車の下から振り絞った母の最後の言葉… 遺族が訴える「ハシゴ酒で逆走の飲酒死亡事故は『過失』ですか?」
■あと10日、孫に会うのを楽しみにして……
『なんで、今なん……、行けなくなる。すみれ、しぬ……。わたし、なんか悪いことした? なんで、わたしなの……』
「これは、横断歩道を青信号で横断中、左折車にはねられ、その車の下敷きになっていた母が、冷たいアスファルトの上で最後の力を振り絞って発した言葉です。加害車のタイヤで内臓を押しつぶされていた母は、そのとき、どんな痛み、苦しみの中にいたことでしょうか。12時間後、たくさんの管につながれたまま息を引き取った最愛の母の無念を思うと、私は悔しくて、苦しくて、たまりません」
そう語るのは、広瀬すみれさん(32)です。
事故は、2024年3月21日、午前1時20分頃、富山市総曲輪一丁目の交差点で発生しました。その第一報を、すみれさんは遠く離れたマレーシアの自宅で受けたといいます。
「母の兄である伯父から、母が交通事故に遭い救急搬送されたという連絡を受けたのは、現地時間の午前5時ころでした。実は、そのとき私はそこまで深刻にはとらえていませんでした。というのも、母は10日後に私たちの住むマレーシアへ初めて遊びに来ることになっていたんです。すでに航空券も手配済みで、2日前にはLINE通話でお互いの顔を見ながら1時間以上、楽しく旅行の打ち合わせをしたところでした。あの日も、母は元気で明るく、私の長女である5歳の孫娘に会うことをとても楽しみにしていたのに……」
すみれさんは当初、『せっかく計画したのに、延期になってしまうのかな?』そう思いながら、日本に帰国する準備をはじめていたそうです。しかし、再び入った連絡はそんな思いを打ち砕くものでした。
■テレビ電話の向こうには、変わり果てた母の姿
「伯父からの第2報は、テレビ電話でした。そこには、ベッドに横たわり、呼吸器をつけられている母の姿が見えました。目はテープで閉じられ、全身から管が何本も出ています。伯父は泣きながらこう言いました。『すみれ、真寿美に声をかけてやってくれ』私は何が何だかとっさに理解できないまま、力いっぱい、『ママ! すみれだよ、ママ!』と叫びました。私の異常なようすに、そばにいた5歳の娘も大きな声で泣き出しました」
母親の井野真寿美さん(当時62)はそのとき、筋弛緩剤を打たれベッドに固定されていましたが、すみれさんの呼びかけに、一瞬ビクっと反応したそうです。しかし、画面越しのすみれさんには、全く分かりませんでした。
その日の夜10時、約7時間のフライトを経て羽田国際空港に到着したすみれさんは、翌22日の早朝、家族3人で始発の北陸新幹線に乗り、富山へ向かいました。しかし、真寿美さんは3月21日午後1時23分、すでに息を引き取っていたのです。
前日、東京からいち早く富山へ駆け付けた兄の康介さん(36)は振り返ります。
「伯父から事故の連絡を受けた私は、動転しながらも急いで新幹線に乗り、病院へ向かいました。そこには傷だらけで横たわる母の無惨な姿がありました。衝突後、車がすぐに停止せず、ひかれたまま引きずられたことによって、母は複数の内臓が破裂し、肝臓には亀裂が入っていたそうです。腎臓と脾臓については緊急の摘出手術を受けましたが、あらゆる臓器から出血が止まらず、大量のガーゼで止血をしていた状態でした。それでも母は12時間闘い続け、私は最期を看取ることができました。10日後に迫った母の初めてのマレーシア訪問をあんなに楽しみにしながら、臨終にすら間に合わなかった妹は、どれほどショックだったことでしょうか、遺体に対面し、錯乱する妹の姿を見て、本当に辛かったです」
■母のミシンには、縫いかけの孫の浴衣が……
火葬後、すみれさんが真寿美さんの部屋を訪れると、ミシンの前には作りかけの小さな浴衣が、そのままの状態で置かれていました。それは、真寿美さんがマレーシアに住む可愛い孫娘にプレゼントするため、生地から選んだものでした。
今もLINEに残されているその幸せなやりとりを、すみれさんは見せてくれました。
「浴衣は出発の日までには仕上げるつもりだったのでしょう。母は音楽家でしたが、裁縫も得意で、私や娘のために惜しみなく、手間暇をかけて、ブランケットやぬいぐるみを作ってくれました。娘は母のことを『ピアノばあば』と呼んでいました。ばあば手作りのお人形たちのことが大好きでした。私たちはそんな母の愛情の深さ、偉大さを、いつも感じずにはいられませんでした。自分の娘の成長を見守ってもらえる喜びは言葉にできないものでした。これほどに大切な人を、そして、私たち家族がこれから母と過ごすはずだった幸せな時間を、加害者は一瞬で、全て奪ってしまいました。なぜ、母はいないのでしょうか。会いたいです。ただそれだけです。会いたいです……」
康介さんも母への思いをこう語ります。
「22年前に離婚した母は、私たち兄妹を心から愛し、いつも応援し、大きな愛で育て、受け止めてくれました。私たちは、彼女に幸せになってほしいと心から願っていましたし、これから親孝行をしていきたいと思っていました。その母親を奪われ、私たちの人生は変わり、日々悲しみや絶望のなかもがき苦しんでいます。人としての魅力に溢れ、皆に愛され、可愛らしかった母親にあのような地獄のような苦しみを与え、命を奪った加害者を私は到底許すことなどできません」
■加害者はハシゴ酒の末、酒気帯びで運転
この事故は、当日(2024年3月21日)の新聞やテレビで相次いで報じられました。以下は、北日本放送のニュースです。
<未明の富山市中心部で女性はねられ死亡 酒気帯び運転の疑いで40代男逮捕(北日本ニュース)>
https://news.ntv.co.jp/category/society/kn0450c62bff2247908bca2cfacbe3c942
記事から一部抜粋します。
加害者の男(当時42)が酒を飲んで逆走運転していたことを知った康介さんとすみれさんは、やり場のない怒りに震えました。
「加害者はスナックなど2軒をハシゴして酒を飲んだそうです。にもかかわらず、駐車場に停めてあった車に乗り込み、酒に酔っていることを承知の上でハンドルを握りました。そして、一方通行を逆走するという常識では考えられない運転をしながら交差点を左折し、青信号の横断歩道を歩いていた母をはねたのです。フロントガラスに雪が積もっていて、母だけでなく一緒に横断していた知人の姿も見えなかった、とも話していました。これが『過失』として処理される可能性があることに強い憤りを感じています」
本件事故の状況については「飲酒運転の根絶」を訴えるかたちで、富山県警のサイトにも掲載されています。
■危険運転致死罪での起訴を求め、署名活動開始
康介さんとすみれさんは、12月9日から『オンライン署名 · 富山の飲酒逆走死亡事故。母の命を奪ったドライバーに危険運転致死罪の適用と厳罰を求めます! - 日本 · Change.org』と題して、ネット署名を行っています。
2人はこう訴えます。
「飲酒したことを自覚しながら運転をするのは『不注意』ではありません。このような危険な行為を『過失運転致死罪(最高懲役7年)』で済ませてよいのでしょうか。わざと危険な運転をしているのですから、『危険運転致死罪(最高懲役20年)」で処罰すべきだと考えます。これはみなさまの周りでも、ある日突然起こりうる卑劣な犯罪です。母の無念を晴らすため、そして、今後同じような悲惨な事故が起きないよう、私たちは訴え続けます。どうかご署名いただき、お力をお貸しください」
言うまでもなく、横断歩道は歩行者優先です。車の運転者には横断歩道手前での減速義務や停止義務があります。にもかかわらず、加害者はなぜ歩行者に全く気づかず、青信号で渡っていた真寿美さんをはねたのか。なぜ、すぐに停止せず車の下に巻き込んだまま引きずり続けたのか。そもそも、飲酒運転は禁止されているのです。
遺族である兄妹は、年末(2024年12月28日(土)、29日(日)にも、富山市内での街頭署名も行う予定です(詳細は追って告知します)。
すでに事故から9ヶ月が経過しています。富山地検は現在、「過失運転致死罪」だけでなく「危険運転致死罪」も視野に入れて、さらなる補充捜査をしているといいます。
今後の動きに注目したいと思います。
事故の7カ月前、富山駅前でピアノを弾く真寿美さん。地元では、自身の活動名であるTaji(タージ)から名付けた「タージデムーン」というライブを開催し、CD制作も。多くの人に音楽を通して元気や癒しを届け、愛されていた(遺族提供)