなど難しくなっていました。飼い食いも細かったのですが、5回に分けて与えたり、その時々で好んで食べるモノをあげたりして、何とか食べさせました」
飼い葉を食べない牝馬との出合い
翌18年、1頭の2歳牝馬を任された。後にGⅠを6勝もするグランアレグリアだった。
「デビューから連勝したけど、当時は飼い葉を全く食べないし、馬房内で立ち上がったり、蹴ったりして、寒い時期なのに1頭だけ汗をボタボタ垂らしていました」
3戦目は朝日杯フューチュリティS(GⅠ)。
「こんな状態で阪神へ輸送したら何キロ減るか分からない。GⅠで人気になるのに、かなりヤバいと思いました」
ところが当日は前走比プラス6キロの482キロ。その数字を聞いた時は信じられない思いだった。
「結果負けてしまったけど、中身は相当強いと感じました」
「大丈夫、秋になれば……」
3歳になると桜花賞(GⅠ)を優勝したが、気性的には大きく変わらなかった。
「蹴っても怪我をしないように馬房にゴムを貼りました。飼い葉もソウルスターリングの時みたいに分けて与えたら食べてくれるのか?など悩み、放牧先の牧場まで見に行った事もありました」
続くNHKマイルC(GⅠ)で敗れた時にはやはりこのままでは良くないと焦る気持ちが強くなった。そんな時だった。
「藤沢先生は『大丈夫、秋になれば食べるようになるから今はやるべき事をしっかりやりなさい』と常に言っていました」
その言葉を信じ、まずは基本に忠実に馬に接する事を徹底した。こうして秋を迎えるとグランアレグリアに変化が現れた。
「藤沢先生の言う通り、別馬のように飼い葉を食べるようになりました」
また、左前脚の爪に弱さがあったが、この時期から普段は接着装蹄をする事で弱点をカバーした。結果、阪神C(GⅡ)を圧勝し、本格化の軌道に乗った。
「デビュー以来最高のデキだったのが、4歳で出走した安田記念(GⅠ、20年)です。ただ、アーモンドアイがいたので勝てるとは思っていませんでした」
「これでダメなら仕方ない」という状態で送り出すと、なんとアーモンドアイを撃破した。
ひと休みを挟んで出走したスプリンターズS(GⅠ)は逆に調子が悪かった。
「馬体のハリからして良かった安田記念と違い、中山競馬場入りした後も馬房の中でずっと暴れて発汗していました。正直、精神的にも走れる状態ではないと感じました」
ゲート裏まで行きスタートを見送った後、下馬所まで移動するマイクロバスの中のテレビで観戦した。
「4角で後方にいるのを見た時には『やっぱり今回はダメだ……』と思いました。ところが最後は桁違いの脚で追い込んで差し切り勝ち。あまりの強さに驚きました」
最後の表彰台で伯楽から言われた言葉
その後、マイルチャンピオンシップ(GⅠ)を勝利してJRA賞最優秀短距離馬に選定されると、年が明けた今年もヴィクトリアマイル(GⅠ)を制覇。2000メートルの大阪杯(GⅠ)と天皇賞(秋)(GⅠ)、そして後に発症した喘鳴症の影響が疑われた安田記念こそ敗れたが、それでも大崩れする事なく、11月21日、マイルチャンピオンシップに臨んだ。
「当初、天皇賞の後はジャパンC(GⅠ)か香港遠征と聞いていました。だからゆっくり構えていたら、ネットの記事でマイルCS出走と知り、少し焦りました。でも、馬の方は反動もなく良い感じだったので、改めて慌てる事はないと考えつつ馬と接しました」
レース前にはこれがラストランになる事が発表された。これを受けて指揮官と何か話をしたのか?と問うと「無事に走り終えたら釣りへ行こうと誘われたくらい」と笑って言った後、次のように続けた。
「『最後までいつも通り基本に忠実にやろう』と言うだけで、特別な事は何も言われませんでした」
前日に阪神競馬場の出張馬房に入ると、当日は馬房の中でも運動中も大人しかった。接着装蹄から勝負鉄への打ち替えもレース当日に行ったが、その間も興奮する事はなかった。
「パドックは助手の大江原(勝)さんと2人で曳き『昔はうるさかったけど、大人しくなったね』と話し合いました」
そんな中でも気を抜く事なくアンテナを張り巡らせて万全を期した。少しうるさい馬がいると見るや、あえて最後尾を歩かせ、馬場入りも最後にした。
「返し馬は『とにかく無事に……』という思いで送り出しました」
その後、ゲート裏へ移動。最後の輪乗りを引っ張った。
「いつもは世間話をするルメールさんもこの日は少し緊張気味で何も話しませんでした」
だから渡部から声をかけるのは自重した。ただ、ゲートインを少し嫌がった時に『最後だから頑張ろう!』とグランアレグリアに声をかけると、鞍上から笑みがこぼれるのが分かった。
レースはいつも通り移動するバスの中のテレビで観た。4角では「届くかな?」と感じたそうだが、スムーズに外へ出したのを見た時には次のように思った。
「勝ち負けはともかく事故はないと思えてひと安心しました」
結果、外から一蹴。マイルの女王が6つ目となるGⅠ制覇で有終の美を飾ると、場内は大きな拍手で包まれた。
「勝ったのは嬉しかったですけど、ゴール後も無事を確かめるまでは心配だったので、拍手には気付きませんでした」
戻って来たグランアレグリアの脚元を確かめるとどこも痛めていなかった。ここで改めて嬉しさが込み上げた。
「リザーブカードも脚元を怪我しやすいタイプでした。若い時期にテンションが上がってしまう点も似ていました。ただ、当時は自分も経験不足で結局、重賞の一つも勝たせてあげられず、悔しい思いだけが残りました。グランアレグリアが勝った事でそれが払拭されるというわけではないですけど、リザーブカード以降、ずっと考えながらやっている事が少しでも報われた結果だと思いたいです」
そんなレースの直後はバタバタして藤沢と直接言葉を交わす事は出来なかったが、互いにアイコンタクトで頷き合った。
「藤沢厩舎に来る前は、藤沢先生の事を魔法使いだと思っていました。でも、実際に下で働くようになったら決して魔法を使っているわけではないと分かりました。藤沢先生は常に基本に忠実に馬に接している。そうする事でいずれ馬が応えてくれる。グランアレグリアがこれだけ活躍出来たのも藤沢先生だからこそ。走るからと言って無理をさせていたらこの活躍はなかったと思います」
表彰式の間、表彰台の上でそんな事を考えていると、藤沢と目が合った。すると、伯楽の口が動いた。
「これで堂々と釣りに行けるな」
「このタイミングで言うんだ?!」と思わず笑ってしまった渡部。「はい!」と答えた。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)