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35歳、中国人研修生が見た「おもてなしの国」日本 (前編)

中島恵ジャーナリスト
都内の刺繍メーカーで研修中の古月さん

ここは東京都中央区にある某刺繍メーカー。昨年8月末、同社に1人の中国人研修生がやってきた。名前は胡章玉さん。日本人には読みにくい名字なので、胡という漢字を2つに分解して、愛称は日本風の古月(ふるつき)さんに決まった。

ここ数年、緊張状態が続いている日中両国だが、国家関係やメディアはともかく、足元の「個人と個人」に目を移してみれば、決してギクシャクすることばかりでも、冷え切っているわけでもない。むしろ、国家間がうまくいっていないからこそ、人間同士はお互いに思いやりの気持ちを持って接しよう、と心がけている人も大勢いるはずだ。「国家」と「人」を切り離しては見られない、という人もいるだろうが、これから紹介する古月さんが見たリアルな日本の話に、ぜひ「個人」として耳を傾けてほしい。

古月さんは同社が3年前から活用しているHIDA(ハイダ)という人材育成機関の制度を使って、6カ月の予定で来日した。同社がこの制度を活用する目的は、中国工場で働く中国人社員の研修という名目ももちろんあるが、それだけでなく、中国人人社員が「自分もがんばれば、来年は日本に行けるかもしれない」と思うモチベーション効果のほうが大きいという。それだけ技術力が高く、豊かな日本への憧れの気持ちが強いのだ。中国工場で作る製品には「日本向けのおもてなしやサービス」も必要なので、日本で経験を積んだ研修生が徐々に増えていくことによって、「おもてなしのこころ」も自然と他の社員に伝播していけばよいという。

また、日本で働く同社の日本人社員(8人)にとってもよい刺激になるという。中国工場を複数持つ同社でも、日本人社員にとって中国人の扱い方は難しい。どのように接してよいかわからないという人もいるが、社長は「社員たちには、もし自分の家族や親友が知らない土地にひとりで行ったらどうしてあげたいと思うか?心細いだろう?と話している。どの国の人であれ、相手の立場になって接することがいちばん大切だ。ある意味では、社員たちの『おもてなし力』をつけるには、異国の人を受け入れることが最もよい研修になるのではないか」と話している。

同社では過去に2人の研修生を受け入れてきたが、男性は初めて。社長は古月さんを「男なのに涙もろくて人間的なところがある。相手がどう感じるかを考えて行動することができ、毎日日本語でブログを書く熱心さもある努力家」と高く評価する。

果たして、古月さんが見た日本とはどんな国なのだろうか? 私はこれまで北京大学卒などの「中国人エリート」に取材する機会が多かったが、古月さんは特別なエリートでもなく、かといって農民でもなく、中国の地方の大学を出たごく普通の中間層の青年だ。日本にいると中国のセンセーショナルなニュースばかり目にするが、当然ながら、中国にも日本と同様に「普通の人の普通の暮らし」がたくさんある。彼の素直な感想に耳を傾けてみれば、日本人が気づきにくい日本のよさに気がつくかもしれない。

農村の村で初めての大学生

――こんにちは。昨年知り合ってから会うのは2度目ですが、簡単に略歴を教えてもらえますか。

古月:私は1978年に、内陸部の安徽省安慶市という田舎で生まれました。1979年末に開始された一人っ子政策よりも前なので、姉3人がいる4人きょうだいの末っ子です。内陸では私のような人はけっこう多いですよ。両親は農業をしていました。中学・高校まで地元の学校に通い、大学は同じ安徽省内の無湖連合大学(現在は無湖職業技術学院)に進みました。私は村で初めての大学進学者でした。4人兄弟で、しかも農家は収入が多いわけではないので、私を大学に進学させることは両親にとって大変な負担だったと思いますが、男ひとりでしたし、無理して進学させてくれました。お金はなくても、私に知識という武器を身につけさせようとしてくれたんだと思います。

日本には幼い頃から興味を持っていました。きっかけは日本のアニメです。「ドラえもん」や「名探偵コナン」などに憧れて、日本語を勉強したい、いつか日本に行ってみたいと思っていました。だから、今こうして自分が日本にいるなんて夢みたいです。

――そうだったんですか。日本のアニメに憧れて日本に興味を持つという中国人は本当に多いんですね。蘇州にある日系企業にはどうやって入社したんですか。

古月:大学卒業後、上海に住む姉を頼って都会に出てきまして、上海の大きな人材紹介イベントに参加して、そこにあったブースの中で今の会社を見つけました。上海と蘇州は近いので。日本語はあまりしゃべれませんでしたが、もっと日本語を勉強したかったし、日本企業はすばらしいと思って入社を希望しました。最初は断られたのですが、半年間無休でもいいので雇ってください、と必死でお願いして、ようやく入社することができました。

入社したのは2001年です。当時のお給料は600元(当時のレートで約8000円)でしたが、毎年右肩上がりで順調に上昇しています。経済成長している中国では普通のことです。

――蘇州ではどんなお仕事をしていたのですか。

古月:ワッペンや刺繍をしている工場があり、私はそこの事務方のスタッフでした。資材の手配など発注作業や生産管理、工場と日本側をつなぐ窓口としての役割もしています。以前は日本の顧客が9割でしたが、最近では中国国内や欧米の取引先も増えています。

――ご結婚は?

古月:大学時代のクラスメートと2004年に結婚しました。ほぼ同じ時期に父が亡くなりましたので、今は田舎から母を上海に呼び寄せて、上海で母、妻、そして7歳になる一人息子と4人で暮らしています。

――そうですか。じゃあ、古月さんの日本からの便りを楽しみにしているんでしょうね。では、次に来日してからの新鮮なエピソードをお聞きしたいと思います。

(後編)に続く。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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