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「目の前の楽曲が導いてくれる」――三船雅也がベルリンで語るROTH BART BARONの新たな展望

柴那典音楽ジャーナリスト
(提供:SPACE SHOWER MUSIC / BEAR BASE)

今年からベルリンと東京の2箇所をクリエイティブの拠点にしているROTH BART BARON。10月18日にリリースされた最新作『8』は新たな環境で作られた初めてのアルバムだ。

ROTH BART BARONは、三船雅也を中心に活動するフォーク・ロック・バンド。2020年にリリースし大きな反響を集めた『極彩色の祝祭』から、2021年の『無限のHAKU』、2022年の『HOWL』と、パンデミック下の社会状況と共振するような意欲作を続けて発表してきた。

『8』は自身の子供時代、ジュブナイルと向き合った作品だという。

なぜドイツに引っ越そうと思ったのか? ベルリンでどんな新たな刺激があったのか。オンラインでインタビューを行った。

■アーティストという生き方が国のシステムとして認められている

(撮影:三船雅也)
(撮影:三船雅也)

――新作は、すごくピュアなアルバムだと思いました。『HOWL』まで、いろんな人と関わりを持ったり、社会に開けていく感じの作品が続いていた印象なんですが、もう一回「個」に戻ったというか。手つかずな新雪の上を滑るような意識のある作品という印象です。出来上がっての手応えはどんな感じですか?

まだ手応えはよく分からないんですけど、でも柴さんが言うように、素直な自分と向き合ってみようという感じはありました。『極彩色の祝祭』『無限のHAKU』『HOWL』はコロナ三部作というか、パンデミック下の日本で作るということに向き合った3年間だったので、ステージをガラリと変えてみようという。新鮮な気持ちではいます。季節が変わって、新しい雪の上を足跡つけて歩いていくような感じがありますね。

――そもそも、ベルリンと東京に拠点を置こうと思った理由は?

実は前から思ってたんですよ。2019年に『けものたちの名前』を出した頃には「いつかはベルリンに住みたい」という話をしていて。前から興味があったし、コロナ前はベルリンにいろんなスタートアップが集まっていたり、企業もアーティストも、いろんな才能がヨーロッパ中から集まっている雰囲気があって。そこに惹かれていたのもあったし、ROTH BART BARONはニューヨークにもロンドンにもカナダにも行ったことがあるので、次に旗を立てるならベルリンだと思ったんですね。コロナになってまた状況はだいぶ変わったんですけど、とりあえずやってみようと思って決意しました。

――実際に暮らしてみてのベルリンの街ってどういう印象ですか?

地域によるんですけど、僕が住んでるところはすごく住みやすい場所です。治安もいいし、アーティストという生き方がちゃんと国のシステムとして認められている。偶然ベルリンでお会いすることができた塩田千春さんという現代アーティストの方が少し前に仰っていたんですけれど、日本にプロジェクトで長期滞在するために住民票を移した時に「仕事はなんですか?」と訊かれて「アーティストです」と言ったら「日本にはそういう職業はありません」と言われたことがあったという話をしていて。でも、こっちはそういうことはなく、生き方の一つとして認めてくれる空気が街全体にある。キワモノとしてでなく、立派な仕事として存在を許されている感じがします。

――売れるとか売れないとか、規模の大きさに関わらず、アーティストが生き方として認められているという感じもありますか?

そうですね。日本の方が敷居が高いというか、本当にプロフェッショナルじゃないと認められないというようなところがある気がします。比べるとこっちは生き方のチューニングが違う感じですね。副業も兼業も当たり前だし、仕事というものがもっと多様であって。商売っ気がない感じがします。

(撮影:三船雅也)
(撮影:三船雅也)

■圧倒的な孤独と、期待と損失が入り混じった感覚

――今回のアルバムの制作もベルリンで始めたんでしょうか?

そうですね。「Closer」は前からあったんですけれど、それ以外のほとんどの曲はこっちで書いてます。

――『HOWL』までの3枚を作り終えて、やりきった感みたいなものもあったんでしょうか。

そうですね。やり切った感はありました。パンデミックの世界においてバンドがやるべき可能性、今のROTH BART BARONがやれるかぎりのことはやれたという良い手応えがあって。もう一回同じことをやるモチベーションも正直ないなと思ったんです。だから、次に向けて自分の中のコアみたいなものをちゃんと探さないといけない。空っぽになっちゃった感じはありました。

――そこから新たな作品への手掛かりはどういうところにありましたか。

それで場所を移したのはありますね。軸足を別の場所に変えて、現在地からの目線で音楽を作ってみるという。ベルリンには友達もいなかったし、ほとんどがドイツ語なので言語も通じない。スーパーで買い物をすることからして、日本だったら何も意識せずにできることが全然できない。そういうところから生活を始めて、小さいことをイチから発見していく感じだったので。圧倒的な孤独と、新しいことへの期待もあるんだけど、損失した感じもある。それが入り混じった感覚から自然に楽曲たちを作ってみようという。

――ベルリンには何のツテもなかったんですね。

最初はそうでした。でも、コーヒー屋さんで曲を作っている時に、画面を見て「お前、ミュージシャンなのか」って話しかけてきてくれた人がいて、そこから知り合いができて。そこから友達になってくれる人が増えました。そこから「A COLORS SHOW」というYouTubeチャンネルのディレクターをやっている人とか、フォトグラファーの人とか、いろんな人とあっという間に繋がることができた。いろんなクリエイターが興味を示してくれて、一緒に何かやろうよと言ってくれたり、インスタグラムでもいろんな人がメッセージをくれたり、そうやって人のネットワークを作っていくことばかりをやってました。

(撮影:三船雅也)
(撮影:三船雅也)

■人間は勝手に成長していく。それはある種残酷だし、でも希望に満ち溢れている

――アルバムを作るにあたって、スタートポイントになった曲はどれでしたか?

「Ring Light」という曲ですね。ベルリンのアパートで、エレクトリック・ギターと小さい機材で作り始めた感じです。

――アルバムはギターのアンサンブルを軸にした曲が多い印象があります。それも環境の変化の影響ですか?

そうですね。そのころは日本でツアーも続いていたし、本格的にバンドで使うものは持っていけなかったんですよ。だからドイツの限られた環境で使うために、少しずつ楽器や機材を持っていった。その中には自分が高校生時に最初のお小遣いで買ったギターもあったし、機材や環境もイチから作っていった感じです。その限られた環境っていうのは、今回のアルバムのヒントになってきたと思います。高校生の気持ちというか。

――今仰った高校生の気持ちというのは、まさにアルバムのモチーフに結びついているようなところがある。

そうですね。10代独特の自信のなさみたいなのがもう一回フィードバックしてきて。買い物するときもおっかなびっくりだし、日本に慣れている自分からすると何をするにもドキドキしたり、心細かったりする。そういう気持ちは繋がっていると思います。

――アルバムはジュブナイル、少年性をテーマにした作品ということですが。

もともと僕が書く曲、特に初期のアルバムはそういう目線が多かったし、自分の創作の起点のルーツになる映画もそういうものが多かったんですけれど。やっぱり、いろんな楽曲を作っていく中で、社会と環境の変化について大人の目線で見るものが多かったんですね。特にパンデミック下においては、社会に及ぼす影響とか自分の身の回りに起こる影響、生活の変化みたいなものを感じとって作っていた。ただ、僕が大学生でバンドを始めた頃にも東日本大震災と福島の原発事故が起きていたんですけれど、その時はまだ、ある種守られている存在だったんですよね。現実味があるような、ないような感じで。そういうものにフォーカスした、社会とは関係あるんだけど関係ないっていう作品を作るのは面白いんじゃないかと思ったんです。だって、みんなパンデミックが起きたことなんか忘れちゃったし、オリンピックで怒っていたことも忘れちゃったし。あの怒りのエネルギーは一体どこにいったんだろうと思って。で、その時に、あ、人間は勝手に成長するんだと思った。社会の仕組みとは関係なく、人間が勝手に成長していくっていうのは普遍的なことだし、それはある種残酷だし、でも希望に満ち溢れている何かがあって。それをテーマにするのは面白いなと思ったんですよね。

――「Closer」は前からあった曲ということですが、これはどういうアイディアだったんでしょうか。

もともと楽曲は『けものたちの名前』の頃に作ってたんですよ。で、『極彩色の祝祭』のときのセッションでレコーディングまでしていて。みんながこの曲はいい曲だって言ってくれたんだけれど、僕としては身体感覚のある曲で、みんなで楽しく踊っているような曲だから、さすがにパンデミックが始まったムードの中でこれをリード曲で歌うっていうことが自分の心情としては出来なくて。今じゃないと思って、泣く泣くカットしたんですよ。その後にもう一回身体感覚を取り戻した時にこの楽曲をちゃんと鳴らしたいっていうのがずっとあって。この楽曲だけ唯一古い楽曲なんですよね。快楽に興じているムード、人を引き込んでしまう魔法の空間みたいなエスケープのムードもある。そういうのがいいなと思って。

――「MOON JUMPER」はどうでしょう? こういう踊れる曲、ダンサブルな曲が多いのもすごく印象的でした。

トライバルなリズム、8ビートではなく民族的なリズムをもう一回やりたいというのはありました。開放的になった今だからこそ、考える先に身体を動かすような曲を作ろうと思って。そうなった時に人間はリズムに戻るし、身体感覚のある曲、プリミティブに身体を使って踊るという曲を作ろうという。子供の頃って、考える前に身体が動いていた気がするんですよ。そういう衝動感は曲に入っていると思います。

■書いた曲が知らない世界に連れていってくれる

――「BLOW」はどうでしょう? この曲はタイのバンド・Safeplanetとのコラボですが、これはどういう流れで彼らと一緒にやることになったんですか?

もともとSafeplanetは2019年の来日ツアーの時に共演した頃から関係性は続いていたんですよ。で、お互いにパンデミック中に成長して。で、この曲はベルリンでギターを弾きながら歌って生まれたんですけれど。メロディの感覚がタイ語を彷彿とさせるというか、アジアっぽい響きを持っているなと思って。それで、お互いに成長した今、彼らとクリエイティブを一緒にしたいと思って提案したんですよ。お互いにインディで活動しながらもポップソングを作ることを諦めていない、そういう中で生み出すクリエイティブって素晴らしいんじゃないかと思って。

――改めてROTH BART BARONとSafeplanetって、どういう共通点があると言えますか?

彼らは商業的に成功しているんですけど、インディバンドなんですよね。マイペースなんですよ。自分たちのペースで、自分たちがいいと思う音楽をやっている。ビジネスに特化して、ある程度の結果を出すためのシステムを作り上げていくことが大きい会社のメリットだと思うんですけど、そうじゃない方法で音楽を届けていくやり方も存分にありだと思う。そういうところでROTH BART BARONと彼らはペースが似てるんですよね。音楽についても、彼らも美しいメロディが好きだし、オタクっぽいところもあるし、自然体な感じがある。無理してないんですよね。それが素敵なことだなって思います。

――今のROTH BART BARONは、特にベルリンに拠点を移して以降は、インディペンデントな体制のまま、海外からの視点も持ったバンドになっているわけですよね。タイのインディバンドとのコラボもやって、ヨーロッパとアジアと日本と繋いでいる。DIYなままグローバルな態勢になっている。こういう形に憧れる人もきっと多いと思うんですが、自分たちのことを俯瞰で捉えて、こういう風にできている理由ってどういうところにあると思いますか?

本当にやりたいと思ったことをちゃんとやる、それしかないと思います。そこに可能な限りにじり寄るしかない。もちろん経済的な側面、音楽のクリエイティブに関しても、いろんなことがあるんで、結果運がよかったとは思うんですけれど。やっぱり目の前の楽曲が導いてくれるんですよ。書いた曲が知らない世界に連れていってくれる。もちろん人間関係の構築とかいろいろあるけれど、ドイツの人たちが僕に興味を示してくれたり、いろんなことを助けてくれたのは、自分の音楽があったからで。音楽を聴かせた時に「いいね」って言ってくれる仲間たちが助けてくれる。それしかないという気がします。

ROTH BART BARON『8』(提供:SPACE SHOWER MUSIC / BEAR BASE)
ROTH BART BARON『8』(提供:SPACE SHOWER MUSIC / BEAR BASE)

ROTH BART BARON『8』

https://rothbartbaron.lnk.to/8_RBB

音楽ジャーナリスト

1976年神奈川県生まれ。音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオへのレギュラー出演など幅広く活動する。著書に『平成のヒット曲』(新潮新書)、『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『ボカロソングガイド名曲100選』(星海社新書)、『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

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