Yahoo!ニュース

2019年ドラフトの注目株【5】――ドラフト直前に飛び出した左腕・岩崎 巧(日本製鉄室蘭シャークス)

横尾弘一野球ジャーナリスト
変則左腕の岩崎 巧は、チーム初の都市対抗、日本選手権連続出場に貢献した。

 最後の打者を討ち取ると、岩崎 巧はマウンド上で派手なガッツポーズ。捕手の佐々木大樹らチームメイトが駆け寄り、あっという間に歓喜の輪ができる。日本製鉄室蘭シャークスは、都市対抗に続いて日本選手権の代表権も手中に収めた。創部初となる快挙の原動力となった岩崎は、自身もドラフトのダークホースに名乗りを上げたと言っていい。

 前年夏に甲子園へ駒を進めた前橋商高に、2011年に入学した岩崎はすぐに頭角を現す。春の県大会優勝に貢献し、大型左腕として注目されると、夏には背番号1を着ける。その後もストレートの球速は伸び、カーブ、スライダー、ツーシーム、チェンジアップと多彩な変化球を操るようになり、県大会でも上位に進出するが、なかなか甲子園には届かない。

 2年の秋頃に左肩痛に見舞われ、3年春までは不本意な投球が続く。それでも、「同い年の松井裕樹(桐光学園高-現・東北楽天)には負けたくない」と成長を続ける逸材には、最後の夏に数球団のスカウトが視察に訪れる。だが、「何かが足りない。それを見つけようと考えて」プロ志望届は提出せず、さらなる飛躍を期して法政大へ進学する。

アウトを取るという感性に優れたサウスポー

 しかし、全国から高い志や目標を抱いた選手が集まる環境では、思い通りのパフォーマンスを発揮することができなかった。3年までの6シーズンで5位が4回という低迷期とも重なり、リーグ戦のマウンドにも立てない。

 4年春になり、早稲田との開幕戦に二番手で初登板すると、3試合に起用される。大学での実績はそれだけに終わったが、縁に恵まれて室蘭シャークスで野球を続けられることになった。

 活動を休止した新日本製鐵室蘭の有志によって、1994年から活動するクラブチームは、北海道の社会人野球に活気を取り戻そうという声を受け、岩崎が入部した2018年から会社登録に切り替える。企業チームとなったからには、それに見合う実績を残そうという気運の中、岩崎も与えられた出番に必死の投球を見せる。

 投手陣には瀬川隼郎(元・北海道日本ハム)、鈴木駿也(元・福岡ソフトバンク)、佐藤峻一(元・オリックス)と3名のプロ経験者がおり、そう簡単に主戦の座は手にできないが、中継ぎから信頼を得て、今季は都市対抗北海道二次予選で先発も経験。安定した投球を見せると、東京ドームで初戦(二回戦)の先発を任される。

 対戦相手は、結果的にベスト4まで勝ち進む古豪の日立製作所だったが、岩崎は初めての大舞台でも普段通りの落ち着いた投球で、初回を3者凡退で滑り出す。2回に一死一塁から先制2ラン本塁打を浴びた時は、全国レベルの洗礼を受けたかと思われたが、岩崎の投球がクローズアップされたのは、むしろここからだった。

 ストレートが130キロ台後半でも緩急をつけ、変化球も丁寧に低目へ制球する。次第に日立の打線を翻弄し、7回二死二、三塁で交代するまでに毎回の11三振を奪う。高校時代の岩崎も知るスカウトは、「凄さはなくなったけれど、アウトを取るという感性は磨かれた印象。左腕が遅れて出てくるスリークォーターのフォームを含め、中継ぎやワンポイントなら面白い」と絶賛した。

 そうして何名かのスカウトに「ダークホース」と認識された左腕は、9月20日から行なわれた日本選手権北海道最終予選にはエースとして臨む。航空自衛隊千歳との第1戦に先発して好投すると、勝てば代表権獲得となる北海道ガスとの第3戦では、先発で7回を3安打無失点。見事に胴上げ投手となり、最高殊勲選手賞にも選出される。

 さぁ、岩崎の成長ぶりは、スカウトたちの目にどんな印象を残したのか。そして、10月17日のドラフト会議では……。その前に、姓の読みは「いわざき」であること、崎の「大」の部分は正式には「立」であることを覚えておこう。

野球ジャーナリスト

1965年、東京生まれ。立教大学卒業後、出版社勤務を経て、99年よりフリーランスに。社会人野球情報誌『グランドスラム』で日本代表や国際大会の取材を続けるほか、数多くの野球関連媒体での執筆活動および媒体の発行に携わる。“野球とともに生きる”がモットー。著書に、『落合戦記』『四番、ピッチャー、背番号1』『都市対抗野球に明日はあるか』『第1回選択希望選手』(すべてダイヤモンド社刊)など。

横尾弘一の最近の記事