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【光る君へ】紫式部が逃げ出した!ド迫力「華麗なる彰子サロン」の女房たちとは?(家系図/相関図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター

NHK大河ドラマ『光る君へ』。世界最古の小説『源氏物語』の作者・紫式部まひろ)(演:吉高由里子)と、平安時代に藤原氏全盛を築いた藤原道長(演:柄本佑)との愛の軌跡を描きます。

まひろの運命は「物語を書くこと」によって、次々と開かれていきます。

ついに彰子サロンの女房(皇族や貴族の侍女)になったまひろ。

しかし、どうにも後宮の生活になじめず、逃げ帰ってしまいます。これは実際のできごとで、正月早々に里に戻った紫式部が後宮に戻ったのは、秋になるころだったと伝わります。

唐衣裳(からぎぬも=女房装束。十二単のこと)姿のきらびやかな女性集団の登場と、彼女らの眠る後宮の様子を上から俯瞰して映す手法は強烈で、視聴者の間でも評判となりました。

今後まひろはここで彼女たちとどう渡り合っていくのでしょう?

ということで、今回は、まひろの同僚となる女房たちについて書きたいと思います。

大きく分けて

①高貴な女房
②紫式部と仲良しの女房
③紫式部と敵対した女房

の3種類の女房たちをご紹介!

まずは、そもそも道長が彰子後宮に紫式部をスカウトした理由から。

◆彰子後宮が文学サロンを形成するまで

◎当初は上流の姫君路線だった彰子サロン

現代では、中宮彰子の後宮といえば、紫式部や赤染衛門(演:凰稀かなめ)、和泉式部(演:泉里香)など、そうそうたる才媛が仕えた文学サロンとして知られています。

しかしそれはのちの姿で、初期は彰子の箔付けとライバルの入内を阻止するために、彰子女房は公卿(三位以上の上流貴族)の娘ばかりで占められていました。

しかし、道長の作戦は裏目に出ます。やんごとない姫君たちは、お世辞にも優秀な女房とはいえなかったのです。

ドラマでも、まひろに話しかけた藤原公任(演:町田啓太)と藤原斉信(演:金田哲)が「家柄のいい姫君ばかりで中宮様へまともに取次もできない」といっていましたね。

それもそのはず、当時の高貴な女性は人に顔を見せたり声を聞かせたりしてはならない、とされていたのです。

家族以外と接したことのない姫君が、見ず知らずの男性に話しかけられても、中宮に取り次ぐどころか、うまく返事もできないとしても無理からぬことでしょう。

◎中流の才媛路線へとシフトチェンジした道長

ここで問題となるのが、彰子後宮には比較対象があること。亡き皇后定子の後宮です。

清少納言をはじめとした聡明な女房と知的会話を楽しめる定子サロンは公卿に人気でした。

折しも清少納言の書いた『枕草子』が評判となり、公卿たちの間では、「定子サロンはよかったなぁ」「彰子後宮はつまらない」という空気が広がっていきます。

そこで道長も「このままではダメだ!」と、清少納言のような中流貴族出身の才媛を、彰子の中宮に集めはじめたのです。

◆身分の高い女官たち

まずは、上臈(じょうろう)と呼ばれる身分の高い女官をご紹介。

◎宮の宣旨(せんじ)…高貴な血筋の姫で彰子女房のトップ

源陟子(ただこ・演:小林きな子)、彰子女房。

この方です、きらびやかな女房集団を従えた中宮女房のトップ。まひろに「藤式部」という女房名を授けた女性といえば「ああ、あの人!」と納得ですね。

あの堂々っぷりはやはり並みの血筋ではありません。醍醐天皇の孫である公卿・源伊陟(これただ)の娘で、皇族の血を引く姫君です。醍醐天皇のひ孫なので、宇多天皇のひ孫である源倫子(演:黒木華)と同格

宣旨は女房の筆頭。中宮の行啓の際に、中宮と一緒に御輿に乗れるのは彼女ただ一人、まさに「別格」です。

『紫式部日記』によると、源陟子はとても美しい人だったそうです。…小柄でほっそりとして、髪は美しく、気品があったとのこと。藤原公任の長男・定頼にいつも言い寄られていたと伝わります。

◎橘三位(たちばなのさんみ)…2代天皇の乳母として出世した女性

橘徳子(演:小田ゆりえ)。一条天皇・後一条天皇二代の乳母(めのと)で、従三位典侍(ないしのすけ)に叙せられた女性。

彰子女房ではありませんが、後一条天皇の乳母として今後ドラマに登場しそうです。

『紫式部日記』には、敦良(あつなが)親王(のちの後朱雀天皇)の五十日のお祝いの席で、親王の食事係を務める彼女のことが記されています。

徳子自身は受領(ずりょう=地方の国司・四位~五位の中流)階級出身ですが、夫の藤原有国は従二位・参議、子の資業も従三位まで昇進。

徳子も天皇乳母の立場を生かして、夫の昇進に貢献したことが伝わっています。

◆紫式部と親しかった女房たち

後宮勤めの女官の中で、中宮と直接話ができるのは上臈のみ。上臈は三位以上の家柄の娘しかなれず、父為時(演:岸谷五朗)が五位の紫式部は本来、中臈女房です。

しかし、『源氏物語』という「武器」を持つ式部は特別待遇。上臈女房と同様に扱われたため、身分の高い上臈女房たちと仲良くなれたのです。

◎小少将の君…紫式部とルームシェアしていた親友

小少将の君(演:福井夏)。彰子女房。

ドラマでは源時子とされますが、彼女の正確な名前はわかっていません。

彰子の母倫子の同母弟である源時通もしくは、倫子の異母兄・源扶義の娘と伝わります。

皇族につながる姫君なのに、いとこである彰子の女房として出仕しているのは、彼女の父が早くに亡くなったか出家したためと考えられています。

当時は身分は高くても後ろ盾がないとよい結婚は望めず、女房勤めをする女性も少なくありませんでした。

紫式部と彼女はと親友同士で、2人の局を合わせて1部屋にして暮らすほどの仲のよさ。

道長に「男が忍んで来たらどうするのだ」とからかわれても、式部は「わたしたちには秘密の恋人なんていないから大丈夫」と断言。

彼女の容姿について、式部は「上品で優美」「春二月のしだり柳のような風情」「子どもっぽい」と書いています。

その表現から、彼女が『源氏物語』に登場する「女三宮」のモデルだったともいわれています。

◎大納言の君…倫子公認の道長の妾だった女性

源簾子(やすこ・演:真下玲奈)。彰子女房で、前述の小少将の君の姉です。妹同様に式部とは大の仲良し。

彼女は源則理(のりまさ)と結婚したものの離婚して彰子女房になり、さらに道長に見初められて召人(めしうど=妾)となったと伝わります。

道長は彼女にとって伯母・倫子の夫です。道長は召人を囲っても隠すことなく堂々としており、道長と彼女の関係も、倫子公認だった、といわれています。

倫子にしても、ほかの女よりは姪の方がまだいい、と思ったのかもしれません。

『紫式部日記』には、彼女もたびたび登場。紫式部は彼女を「こじんまりとして色白で、すべてがかわいらしく、顔だちも上品」と描写しています。

◎宰相(さいしょう)の君…彰子の親王乳母を勤めた美貌の女性

藤原豊子(演:瀬戸さおり)、彰子女房。

道長の異母兄・藤原道綱(演:上地雄輔)の娘です。祖母は『蜻蛉日記』の作者としても知られる道綱の母(演:財前直見)。

彰子の2人の皇子(後一条天皇・後朱雀天皇)の乳母を務め、従三位典侍に叙されました。

紫式部はうたたねをする彼女の姿を「物語に描かれる姫君のよう」と描写。思わず起こしてしまい、彼女が真っ赤になる様子も上品で素晴らしいとべたぼめしています。

大納言・小少将姉妹は彰子の母方のいとこで、彼女は父方のいとこ。親族で彰子の後宮を支える存在だったと伝わります。

◆紫式部と敵対した女房たち

前述のように、『源氏物語』を引っ提げて鳴り物入りで後宮入りをした紫式部は、嫉妬から意地悪をされることも少なくなかったようです。

◎馬中将の君…身分を鼻にかけて紫式部を見下す女性

藤原節子(演:羽惟)、彰子女房。道長のもう一人の妻・源明子の姪です。彼女の母と明子が姉妹。

『紫式部日記』には「紫式部の女房席次」という項があります。中宮行啓の際に、女房が乗り物に乗る順番を記録しているのです。

①御輿…中宮彰子と宮の宣旨
②豪華な糸毛の牛車…乳母と若君、彰子の母・源倫子
③黄金づくりの牛車…大納言の君と宰相の君、
④次の車…小少将の君と宮の内侍

…と上臈女房たちが地位の順に乗り込んでいきます。

紫式部の順番はその次5番目の牛車。一緒に乗ることになったのが馬中将の君です。彼女は露骨に嫌な顔をしたとして、式部はかなり傷ついた模様。

彼女は醍醐天皇のひ孫なので、身分としては彰子母の倫子や女房筆頭の宣旨・源陟子と同じレベル。その自分が受領階級の紫式部と一緒の車だなんて!彼女のプライドが許さなかったのかもしれませんね。

◎左衛門の内侍(ないし)…紫式部に嫉妬してあだ名をつけた女性

橘隆子(演:菅野莉央)。彼女については、名前と掌侍(ないしのじょう)だったらしいということ以外、何も伝わっていません。

上の席次には続きがあり

⑤馬中将の君と紫式部
⑥殿司の侍従の君、弁の内侍
左衛門の内侍、殿の宣旨の式部(大式部)

彼女は7番目の車に乗った模様。

ここまでは席次に従って乗り、あとは思い思いに乗車となっています。

おそらく紫式部に一番反感を抱いているのが彼女。『紫式部日記』の有名なエピソードに『日本紀の御局』の話があります。

一条天皇が「『源氏物語』の作者は『日本紀(日本書紀)』を読んでいるに違いない、漢学の学識がある」と式部をほめると、左衛門の内侍は、「学識を鼻にかけている」と言いふらし、紫式部に「日本紀の御局」というあだ名をつけたと書かれています。

「自分の才をひけらかすのは恥ずべきこと」と考えていたであろう紫式部。

自分に嫌味なあだ名がついたと知った式部は「これはヤバイ!」とその後は「わたしは何も知りません」と学のないふりをするようになりました。

そのおかげで後宮生活を難なくやり過ごせるようになったので、結果オーライではあります(日記のネタもできたし!)。

◆家系図で見る後宮

最後に、彰子や紫式部、道長と、彰子女房たちの関係がわかる家系図を載せておきます!

※彰子後宮には宰相の君は2人いた。1人は前述の道綱娘の豊子で道長の姪、もう1人は兼家の弟遠度(北野三位)の娘で道長のいとこにあたる。紫式部が彰子女房紹介で最初にあげているのは北野三位の娘のほう
※彰子後宮には宰相の君は2人いた。1人は前述の道綱娘の豊子で道長の姪、もう1人は兼家の弟遠度(北野三位)の娘で道長のいとこにあたる。紫式部が彰子女房紹介で最初にあげているのは北野三位の娘のほう

ほとんどの女房の血筋は、彼女たちが仕えた彰子に引けを取らないほど上流です。高貴な家に生まれても、ちょっとした運命の歯車のかけ違いで大きく立場が変わってしまう、残酷ともいえる時代でした。

後宮に出入りする人々の境遇を見聞きした紫式部は、『源氏物語』にその人生の無常(もののあはれ)を昇華させていくのです。

(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)

◆主要参考文献

紫式部日記(山本淳子編)(角川文庫)

ワケあり式部とおつかれ道長(奥山景布子)(中央公論新社)

フェミニスト紫式部の生活と意見 ~現代用語で読み解く「源氏物語」~(奥山景布子)(集英社)

歴史コラムニスト・イラストレーター

名古屋出身・在住。博物館ポータルサイトやビジネス系メディアで歴史ライターとして執筆。歴史上の人物や事件を現代に置き換えてわかりやすく解説します。学生時代より歴史や寺社巡りが好きで、京都や鎌倉などを中心に100以上の寺社を訪問。仏像ぬり絵本『やさしい写仏ぬり絵帖』出版、埼玉県の寺院の御朱印にイラストが採用されました。新刊『ナゴヤ愛』では、ナゴヤ(=ナゴヤ圏=愛知県)を歴史・経済など多方面から分析。現在は主に新聞やテレビ系媒体で取材やコラムを担当。ひよことネコとプリンが好き。

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