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パリで起きた9・11ーなぜ今、パリでテロが起きたのか?ー

溝口紀子スポーツ社会学者、教育評論家
「Je suis charlie 私はシャルリー」テロに抗議、表現の自由の意味

パリで起きた9・11

正月明けの1月7日、仏週刊紙「シャルリー・エブド」の本社が2人の男に襲撃され、12人が死亡した。

襲撃した二人の容疑者はアルジェリア系フランス人で過去に、過激派組織に関与しており訴追され、テロ要注意人物として当局の監視対象になっていたことも判明した。

この事件の後、パリ郊外のモンルージュでも警察官一人が襲撃され、パリはさながら内戦状態のようである。

2015年1月9日付けのルモンド紙はフランスの9・11と題してフランスの混乱ぶりを伝えている。

フランス・ルモンド紙 Le 11 SEPTEMBRE FRANCAISE

この事件は、風刺画は暴力に変貌するということを示した。

襲撃されたシャルリー・エブド紙は、ニュースを揶揄するために文字ではなく風刺画という表現で伝える。ある意味、文字よりも絵の方がより刺激的だ。なぜなら言語がわからなくても絵は誰にでも自由に理解でき直接的に伝えることができるからだ。

もちろん言論、表現の自由は大切であり暴力に屈するべきではない。

とはいえ相手が「侮辱された」と感じる行き過ぎた表現は暴力に変貌するリスクも持っている。批判することと侮辱することは違う。だからこそ、描く側のモラルも問われている。

フランスのスポーツ界にも影響

そんな混乱のなか、パリに住むフランスの友人たちからTwitterやフェイスブックで発信される、テロへの抗議や言論・表現の自由の訴えは身に迫るものが伝わってくる。まさに民衆の力で自由を勝ち取ってきた歴史や文化に畏敬の念を持たざるを得ない。

スポーツ紙のレキップは、1月8日哀悼特集ページを組んだ。風刺画はフランスのスポーツメディアにも浸透している。

引用レキップのTwitter

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さらに、フランスの金メダル製造所といわれるナショナルトレーニングセンターの「INSEP インセップ」でも哀悼イベントが1月8日行われた。襲撃された警察官は元バスケットボール選手。フランスでは柔道選手をはじめスポーツ選手が警察官になることが多い。

INSEPのTwitter

世界柔道チャンピオンのリネールをはじめ、フランスのスポーツ選手らが、哀悼を示し「JE SUIS CHARLIE!」とTwitterやFBで暴力に屈しない表現の自由を訴えている。

こういう事件があったとき日本選手であれば関わらないように発言は控えるのではないだろうか。

自ら、表現、発信するということにフランスのスポーツ選手は日本選手より知性と勇気があると思う。

多文化主義の行き詰まり

昨年、パリを訪れた時に大きな違和感があった。

それは「移民に対する憎しみ」である。

タクシーに乗ったときに突然大渋滞になった。事故かとおもって半ば諦めていたところ、道路を遮っていたのは黒人の移民たちが乗る車だった。道路の真ん中に車をとめ、車外にでて同乗者たちが口論していた。身勝手な行動をするモラルのない人たちだった。

タクシーの運転手が言った。「もう限界だよ。俺たちはこんな移民のゴロツキたちにこれまで寛容すぎたんだ。そのツケがまわってパリで生きづらくなっている。身勝手で自分勝手な移民たちがいっぱい。」

確かに10年前にもこんな光景に遭遇した。それは黒人の移民ではなく白人だった。身勝手な白人のパリジャンは昔からいたし今もいる。ただ10年が経ち黒人や北アフリカ系の移民3、4世のひとたちが少し裕福になって車を乗るようになっただけに思えた。

柔道の現場も雰囲気が変わっていた。フランス柔道の代表選手の半数以上が移民系の選手になっていた。私がコーチのころは少数の移民選手であったが、今は移民系の黒人選手が多く、彼らが中心グループになって行動しているのをみると私が暮らしていた10年前と、ずいぶん雰囲気が変わったとおもうのだ。

フランスはスポーツの力で難題を克服できるか?

今回の事件はイスラム過激派が関与しているともいわれるが、宗教の根っこに、フランスには多民族、格差拡大社会があり、問題はもっと複雑である。「私はシャルリー」という言葉と同時に「イスラムは容疑者ではない」との訴えもネット上に多い。

私がフランスナショナルチームのコーチをしていたとき、血や国籍ではなく教育や文化がフランス人を作るという考えに瞠目した。フランス代表のなかには、セネガル、アルジェリア、チュニジア、モロッコなどフランス旧植民地の国籍を持つ選手がたくさんいた。(ちなみにフランスでは二重国籍は認められている)

そのなかで選手の喧嘩もよくあった。日本と違うのは人種差別発言まで発展し、コーチが仲裁することもあった。

そのときコーチたちが口にしたのは、「Il ne faut jamais l'oublier, liberte. Egalite, fraternite!(自由、平等、博愛の精神を忘れない!)」であった。

それを耳にしたとき「この国はフランス革命の人権の精神がしっかり根付いている」と感動で身震いした。と同時に多国籍、多宗教、多文化を受け入れることが日常にあることを知った。

今回の容疑者と同じアルジェリア系フランス人であるサッカーのジネディーヌ・ジダンは、フランスの多文化主義の象徴でもある。アルジェリア移民の両親をもつジダンが、1998年、自国開催のW杯でフランスの栄光を導くストーリーは当時のフランスそのものだった。

あれから17年が経とうとするが自由、平等、博愛の精神を掲げたフランスは、格差拡大化、多様化する社会をどう乗り越えていくのか。

98年のW杯のように相克する民族や宗教をスポーツの力で超えることができるだろうか?

今、フランスはカルフール(交差点)に立っている。

スポーツ社会学者、教育評論家

1971年生まれ。スポーツ社会学者(学術博士)日本女子体育大学教授。公社袋井市スポーツ協会会長。学校法人二階堂学園理事、評議員。前静岡県教育委員長。柔道五段。上級スポーツ施設管理士。日本スポーツ協会指導員(柔道コーチ3)。バルセロナ五輪(1992)女子柔道52級銀メダリスト。史上最年少の16歳でグランドスラムのパリ大会で優勝。フランス柔道ナショナルコーチの経験をもとに、スポーツ社会学者として社会科学の視点で柔道やスポーツはもちろん、教育、ジェンダー問題にも斬り込んでいきます。著書『性と柔』河出ブックス、河出書房新社、『日本の柔道 フランスのJUDO』高文研。

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