長年放置され続けている「カレー問題」を改めて問い質したい
夏がカレーの季節と誰が決めたのか
フードジャーナリストという仕事柄、自分の趣味嗜好に関わらず全方位的に料理と向き合うよう努めている。ラーメンとかき氷に関しては、より深くマニアックな向き合い方をしてはいるが、それ以外の料理に関しては極力フラットに対峙しているつもりである。しかしながら、カレーに関してはやや理性を失ってしまうことが少なからずある。
私は決してカレーマニアではないし、カレーに対するこだわりもそれほどない。世の中にはカレー評論家という方たちがいらっしゃるし、そういう方たちと比べたら知識や経験ともに明らかに劣ることも自覚している。そんな私ではあるが、私なりのカレーに対する愛があり、長年カレーに関して思うところがある。いや、カレーに関してというよりもメディアや一般消費者のカレーへの向き合い方に関して、という方が正しいのかも知れない。ずっと心に秘めておこうと思ったが、もう我慢出来ない。
夏になるとテレビや雑誌、ウェブなどで「カレー特集」が組まれることが多くなり、必然的にカレーの情報を目にする機会が増える。そしてその度にイラッとしている自分がいる。温和が服を着て歩いているような私なのに、冷静さを一瞬忘れて眉間に皺を寄せていることに気づき呆然となる。
メディアに身を置いている人間だからこそ敢えて言おう。企画段階で「夏なんでカレーでもやりましょうか」という思考停止の発言はもうたくさんだ。その同じ口で冬になれば「味噌ラーメンでもやりましょうか」と言うのだろう。
そもそも夏がカレーの季節と誰が決めたのか。カレーはインド、インドは暑い、暑い夏はカレーという連想ゲームなのだとしたら、あまりにも短絡的ではあるまいか。少なくとも私たち日本人は古くから「おせちもいいけどカレーもね」という格言もあるように、正月にカレーを食して来た歴史があるのだ。夏ばかりではなく秋でも冬でもカレー特集をやればいいのだ。
「カレー」という大雑把な括りをやめよう
そしてここまで便宜上、忸怩たる思いを抱きながら「カレー」と書き続けてきたが、そもそも「カレー」という括りはどうなのだ。その「カレー」っていったい何なのだ。そこには日本のカレーライスも含まれるし、スパイスを主体としたインドの料理も含まれるのだろうし、ハーブやココナッツミルクを使ったタイ料理も、場合によってはカレー南蛮なども含まれてしまうのもしれない。
メディアのカレー特集を見ていると、洋食スタイルのカレーライスを紹介したと思えば、その後に北インドのナンやチャパティと食べるムルグマッカーニを取り上げ、最後に商店街のカレーパンを並べていたりする。カレーライスはカレーライス、ムルグマッカーニはムルグマッカーニであり、一緒くたにまとめる神経が分からない。それぞれの料理に対するリスペクトの欠片もないスタンスに憤りを感じる。
異なる文化と歴史を持つ多種多様な料理を「カレー」というあまりにも大雑把な括りでひとまとめにするのはあまりにも乱暴だ。少なくともメディアがそのような姿勢でそれらの料理と向き合うべきではない。カレーライスならカレーライス、タイカレーならタイカレー(ゲーン)。それぞれを深く掘り下げ広く紹介すべきだと思うのだ。
日本のカレー文化という捉え方
とは言え、その背景には日本独特のカレー文化があることも否定は出来ない。日本にカレーが伝わった歴史を紐解けば、1873(明治5)年に発刊された「西洋料理指南」で紹介されたのが最初だと言われている。いわゆる大航海時代にインドのスパイス文化がイギリスに伝わり、それが日本へやってきた。そこから日本独自の進化を遂げていくのは、言わば日本のお家芸といったところでもあるだろう。
世界各国にカレーが存在しているとはいえ、日本ほどのカレー文化を有する国はない。カレーだけを提供する専門店が存在するのは世界広しと言えども日本だけだと言われている。カレーライスのみならず、カレー南蛮やカレーラーメン、カレー味のスナックなど、カレーと名の付くものがこれほどあるのも日本だけだ。
その歴史的文化的な背景から、日本で生まれた日本のカレー文化という括りの中でカレーライスやカレーうどんを一緒に紹介するのはいいだろう。しかし日本式のカレーライスとインドのスパイス料理を一緒に扱うのはやはり間違いだ。その成り立ちや構成要素のどれをとっても共通する部分がないのだから。
ライスにかけるのは「ルー」ではない
そしてこれはもう嫌われようが何だろうが言い続けていくしかないと覚悟しているのだが、ライスにかけるものは「ルー」ではないと強く主張しておく。「ルー(roux)」とは、小麦粉をバターで炒めてソースなどのとろみを出すために作られるもの。炒める時間や度合いによって、その色や香りが変化し、様々な料理に使われる元となるものだ。
また、そこにスープやスパイスなどを加えた固形の商品を「(固形)ルー」と呼ぶ場合もあるが、いずれにせよカレーライスでライスにかかっているものはルーではない。それをどう呼ぶのか明確な答えがあるかどうかは分からないが、ルーを元に仕上げていくという調理工程から考えれば「カレーソース」と呼ぶのが妥当ではないかと思う。いささか強引な喩えではあるが、ラーメンのスープをタレというようなものだ。スープとタレは違う。ルーとソースも違うのだ。しかし最近では店側までも「ルー増量」などとメニューに掲げていたりするのが許せない。
私は周りの人間が「このルーが美味しい」などと言おうものなら「ルーじゃなくてソース」と言い続けてきた。長い年月をかけて少しずつ少しずつ「ルーじゃなくてソース運動」を展開してきたのだ。それにも関わらず、テレビの全国放送で「このルーがたまらなく美味しいんですよぉ」などと言われようものなら、一発でその努力は水泡に帰してしまう。テレビでカレーソースをルーというのは絶対禁止だ。BPO案件だ。
ライスではなくてチャパティ、タマネギではなくて長ネギ
しかし、しかしである。NHK放送文化研究所の「日本語になじんだ外来語の用法として、認めてもよさそうです。」という見解を見つけてしまった。同研究所のアンケート調査結果によると、およそ半数以上の人がカレーにかかっている部分を「ルー」と呼ぶことを許容しているという。それはそうだろう、皆が使い方を間違っているのはもちろん知っている。
確かに言葉は時代と共に変化するものだ。しかしその背景を考えて間違っていると分かっているものは、世の中の大勢がそうであっても間違っていると正していくのがメディアの務めではないのか。誰が何と言おうと担々麺は担いで売っていたから担々麺なのであって坦々麺ではない。カレーライスのライスにかける部分もルーではなくてソースなのだ。NHKこそ「ルーじゃなくてソース」と言い続けて欲しい。
私はカレーライスもインドのカレーもタイのゲーンもカレー南蛮も大好きだ。大好きだからこそ、それらの個性豊かな料理たちを一括りにはしたくない。大好きだからこそ、これからもライスにかかっているのはソースと言い続けたいし、北インドのカレーはライスだけではなくナンやチャパティでも食べたいし、タマネギではなく長ネギの入っているカレー南蛮を食べたいと思っている。これが私なりの「カレー」に対する愛なのだ。