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【京都市北区】京を一望する山に元号寺院を建立しようとした秀吉の野望はどこにあったのでしょうか? 

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 平城京から長岡京へ、そして平安京へと遷都において重要視されたと言われるのが、陰陽道に基づく四神相応と言われていますね。四神とは、四方を守る神、すなわち北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎のこと。そして、四神相応の地とは、北に山、南に湖、東に川、西に道がある地形を言います。諸説ありますが、北に船岡山、南に巨椋池(おぐらいけ)、東に鴨川、西に山陰道をそれに充てたと伝承されています。

平安京の大極殿を模したと言われる平安神宮
平安京の大極殿を模したと言われる平安神宮

 京都市北区船岡山は、標高は112メートルの低い山。平安時代には、 「天子南面す」の故事に倣い、船岡山の南に大極殿が建てられ、そこから南に向かって、平安京のメインストリートである朱雀大路が通っていました。これが現在の千本通です。古代中国では、国の君主である天子は南に向かって政治を執るとされていました。 長安をモデルにしている平安京でもそれに倣ったと云われ、天皇が大内裏から南を向いて左(東)を左京、右(西)を右京としたと云われています。

船岡山
船岡山

 かつて清少納言の枕草子に「丘は船岡……。」と詠まれた、この小さな山は常に歴史の渦中にありました。応仁の乱の際には山名宗全率いる西軍がこの山に陣取り、この辺り一帯が西陣と呼ばれるようになったと言われています。織田信長の菩提を弔うとして、当時の元号だった天正を取って「天正寺」を建立しようとしたのが豊臣秀吉でした。元号寺院と言えば、日本宗教の母山として名高い延暦寺、宇多天皇の創建による門跡寺院の仁和寺、各宗兼学の寺院として勅許された建仁寺に許された高い格式でした。

京都市内を一望
京都市内を一望

 京都所司代として前田玄以の奮闘もあり、正親町天皇から「天正寺」の寺号まで下賜され、船岡山東麓に建設する計画でした。しかし、計画は頓挫しました。理由は定かではありません。天正14年(1586)、秀吉は平安京の大内裏跡である内野を利用して「聚楽第(じゅらくてい)」の建設に着手しています。ひょっとして秀吉は「天子南面す」の野望があったのかも? 朝廷の抵抗だったのでしょうか?

三等三角点船岡山
三等三角点船岡山

 船岡山の山頂には、「三等三角点船岡山」があり、丸く石に囲われています。三角点は地球上の正確な緯度・経度を示します。地図の作成時、道路や橋の建設時の測量の基礎となるのだとか。北緯35度2分8秒」756 東経135度44分40秒417 標高 111.89メートル 設置年明治36年(1903年)と表示されていました。

京都市街を一望
京都市街を一望

 船岡山の展望台からは京都市街を一望でき、お盆には「左大文字」や「舟形」など五山の送り火を楽しむことができます。ぜひ一度お出かけください。ほんとに軽いハイキングが楽しめますよ!

 船岡山公園  京都市北区紫野北舟岡町42

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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