官僚の長時間労働の一因になっている「質問主意書」のルールも変えた方が良いのでは?
すべての業務が一瞬でストップする「質問主意書」
台風前夜の「国会待機」をきっかけに、改めて注目が集まっている官僚の深夜残業。
「簡潔な質問通告」で官僚の疲弊はさらに加速。改善するには与野党の協力が必須(室橋祐貴)
上記の記事で、質問通告にまつわる「想定問答の作成」、与野党の「日程闘争」の現状について述べたが、実は、現役の官僚に話を聞くと、「国会対応」でもっとも大変なのは他の業務だという。
それが、「質問主意書」への対応だ。
経済官庁勤務の20代男性は、「質問主意書が来たら、すべての通常業務はストップします」という。
質問主意書とは、国会議員が国会会期中に、議長を通じて内閣に質問する文書のことで、衆議院、参議院のHPから一覧を見ることができる。
なぜ「質問主意書」への対応が大変なのか。
それは、(土日を含めて)7日以内に、閣議決定まで行わなければならないからだ。
一見、「7日以内」であれば余裕があると思うかもしれないが(国会の想定問答は1日、2日で作成している)、閣議決定を要するためプロセスが長く、しかも、閣議は原則火曜日と金曜日にしか開かれないため、実質的には1週間もないケースが多い。
経済官庁勤務の20代男性によると、資料要求で、例えば、何かについて過去30年分のデータを要求されれば至急対応し、1時間で準備をすることもあるという。
答弁作成のフロー
1.質問提出、省庁間で割り振り
2.担当省庁で答弁書作成
3.関係省庁との協議
4.内閣法制局による審査
5.大臣までの決裁
6.閣議決定
国会の委員会や本会議と異なり、国会議員は会期中いつでも質問を提出することができるため、省庁側からすると、いつ質問が来るのか、予測することもできず、「強制的」に通常業務をストップして、至急対応しなければならない。
通常業務の繁忙期に提出された場合には、当然、答弁作成担当者は深夜対応を迫られる。
ただでさえ複雑なプロセスで、大変な作業な上に、こうした「強制性」、「突発性」があるために、官僚からは「質問主意書」に対する不満も出やすい。
過去には、2004年に坂口力厚労相(当時)が、質問主意書の取り扱いについて検討を求めるコメントも出したが、野党(民主党)からの猛反発もあり、大きな見直しには至っていない。
役所に負担を強いてまで、「セクシー」の意味を問う価値があったのか?
もちろん、国民の代表者たる国会議員の質問権は重要であり、各委員会・本会議での「口頭質問」だけでは発言できる人・時間が限られているため、「文書質問」が重要であることは否定できない。
しかし、個別の「質問主意書」を見ると、(役所に負担を強いてまで)本当に行うべき質問なのか、首を傾げる質問も少なくない。
例えば、10月15日、政府は、気候変動問題をめぐる小泉進次郎環境相の「セクシー」発言について、「正確な訳出は困難だが、ロングマン英和辞典(初版)によれば『(考え方が)魅力的な』といった意味がある」とする答弁書を閣議決定したが、はたしてこれにどんな価値があったのだろうか?
この「セクシー」発言の意味を問う質問を出した立憲民主党の熊谷裕人参議院議員(もう一人は同じく立憲民主党の中谷一馬衆議院議員)は、他にも質問主意書を「乱発」しており、今国会ですでに参議院には36件の質問主意書が出されているが、そのうち18件は熊谷議員であり、一人だけ突出して多い(衆議院でも数名の議員が連発している)。
上記の「セクシー発言」への答弁書がメディアで大きく取り上げられたように、閣議決定であるため、メディアにも取り上げられやすく、アピールのためだと思われても仕方がないのではないだろうか(閣議決定の内容をただ垂れ流すだけで、こうしたコストを前提に、質問の意義があるのか全く問わないマスコミの責任も重いが)。
さらに、「万年野党」というNPO団体(会長:田原総一朗、2014年1月設立)が、すべての議員の発言・質問回数、「議員立法発議者」に名前を連ねた回数、「質問主意書」の提出件数を集計し、高スコアの議員を「三ツ星議員」として選定・表彰しており、質問回数を求めて、質問が出されている側面も否定できない。
実際、2013年衆議院通常国会で133件だった質問主意書は、2014年(衆議院通常国会)に275件、2015年464件、2016年329件、2017年438件、2018年487件と、ここ数年で数倍に膨れ上がっている。
はたして、国益に見合うだけの、質問がなされているのだろうか?
議員の評価軸として、質問回数を重視することは適当なのか。
その裏では、至急対応を迫られ、負担がのしかかっている官僚が存在し、長時間労働の原因の一つになっていることも忘れてはならない(もちろんタクシー代などの費用もかかっている)。
現場の官僚が疲弊し、霞が関を離れていっている今こそ、改めて見直すべき時だろう。
閣議決定まで行う必要があるのか?
では、具体的にどう見直すべきか。
国会議員の「質問権」の確保、官僚の負担軽減を両立させるために、閣議決定を不要にする、のが現実的なところではないだろうか?
まず、諸外国の事例を見ても、「文書質問」は積極的に行われており、回数を制約すべきものではない(個々の質問の意義をどう考えるかは、議員の資質が問われるだろうが)。
イギリスでは、下院の文書質問の提出数が年間3万件を超え(日本では質問1件につき複数の事項を尋ねることが多いが、イギリスの質問文は基本的に簡潔なものが多く、論点も1つである場合が多いため件数が多くなっている)、広く利用されている。
議員個人の回数制限も存在しない。答弁の期限も慣例により提出から1週間以内とされる。
答弁は、質問者に送付された上で、会議録に掲載され、議会ウェブサイト上でも公開される。
ここまでは日本と同じだが、「手続き」が異なる。
イギリスでは、各下院議員が、1人の大臣に対して文書での答弁を求め、当該事項の責任者である省庁職員と大臣が答弁に署名する。
つまり、日本のように全閣僚全会一致の「閣議決定」ではなく、大臣名義で答弁することができる。
日本も、イギリスに倣い、閣議決定を不要にする。
そして、国会の口頭答弁と同じ「重み」にする。
質問主意書一つ一つを厳格に手続きするコストは膨大であり、法令、政令と同じく「閣議決定」まで行う意義があるのか、再検討すべきではないだろうか。
その上で、政府も、「○○のおそれがあるため、お答えを差し控えたい」といった、答弁になっていない「答弁書」もあり、指摘できる体制を整えていくべきだろう。
こちらもイギリスの例を参考にすると、イギリスでは答弁の遅延や質の低下が指摘されるようになった結果、下院手続委員会が政府による文書答弁の監視、文書答弁に関する下院議員からの苦情の受付・審査を行っている。
前回の記事でも、国会の審議のあり方について触れたが、日本の国会には課題が山積しており、このタイミングで一通り課題を洗い出し、抜本的に見直していくべきである。