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【光る君へ】紫式部×道長。ドラマ成功のカギは大胆な脚色。史実とは一体どこが違う?(家系図/相関図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター

NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描いてきた。

ついに次回は最終回。

大河ドラマにつきものの見せ場「合戦」のほとんどない平安時代。この時代を描いてここまでの話題作となった一番の理由は、脚本家・大石静氏による大胆な脚色である。

それを可能としたのは、主人公・紫式部についてほとんどわかっていないこと。また、断片的に伝わる史実について不思議だとされる点が多いこと。

今回はとくに発想をふくらませる肝となった「史実への疑問」について書いてみたい。

◆ラスボス・倫子はいつから気づいていたのか?

まずは12/8(日)放送の振り返り。

◎越前での淡いロマンスの相手との再会と別れの意味とは

松下洸平さん演じる周明(ヂョウミン)は、大河ドラマオリジナルキャラクター。まひろが父為時(演:岸谷五朗)の赴任先の越前で出会った宋から来た見習い医師で、実は対馬出身の日本人。

越前で周明は、宋に興味を持つまひろを利用して道長に取り入ろうとたくらむ。「宋へ一緒に行こう」と誘い、まひろを愛しているふりをするが、まひろにはウソを見抜かれて拒絶される。ネットは「平安国際ロマンス詐欺」と大いに沸いた。

しかし実は本当にまひろを愛しかけていたことを朱(演:浩歌)に指摘されたところで彼は退場。

それが996~997年頃の話で、今は1020年。越前では20代後半(27~28歳)だったまひろももう50歳。けれど大宰府の街の人ごみの中で、20年以上のときを経てもお互い相手に気づくほど鮮烈な時間を過ごした2人。

でも彼は知らない、その後の彼女のことを。彼女が時の人・道長の娘に仕えて日本文学史に残る大作を書き上げたことを。その彼の前だからこそ、まひろは心情を吐露できたのかもしれない。

彼女の状態は完全に「燃え尽き症候群」である。そりゃ世界でも類を見ない大作を書き上げたんだからそうもなるだろう。

「俺の話を書いたらどうだろう?」と周明が簡単にいえるのは、彼女の作品を読んでいないから。その無邪気さにすら彼女は救われただろう。

その彼が目の前で死んでしまったのは、まひろにとってどのような意味を持つのか。いやむしろ、彼の方に意味があったのかもしれない。おそらく彼はずっとまひろを忘れられずにいた。

愛した相手なのに騙して傷つけた、その罪悪感をずっと胸に抱いて生きてきたのだ。

その彼はまひろを守って死ぬことで、ようやく自分を許し、救われたのだと思いたい。

◎実資最大の見せ場のはずが、なぜか公任の見せ場?に

九州が海賊に襲われた「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」は平安最大の外交脅威である。このときの大宰権帥(だざいのごんのそち)が藤原隆家(演:竜星涼)だったのは天の采配だとしか思えない。

もしも大宰権帥を希望していた藤原行成(演:渡辺大知)が望み通り着任していたら、撃退できていたであろうか。生真面目な行成は「朝廷からの勅符(天皇の勅命)を待つ」などと悠長にいっている間に九州への上陸を許してしまったのではないか。

事実、陣定(じんのさだめ)では、恩賞が約された勅符が出される前に戦闘をおこなったとして、行成と藤原公任(演:町田啓太)が恩賞不要と主張した。

もちろんここで黙ってはいないのが藤原実資(演:秋山竜次)である。「ここで褒賞を与えなければ、今後戦おうという者はいなくなる」

さすが、我らの実資!彼の「曲がったことが大嫌いな」男気ある行動はここまでも数多く登場したが、ここは彼の真骨頂、最大の見せ場のはず…

しかし、結局褒賞は現場での働きに見合ったものとはいい難く、実資は道長のもとへ行き愚痴をこぼす。

そこへ現れた公任。彼はここでとんでもないことを言い出すのである。

公任いわく「おまえは実資と仲がいいのか?俺が隆家に褒賞をいらないといったのはおまえのためなんだぞ!隆家はおまえの敵だろう?なのにおまえは実資と…」

…え?これって嫉妬?ジェラシー???道長を好きだったのは行成じゃなかったっけ?いったい何角関係?

これはつまり彼らが「雨夜の品定め」から何十年も続く「ホモソーシャルな集まり」なのだということを再確認させてくれた、ということではないだろうか。

◎ついに正妻さまからのお呼び出し!「わたしが何も気づいていないとでも?」

そして最後についに来た!まひろと少女時代から親しくしてきた道長の正妻・源倫子(演:黒木華)からの呼び出しである。

「で、あなたと殿はいつから?」

予告では倫子が誰に言っているのかがわからず、「道長か?まひろか?」と視聴者を冷や冷やさせてきたが、やはりまひろだった!

さて、まひろはどう答える?

一番いいのは、半分だけ本当のことを話すこと。つまり道長とは、倫子よりも前に知り合った初恋の相手だったが、身分違いのためにあきらめた、と。

ここまでなら倫子は許してくれるだろう。許すも何も、たとえ正妻といえど、夫の結婚前の恋愛関係にどうこういう権利はないはずだ。

絶対に伝えてはならないのは、倫子と結婚後の石山寺での関係だ。ましてや賢子(演:南沙良)が道長の子だなどとは、絶対に言ってはダメ!まひろはそれでスッキリするかもしれないが、倫子が苦しむだけなのだ。

とはいえ、相手はあの倫子である。ウソをつきとおせるものだろうか?という疑問は残る。

さて、どうするまひろ?

◆紫式部への疑問が壮大な物語へと昇華した「光る君へ」

ここからは、大胆な脚色のもととなった史実とその疑問点について解説する。

◎紫式部の「道長愛人説」

紫式部が道長の愛人だったとする説は根強く存在する。

この大河ドラマではまったく描かれていないが、史実の道長は聖人君子ではなく、妻一筋でもない。

道長の召人(めしうど=主人の愛人となった女房)とされる女性の中には、娘である彰子(演:見上愛)の女房、つまり紫式部の同僚が何人もいる。

(関連記事:「【光る君へ】紫式部が逃げ出した!ド迫力「華麗なる彰子サロン」の女房たちとは?(家系図/相関図)」9/5(木)

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9374fc74f3a43b478b1a1510e2fe97478bd7f563

そのため、紫式部自身も道長の愛人だった可能性は否定できない。実際に式部は今でいう「におわせ」なことを自身の日記『紫式部日記』に残しているのである。

道長・倫子夫妻と紫式部の関係は、以下の記事にくわしい。

(関連記事:「【光る君へ】紫式部と藤原道長と源倫子のフクザツな心情。本妻と妾の争いはあったのか?(家系図/相関図)」7/17(水)

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f6e62d4894fad9f01e9a4163d7a1e3fbb18c2ab9

不思議なのは、たとえ道長との間に「秘めた関係」があったとして、なぜわざわざ日記に残したのか?当時の日記は現代とは役割が異なり、誰にも言えない隠し事をこっそり書くものではなかった。むしろ後世の人に知恵や前例を教えるために残した記録の意味合いが強い。

『紫式部日記』は、娘の賢子に「女房としての心得」として残したともいわれている。「わたしも結構モテるのよ!」という自己顕示欲の表れか?「召人になってもいいことなんかないからおやめなさい」という警告なのか?式部の意図は謎なのである。

◎『源氏物語』はなぜ不義密通を扱っているのか?

これもよく考えれば不思議である。中宮彰子と一条天皇(演:塩野瑛久)の仲を取り持つために書かれたにしては、内容がスキャンダラスすぎるのではないか。しかも物語の中で不義密通をするのは彰子と同じ「藤壺中宮」なのである。

そもそも、紫式部が彰子の女房となったのは、ある程度書き進められて人気となっていた『源氏物語』を読んだ道長が、紫式部をスカウトしたからともいわれる。読んだ道長は「この話、ヤベー」とは思わなかったのだろうか。

思わなかったから、一条天皇も彰子も世間もみな、『源氏物語』を楽しんだのだろう。日々平和すぎて、物語はこれくらい刺激的なのがちょうどよかったとも考えられる?

結果オーライではあるが、なぜ式部はわざわざそんな危険な物語を書いたのか?と考えると「自分自身が不義密通の経験者だから」だとするのが自然だといえる。ここからこのドラマの構想は練られたのだろう。

紫式部の相手はやはり「愛人説」のある道長。しかし彼女が賢子を産むのは女房になるより前のこと。それに、道長の召人という関係ではドロドロしすぎていて大河の主軸にするにはふさわしくない。

ならば彼らが少年少女のころに出会ったことにすればすべて丸く収まる。2人が子どものころに出会うのは実際にはほとんどあり得ない話だというが、それでも描き方次第で説得力は出せる。そんなところだろうか。

◎なぜ紫式部の娘・賢子(大弐三位)は出世したのか?

賢子(大弐三位)は母の紫式部と比較して非常に出世(従三位典侍)している。そこを疑問として、実は有力者(おそらく道長)の娘なのでは?との説もあるにはあるようだ。

史実では賢子は藤原宣孝(演:佐々木蔵之介)の娘である。賢子の父親を道長とするのは、かなり思い切った展開である。

それを前提として可能性だけで話をしてみよう。

実は賢子が道長の娘である可能性も0ではないのだ。紫式部は彰子に仕える前に、倫子の女房だった可能性も指摘されているからだ。

ドラマでも為時が散位となり、まひろが女房の口を探した際に倫子から声がかかったが、道長のもとに仕える辛さゆえに断ったことがあった。実際に倫子の女房となり、道長と関係を持ったまま宣孝と結婚したとするのもあり得ない話ではない。

しかし、そもそも賢子が出世したのは後冷泉天皇の乳母になったからである。

当時は乳母を務めた親王が天皇になれば、乳母も出世した。乳母は天皇の教育にも携わり、生母に次ぐ大きな影響力をもつ存在となるからだ。

賢子はたまたま子を産んで母乳が出るときに東宮が生まれた「運のいい女性」だったといえるかもしれない。しかし乳母にふさわしい資質を彼女が備えていたからこそ選ばれたのではないだろうか。

賢子の生涯については、以下の記事にくわしい。

(関連記事:「【光る君へ】母・紫式部より恋愛上手だった藤原賢子の宿命。因縁めいた結婚相手とは?(家系図/相関図)」11/16(土)

https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3638616f29a9f4841c092755c99c89a37d18155c

◆家系図で比較「史実編」と「『光る君へ』編」

最後に、藤原氏の家系図に相関図を加えたものをご紹介する。まずは、大河ドラマの相関図から。

次に史実の相関図。細かい点もいろいろ異なるが、なんといっても大きなものは3つ。

① 道長と紫式部・賢子の関係(史実は主従関係→恋人同士。2人の間に生まれたのが賢子)

② 道兼(演:玉置玲央)と紫式部・賢子の関係(史実は賢子の夫の父→紫式部の母の仇)

③ 紫式部と清少納言の関係(史実は会ったことはないといわれる→わかり合える友人)

『光る君へ』は、いきなり初回で母が殺されるというショッキングな展開だった。もちろん道兼が紫式部の母を殺害したという記録はない。

賢子の最初の結婚相手は道兼の息子・兼隆だとする説が有力であるが、ドラマはそこまで描くのだろうか。

まずは紫式部の「燃え尽き症候群」が解消され、晴れて大団円を迎えることを期待したい。

(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)



◆主要参考文献

紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)

ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)

フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)

歴史コラムニスト・イラストレーター

名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。

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