【光る君へ】道長・頼通親子の栄華を邪魔する左右大臣とは?運命の明暗を分けたその理由(家系図/相関図)
NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部(まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描きます。
栄華を極めた末に、孤独な執政者となっていく道長。まひろの娘賢子(演:南沙良)は太皇太后彰子(演:見上愛)の女房となり、まひろは西へと旅立ちます。
摂政を嫡男・頼通(演:渡邊圭祐)に譲り、出家した道長は太閤に!
今回は、道長政権を支えたり邪魔したりした公卿たち、「たくさんいるけど、誰が誰でどういう関係かまったくわからない!」となっていそうな人たちについて解説します。
◆道長親子を邪魔立てする左右大臣とは
◎道長の嫡男を邪魔する左右の大臣たち
道長が頼通に摂政を譲ったとたんに、不穏な空気が漂い始めました。
最高責任者の左右の大臣が若い頼通を相手にボイコットを開始したのです。
このときの朝廷の官職は以下の通り。
摂政・内大臣:藤原頼通
左大臣:藤原顕光(演:宮川一朗太)
右大臣:藤原公季(きんすえ・演:米村拓彰)
左右の大臣はおそらく、多くの公卿の中でも「この人は誰?」の筆頭に挙げられるお2人ではないかと。実はこの2人、道長の時代には仲良く左右大臣を務めながらも、子孫は明暗を分けていきます。
2人はなぜ出仕を取りやめたのか?実は顕光には道長一家に嫌がらせするに足る深い恨みがあったのです。
◆出世はしたが天皇姻戚になれなかった藤原顕光
◎無能と嘲笑されながらも左大臣まで出世
顕光は道長のいとこ。父兼家(演:段田安則)の兄兼通の長男で、年は道長より20歳以上も上です。道長の兄たちも薨去した995年の役病で多くの公卿が亡くなったため、同世代に有力なライバルがおらず、うまく出世の波に乗れたラッキーな人です。
それでも年下の道長に官職を抜かれ、左大臣の道長の下、20年もの間間右大臣に甘んじていました。
ドラマ内で頼通も道長に訴えていたように、彼は無能だったといわれています。陣定(じんのさだめ)で意見を聞かれてもたいてい、道長の異母兄・道綱(演:上地雄輔)と一緒にとんちんかんなことをいって場を凍り付かせていますよね。
彼が権力を持てなかったのは無能だったことも一つの理由ではありますが、娘の入内にことごとく失敗したからでもあります。
◎道長のバックアップも役に立たず一条天皇の姻戚になり損ねる
まずは996年(長徳2年)一条天皇(演:塩野瑛久)に長女・元子(演:安田聖愛)が入内。ドラマでは、元子入内の際には、道長と倫子(演:黒木華)夫妻が一条天皇との仲を取り持つ祝宴を開いてバックアップ。顕光は涙を流して感謝していました。
一条天皇の元子への寵愛は深かったのですが、998年(長徳4年)に彼女は謎の想像妊娠事件を起こしてしまいます。その後、子を産むことはありませんでした。
(詳細:『【光る君へ】一条天皇には定子以外に愛した妃がいた?『源氏物語』と一条後宮の共通点(家系図/相関図)』9/15(日))
◎娘から夫小一条院を奪った道長を呪詛
次に1010年(寛弘7年)三条天皇(演:木村達成)の子・敦明親王(演:阿佐辰美)に次女の延子(演:山田愛奈)が入内。親王との間には二男一女が生まれ、延子の地位は盤石かに見えました。
ところが、1017年(長和6年)敦明親王は東宮を辞退。小一条院となり道長の娘・寛子が入内すると、小一条院は寛子のもとへ移ってしまいました。夫を失った延子は悲しみのあまり病がちに。
道長が剃髪して出家したのが1019年(寛仁3年)3月。その2カ月後の5月に延子は亡くなってしまいました。父の顕光は、道長を恨み呪詛を依頼したとまで伝わっています。
顕光が出仕を辞めたのはおそらく延子の死の直後からだと推測できます。
顕光の嫡男重家は自身の無能さを恥じて出家したため、顕光にはあとを託す後継者もいませんでした。延子の死の2年後、顕光は失意のうちに亡くなりました。
ここでいったん、家系図をどうぞ。
◆高貴な血筋で出世を果たし子孫が繫栄した藤原公季
◎宮中育ちの優雅な貴公子~父兼家の末弟
顕光とは対照的に、自身も出世し子孫も繁栄したのが右大臣の藤原公季です。この人は道長の叔父にあたり、父兼家の末の弟(十一男)。甥である顕光より一回り若く、道長より10歳年上です。
醍醐天皇の皇女である母が早くに亡くなったため、公季は姉の中宮安子に引き取られて、宮中で皇子同様に育てられました。そのため、ほかの藤原氏のようなガツガツとした出世欲はなく、やや浮世離れした人だったようです。
権力を握るために策略を巡らすこととは無縁…というといい人のようですが、皇族のような感覚でやる気もないため政治家としては問題ありです。
この人も顕光同様995年の役病で大納言に昇進。996年(長徳2年)の長徳の変で内大臣の藤原伊周(演:三浦翔平)が失脚するとスルッとその後任に入り込み、道長・顕光に続くナンバー3となります。今回道長が左大臣を辞すると、内大臣からスライドして右大臣の座へ。
◎実資をも悩ませた顕光・公季コンビ
なお、公季の次は道長の義兄で筆頭大納言の藤原道綱です。この人もドラマで描かれる通り有能とはいいがたい人。
無能な顕光・道綱と出世欲のない公季は、道長にとって御しやすく都合のよい存在ではありましたが、逆にいえば道長が抜けたらたちまち政治は立ち行かなくなるということ。
ドラマで道長危篤の際に藤原実資(演:秋山竜次)が憂えていたのは、この3人(顕光・公季・道綱)が政権を取ったときのことを想像していたから。実資は決して道長の政治をすべては認めていませんが、道長政権が続くようサポートしていたとも考えられます。
◎一条後宮政策には失敗するも後三条後宮で開花
そんな公季も一応後宮政策をおこなっています。顕光の娘元子と同年の996年に娘の義子が一条天皇に入内。元子とは異なり、義子は天皇にほとんど召されることはなかったと伝わります。
しかし家系図にあるように、公季の孫公成の娘・茂子が後一条天皇に入内して産んだのがのちの白河天皇。公季の家系は、天皇の外戚として道長の摂関家に次ぐ繁栄を遂げるのです。
(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)
◆主要参考文献
紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)
ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)
フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)