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英国政府が「合意なきEU離脱」に向けて準備。なぜ暗鬱たる状況は起こったか(第1回目発表のリスト掲載)

今井佐緒里欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者
8月下旬、ロンドンで医薬品と食品の備蓄の可能性に抗議するデモを行う人たち(写真:ロイター/アフロ)

8月23日、英国政府は「合意なき離脱」に準備するための文書の公表を開始した。

今回は25件が発表されて、 向こう数週間にかけて80件以上の文書を出すという。

来年3月30日24時の離脱までに合意が得られなければ、英国とEU間の自由な物流は停止し、EUと取引を行う企業は、関税や安全性申告などに関して新規則の順守が求められるという。

現在、7000人以上の職員がブレグジットのために働いており、必要に応じて9000人以上の人材を募集している。 短期的には、300人が税関に雇われるという。1万6000人の職員というと、日本では財務省から農林水産省くらいの規模である。

英国政府の目的は「安定性が第一」というガイドラインに基づいている。たとえ英国政府がこの黒シナリオを避けようとしても、「責任ある政府として、あらゆる事態に備えて準備することが私たちの責務です」と文書は説明している。

一方で欧州委員会は、 「英国の離脱が、合意の有無にかかわらず問題を引き起こすことは明らかです。 だからこそ、建設的な精神で、合意を望んでいるのです」と定期的に繰り返し述べている。

日本企業はどうする

筆者が昨年ブリュッセルや東京で関係者に聞いたところによると、英国にある外国企業は、離脱1年前の2018年3月に何も決まっていなければ、見切り発車するだろう、ということだった。企業が大きな決断をして行動するのには、最低でも1年はかかるからだという。

また、英国に工場をもっている日本企業に関しては、工場の移転はものすごくコストがかかるので、移転ではなくて閉鎖、欧州での生産そのものをやめることも選択肢にのぼるケースがあるだろう、ということだった。

もし合意なき離脱になったら、英国にある日本企業の工場は英国を撤退する、という観測がある。いやいや、企業はそんなにのんきじゃないでしょう、と思う。

つまり、最低でももう半年近く前に、公表しないだけで各企業の腹は決まっており、今回の発表を待つまでもなく既に動いていたということだろう。

日本とEUが経済協定に署名したのも、影響を与えたかもしれない。

EU由来の法律が過半数

本当に80件で済むのだろうか。

今まで共通の規則や規制で動いてきたのだから、内容としては実際はそれほど複雑ではないものもある。しかし、問題は決めるべき事柄の量なのだ。

80件で済んでも、それは項目数にすぎない。一体いくつ決める事柄があるのだろうか。

なぜこのような暗鬱たる事態になったのだろう。

原因はたくさんあるだろうが「離脱など、そもそもが極めて難しい」(ほとんど無理)というのが一番大きな原因じゃないだろうか。

「極めて難しい」には、筆者は3つの理由を考えている。

まず一つ目。英国内部の話である。

EU加盟国の法律は、大体6割から7割がEUに由来していると言われている。国の法律の過半数が、EU仕様になっているのだ。

法律を全部変える必要はないと思うのだが、強硬派が言うように英国独自路線をいきたいのなら、理屈から言えば全部精査しないといけなくなる。

法的拘束力のあるEUの規制は、3種類ある。

◎1 規則:EUの決定がそのまま加盟国の国内法になる。

◎2 指令:EUが目標と期限だけ決めて、各加盟国は独自に目標を実現するためのやり方を国内法で決める。

◎3 決定:特定の加盟国の政府や企業、個人に対して直接適用される。

筆者は在住国であるフランスで法の改正が必要な大きな問題が起きると、これはEUから来ているのか、EUに(その時点では)まったく関係ないフランス独自の動きかを、必ず調べるようにしている。前者であれば、フランス独自でできることは限られてくる。後者であれば、内容によっては将来、そのフランス独自の法律がEUの決まりになる可能性がある。これはフランスに限らず、全加盟国に共通していることだ。小さい国ならEU中枢への声は届きにくいだろうが、EU内で仲間をつくればいいのだ。

ただ、筆者はどのようにヨーロッパが構築されていくかを知るためにいちいち調べるが、そんなことは一般には関心をもたれないことだと思う。フランスのメディアも、わざわざEUのことは述べない、あるいは述べても目立たないケースが多い。そのためフランス人も、EU由来であっても知らないで、あくまで自国の問題だと思っているケースが多いように感じる。おそらくこれも、フランスだけではなく、EU加盟国全体でこういう状況だと思われる(これはこれで、加盟国の一般市民とブリュッセルとの乖離という大問題なのだけど)。

イギリスの政治家や要人の発言を聞いていると、自分の国の法律の半分以上がEU由来だとちゃんと知っていて発言しているのか、生半可な中途半端な知識で煽って発言しているだけなのか、とても興味深い。国が危機になると、政治家の人間としての資質というのは現れますね。

問題はEUばかりではない

そして二つ目。英国とEU外の国々との関係である。

もはや各国に経済協定を結ぶ主権はない。EUに譲渡しているのだ。だから例えば日本とドイツ、日本と英国が二国間経済協定を結ぼうとしても、不可能である。この世に存在しない。英国が離脱すれば、可能になる。

いまEUが貿易協定を結んでいる国・地域は、完全発効しているもの・部分発効しているもので、全部で80以上の国・地域がある。

これも全部離脱である。EUとの関係ばかり話されているが、こちらはどうするのか。経済協定がゼロ、丸裸になってしまう。

コモンウエルス(英連邦)に関して言えば、英連邦特恵関税制度なんて、英国がECに加盟した、とっくの昔に消滅してなくなっている。

このことに青ざめているメイ首相は、インドに行ったりアフリカに行ったり、コモンウエルスの関係強化につとめようとしたりと、大変忙しい。

良い記事があったので、後付けになるが参考に貼っておく。

参考記事(日本経済新聞): 英、インドなど英連邦諸国との関係強化 離脱にらみEU依存下げ 相手国には温度差

しかし、アフリカやインドはともかく、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなど、遠い先進国と二国間協定を結んで、どれだけの恩恵があるのだろうか。経済協定というのは、相互補完的であるべきものだ。近いならそれだけで価値があるし、様々なコストも低くて済む。遠くても、相手が発展途上国で、英国と経済格差があれば補完的になる。

もっとも、英国にとっては、少なくとも食料が入ってくるという安心と確約にはなるのかもしれないが・・・(価格が高くなりそうだけど・・・)。

参考記事:イギリス人が怯えるサンドイッチの危機とは何か。

つまり、現状を正しく把握するのなら、離脱はまったくもって現実的ではない。もはや、にっちもさっちもいかない。それを覆すには、感情で叫ぶしかない、ということだ。

ただ筆者の意見を言うのなら、自分の国の行く末なのだから、自分たちで決めればいい。イギリスにはちゃんと民主主義があるので、そこは静観することにしている。

ハードもソフトも関係ない

三つ目の理由は、当のEUとの問題である。英国での論議が荒唐無稽に見えることだ。

今まで散々ハードブレグジットかソフトかが論議された。英国側にとって大問題だというのは、理解できる。

でも、欧州大陸側にとっては、どれだけの意味があったのだろうか。以前にEU側の立場を説明して「ハードもソフトも、英国の事情に過ぎない」と書いたのだが、当時は英国発の大きな声にかき消されてしまっていた。

参考記事:ハード&ソフトブレグジット論への疑問ーー日EUの新しい時代を前に確認しておきたい軸

「人の自由な行き来はやめたい」「でもEU単一市場へのアクセスは確保したい」の両方を実現するのは、100%不可能なのはわかっていた。英国をのぞく27全加盟国が、満場一致で認めないことに同意しているからだ。そんなEU設立の理念に基づくことを、妥協するわけないではないか。

よく、ノルウェーやスイスのモデルが語られた。しかし、どちらの国も基本的に、人と物の両方の自由な行き来を認めている。

「人と物の自由な往来」ーーこれがEUの根本理念なのだから、そのEUを国民投票で離脱すると英国は決めたのだから、粛々と淡々と、事務的手続きを進めればいいだけのはずではないのだろうか。

ところが実際は、ほとんど何も決まっていないに等しい。

軍事はどうなっているのか。EUの枠で行われているNATO(北大西洋条約機構)のプログラムは一体どうなるのかは気になるところだが、そういう話が真っ先に出てこず、あまり表に出てこないのは、欧州が平和な証拠だろうか。

アイルランドと英国との国境問題についての議論が長引いたとき、英国でも大陸側でも「時間がどんどん過ぎ、一番大切な通商問題に関わる時間が少なくなってしまう」という危機感があらわになった。特に英国側のメディアでは、そのような訴えが目立った印象だった。

無理もないとはいえ、英国内で議論するだけ無駄なことを議論して、大切な時間を無駄にしてしまった。

でも、どのみち時間は足りなかったかもしれないが。

どの国も「離婚」を望んでいなかった

それにしても、英国のテレビ等を見ていると、まるでEU側が英国に意地悪をしているみたいに、「してくれない」発言が目に付く。再三言っているが、先に三行半を突きつけたのは、英国側である。

筆者は英国離脱が決まった朝のことをよく覚えている。若者が多い筆者のフェイスブックの中で、相当な数の「いいね!」を集めたのは「二度と英国なんか行くもんか! 子供っぽいと言われようが、そっちが先にそうしたんだ!」と書いた男性だった。次に「いいね!」が多かったのは、「英国は、公式に私たちが大嫌いだと言っているわ・・・」とつぶやいた女性だった。

欧州大陸で、英国に「出て行け」などと主張した勢力など聞いたことがないし、そんなキャンペーンなど皆無だった。被害者気分になる前に、特に極右の嘘のプロパガンダに踊った英国のジャーナリストには、猛省してもらいたい。

もう時間がないので、もし今後、英国とEUが合意に至るとしても、締め切り間近の、最低限の突貫工事になるかもしれない。繰り返すが、欧州大陸側では、どの国も英国のEU離脱なぞ望んでいなかったのに。

参考記事:イギリス人が怯えるサンドイッチの危機とは何か

第1回目発表のリスト翻訳

どういうものが8月23日に公表されたか、以下に紹介する。

この文書は逆に、「EU加盟国がどのような項目でEUにつながっているか」のリストにもなり、EUの働きを知りたい人には必見とも言える。

【合意なきブレグジットの準備方法に関するガイダンス】

2018年8月23日公開

欧州連合離脱省 発行

◎概要

合意なき離脱シナリオのための英国政府の準備

◎EU資金援助プログラムの申請

合意なき離脱の場合の、政府のEU資金提供プログラムに対する保証

合意なき離脱の場合の、Horizon 2020の資金調達(訳注:過去最大のEUの研究とイノベーションプログラム。2014年〜2020年の7年間に約800億ユーロの資金が利用可能で、この資金がひきつける民間投資計画も含む)

合意なき離脱の場合の、人道援助プログラムの提供

◎民生用核(原発)と核研究

合意なき離脱の場合の、核研究

合意なき離脱の場合の、民生核(原発)の規制

◎農業

合意なき離脱の場合の、農場の支払い

合意なき離脱の場合の、農村開発資金の受け取り

◎輸入と輸出

合意なき離脱の場合の、貿易救済措置

合意なき離脱の場合の、EUとの貿易

合意なき離脱の場合の、英国の貿易関税における商品分類

合意なき離脱の場合の、管理された商品の輸出

◎製品ラベル付けとその安全

合意なき離脱の場合の、タバコ製品と電子タバコのラベル付け

合意なき離脱の場合の、遺伝子組み換え生物の開発

合意なき離脱の場合の、有機食品の生産と加工

◎お金と税金

合意なき離脱の場合の、企業のVAT(付加価値税)

合意なき離脱の場合の、銀行、保険、その他の金融サービス

◎医薬品および医療機器の規制

合意なき離脱の場合の、バッチテスト薬

合意なき離脱の場合の、血液や血液製剤を安全に保つこと

合意なき離脱の場合の、どのように医薬品、医療機器、臨床試験が規制されるのか

合意なき離脱の場合の、医療製品に関する規制情報の提出

合意なき離脱の場合の、臓器、組織、細胞の品質と安全性

◎国家の援助

合意なき離脱の場合の、国家援助

◎英国またはEUでの勉強

合意なき離脱の場合の、英国における「エラスムス+」

◎職場の権利

合意なき離脱の場合の、職場の権利

以上が、今の段階で発表されたものである。

合意が必要とは言うけれど

欧州大陸側が英国離脱を望んだわけではないし、混乱を避けるためにも、きっぱりとした離婚は避けたいのはわかる。

でも、いつまでもずるずるやっている訳にはいかない。今までだってほとんど何も決まっていないのだ。

それに、情勢の変化がある。

2019年3月30日0時に英国が離脱、その間もなく後の5月23-26日に、欧州議会選挙が行われる。欧州議会選挙は、国政や地方議会の選挙には見られないような強い結果が出る傾向がもともとあり、極右の勝利、もしかしたら圧勝さえも考えられる。

合意なき離脱で英国が大混乱に陥ることこそが、極右に対する最も強いカウンターパンチになり、EUを守る結果になるーーと計算する人は、間違いなく各国の上層部やEU関係者にいるのではないか。

スコットランド独立問題のときも感じたが、英国というのは、いつもEUの行き先の尖兵の役割を果たすようだ。皮肉ではなく、ある種の尊敬をもってそう思うのだ。

今後の情勢を、注意深く見守りたい。

欧州/EU・国際関係の研究者、ジャーナリスト、編集者

フランス・パリ在住。追求するテーマは異文明の出会い、平等と自由。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。元大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著「ニッポンの評判 世界17カ国レポート」新潮社、欧州の章編著「世界で広がる脱原発」宝島社、他。Association de Presse France-Japon会員。仏の某省機関の仕事を行う(2015年〜)。出版社の編集者出身。 早稲田大学卒。ご連絡 saorit2010あっとhotmail.fr

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