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なぜ欧州サッカー界に黒人の名将は出てこないのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
バルサであらゆるタイトルを取ったエトー。監督として、メッシを使えるのか!?(写真:ロイター/アフロ)

 欧州サッカー界では、黒人選手が大きなシェアを占めている。

 サミュエル・ウンティティ、ウスマンヌ・デンベレ(FCバルセロナ)、ラファエル・ヴァラン、マルセロ、カゼミーロ(レアル・マドリー)、ラヒーム・スターリング、ガブリエウ・ジェスス、フェルナンジーニョ(マンチェスター・シティ)、サディオ・マネ(リバプール)、ドウグラス・コスタ、ブレーズ・マチュイディ、ファン・ギジェルモ・クアドラード(ユベントス)、ジェローム・ボアテング(バイエルン・ミュンヘン)、ネイマール、キリアン・エムバペ(パリ・サンジェルマン)・・・。

 ロシアワールドカップでも覇権を争った選手たちばかりで、もはや彼らなしでサッカー界は立ちゆかない。

 しかしながら、黒人選手に対して黒人監督はほとんど台頭がないのが現状だ。

黒人監督の現状

 例えば、ロシアW杯に出場した32ヶ国の中で、黒人監督はセネガルのアリウ・シセ監督のみだった。

 そして欧州のトップリーグのクラブを見渡しても、黒人監督はほとんどいない。フランスリーグでは、パトリック・ヴィエラ(ニース)などわずかに黒人監督の名前が見られるが、数えられるほど。過去20年の歴代監督を振り返っても、バルサで欧州制覇を果たしたフランク・ライカールトなどいないわけではないが、選手の面子を考えたら、その数はごく限られている。

 ジョゼップ・グアルディオラ(マンチェスター・シティ)、ユルゲン・クロップ(リバプール)、マウリツィオ・サッリ(チェルシー)、エルネスト・バルベルデ(バルサ)、カルロ・アンチェロッティ(ナポリ)、トーマス・トゥヘル(パリ・サンジェルマン)・・・白人の監督ばかりだ。

 なぜ、トップレベルのサッカー界に黒人の名将は出てこないのか?

「黒人監督が指導者ライセンスを積極的に取ってこなかった、というのはあるかもしれない。しかし、アフリカには指導者ライセンスを持った監督は数多くいる。はっきり言って、信用されていないんだよ」

 そう語っているのは、現在37歳になるFWサミュエル・エトー(カタールSC)である。

黒人のように走り、白人のように生きるエトー

 エトーはカメルーン代表としてアフリカ年間最優秀選手賞を最多4度、受賞している。2009―10シーズンには、バルサ、インテルで2シーズン続け、異なるリーグでチャンピオンズリーグ、国内リーグ、国内カップの三冠を達成した。代表選手としてもシドニー五輪優勝、4度のワールドカップ出場など経歴は輝かしい。歴代カメルーン代表最多得点記録も持つ。

 彼ほど雄々しいアフリカ人選手が何人いるだろうか――。

「黒人のように走り、白人のように生きる」

 レアル・マドリーで不遇をかこって、バルサに移籍したとき、エトーは痛烈なメッセージを残した。その反逆精神で、あらゆるタイトルを勝ち取った。2004年11月のマドリー戦では古巣を沈めた先制弾は語りぐさ。猛然とGKにプレスをかけ、ボールを奪い、そのままゴールを決めた。

 エトーに言わせれば、”選手としても人種差別を乗り越え、その栄光をつかんだ”ということなのだろう。近年、多くの黒人選手が苦労し、その道を作った。そして広げ続けている。

 しかし、監督にはまだ波及していないのだ。

偏見に満ちた時代

 90年代まで、黒人選手が欧州トップリーグで活躍するケースは乏しかった。一つは外国人枠の問題もあっただろう。しかしそれ以上に、差別的意識がどこかにあった。

 もっと言えば、ある種の偏見に満ちていた。

「ブラジル人は全員、遊び人で、規律も守れない。とくに、黒人選手は論外」

 今や多くのブラジル人がプレーするリーガエスパニョーラだが、90年代前半まではそうした信じられない先入観があった。

 例えば、デポルティボ・ラコルーニャがブラジル人MFマウロ・シルバと契約した当時、賛否両論だった。しかしふたを開けてみれば、マウロ・シルバほど真面目で知的なプロフェッショナルはいない。その結果、リバウド、ジャウミーニャ、フラビオ・コンセイソンなどブラジル人の系譜ができた。ブラジル人だけでなく、ジャック・ソンゴオ、ジョルジュ・アンドラーデなど黒人選手が伝説を残したのだ。

 レアル・マドリーも実は、黒人選手との相性は悪かった。90年代後半になって、ロベルト・カルロスがようやく黒人選手として風穴を開けたのである。そして2002年に移籍してきたロナウドが黒人選手の立場を確立し、現在のヴィニシウスにつながるように多くの黒人選手が在籍する形になった。

 すなわち、黒人選手が根付いたのも、せいぜい過去15年の話なのである。

黒人選手の奮闘

「アフリカから欧州へ渡ってきたときから、“危険を冒さなければ成功は得られない”という主義でやってきた」

 かつてインタビューしたとき、エトーはそう語っていた。

「成功は与えられるものではなく、勝ち取るもの。自分を、我が強い人間だ、と実感するときはある。考えていることはなんでも言っちまうしな。けど、その気の強さが自分を後押しし、苦境でも助けてくれた。俺はチームが悪いときにこそ、アグレッシブに敵に立ち向かえるんだ」

 15才で入団したマドリーでは、トップでの出場機会に恵まれていない。期限付きで移籍したマジョルカでゴールを量産し、それを5シーズン続けた。ようやくバルサでプレーするチャンスを勝ち取った。

「人生には必ず苦しみがある。俺はそれを肌身で感じてきた。自分の辿り着きたい場所があるなら、怖れず立ち止まらずに戦い続けなければならない。結果がどうなるかは、戦いの果てにわかる。戦うべき今だ」

 そう話していたエトーは財団を作り、カメルーンの有望な選手をスペインに招き、自らが作った道を広げた。しかし今や37才になって、エトー本人が選手キャリアの終焉が近いことを感じているのだろう。その彼が次に目指すのは監督だ。

「有色人種の監督は最初から怪しまれている。だから、機会を与えられない。二流の人間と見られている。自分はヨーロッパで選手として多くのタイトルを勝ち取った。次は監督として、多くのモノを勝ち取りたい」

 エトーは言う。彼のように選手として時代を作った黒人選手が先駆けとなって、監督として成功を収めたとき――。時代はそこを分岐点に大きな変化を遂げるのかもしれない。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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