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五郎丸歩、「信念」のススメ。【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
2017年に国内復帰後、ゴールキックのフォームは従来と比べ変化していた(写真:松尾/アフロスポーツ)

 会場の記者は、<あの時の心境はどうでしたか>と問うた。登壇者の五郎丸歩は答えた。

「ラグビーをずっと続けてきた人間としましては、1人にフォーカスされることへの違和感はもちろん、感じていました。ラグビーというものは誰かヒーローが出るわけではなく、チーム皆が自分の仕事を全うしたうえで勝利が見える競技性を持っています。そうしたものを私は3歳からずっと経験しておりますので…」

 2020年12月16日、静岡県内で引退表明会見をした。ヤマハの一員として臨む2021年1月からの国内トップリーグを、最後のシーズンとする。

 一気に知名度が増したのは2015年だ。ラグビー日本代表が、ワールドカップイングランド大会で当時通算優勝2回の南アフリカ代表などから歴史的3勝をマーク。当時の副将だった五郎丸は、両手を胸の前で合わせるゴールキックのフォームで時の人となった。「五郎丸ポーズ」は新語・流行語大賞にノミネートされた。

 ラグビーの観戦文化が成熟する前の日本において、多忙を極めた本人は「非常に違和感はありました」と心で感じたのだ。

 もっとも最終的には、自らの立場をこう相対化したという。

「…ですけど、ラグビーという競技がこの日本で広がっていない以上、私が、その、仕事と言いますかね。ラグビーの魅力を広げていくことが私に与えられた使命だという風に考えて、ここまでやってきました。はい。最初は少しきつかったですけどね、考え方を変えれば素晴らしい機会をいただいたと思います。あのポーズから入ってラグビーを、違う選手を好きになったという方が1人でも多くいらっしゃれば、私がラウビーを続けてきた意味があるのかなと思います」

 なお、静岡県外の記者はリモートで出席。リモート参加の記者からは、チームがメールで質問を募った。会見の司会者である長谷川仁広報が、その内容を代読した。

 県外からの参加者の1人が掲げた質問のひとつは、こうだ。

<自らの経験から、これから多くの選手に注目される選手へ伝えたいことなどはありますか>

 周囲のひと仕事を経た末、五郎丸は、丁寧に、丁寧に言葉を選ぶのだった。

「…うーん。自分の信念というものをしっかり持って欲しいという風に思います。応援していただくことは本当にありがたいいことです。ただ、そういった周りの声にあまり左右されることなく、自分らしさを貫き通す。そのことが一番、大事ではないかなと思います」

 オーストラリアのレッズに渡ったのは、ブームの只中にあった2016年。結果的に日本代表とも距離を置く形となり、2019年の日本大会は8強入りする同士を解説者などの立場で見届けた。

「信念を貫く」とはよく聞かれるフレーズではあるが、多くの人々の注目や期待を浴びるなかで自分と向き合い、自分の足元を見失わないのはそう簡単ではない。五郎丸は、その言うは易し行うは難しの理念を全うしようとするアスリートだった。

 早稲田大学を卒業してヤマハと契約する時点ですでに、35歳になるシーズンが最後となるイメージを抱いていたという。最後の最後まで、「信念を貫く」というらしさをにじませた。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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