ウクライナ戦争下に日本国憲法9条2項を考える
フーテン老人世直し録(645)
皐月某日
ウクライナ戦争の先行きが見えない中、5月3日に日本国憲法は施行から75年の節目を迎えた。この日、東京では憲法改正派と反対派がそれぞれ集会を開き、改正派の集会には自民、公明、維新、国民の議員が、反対派の集会には立憲、共産、社民の議員が参加した。
ウクライナ戦争を巡る日本の報道は「狂った帝国主義的侵略者プーチンvs領土を死守する英雄ゼレンスキー」という図式一色になっていて、右も左も与党も野党もみな同じ見方をしている。そのため憲法9条を巡る論議にも変化が現れるかと思ったが、ウクライナ戦争前と思ったほど変わらないことが分かった。
どうやら「憲法を改正して9条に自衛隊を明記する」という幼稚な主張と、「改正に反対し9条を護れば世界は平和になる」という幼稚な主張の対立が、世界を揺るがす戦争の現実とは別に日本では続いていくことになりそうだ。
日本国憲法が施行される前年の1946年の帝国議会では、大日本帝国憲法に代わる新憲法草案を巡る議論と採決が行われた。その中で吉田茂は憲法9条の理想を高らかに宣言し、「9条2項によって一切の軍備と国の交戦権を認めない以上、自衛権としての戦争も放棄する」と主張した。9条1項は戦争放棄だが、2項は戦力不保持と交戦権の否定を謳っている。
これに対し共産党の野坂参三は「侵略戦争は正しくないが自衛の戦争は正しい。憲法草案にある一般的な戦争放棄ではなく、侵略戦争の放棄とすべきではないか」と質問した。すると吉田は「多くの戦争は国家防衛のためと言って行われる。正当防衛を認めることが有害になる」と答弁し、一切の戦争を放棄する姿勢を貫いた。
新憲法草案の採決結果は賛成421票、反対8票だったが、反対のうち6票は共産党議員の票で、共産党は全議員が日本国憲法成立に反対した。ところが米ソ冷戦が始まると吉田の主張が一転する。1950年の施政方針演説では「戦争放棄は自衛権放棄ではない」と言い出したのだ。
しかし吉田は、朝鮮戦争が勃発し米国から再軍備を要求されると9条2項を盾にこれを拒否し、日本は戦争のための武器弾薬を作る後方支援に回って「戦争特需」にありついた。これが戦後日本を工業国家としてスタートさせ、後に高度経済成長を実現することになる。
そして日本は米国の外交官ジョージ・ケナンの「ソ連封じ込め戦略」にも助けられた。ケナンは米国がソ連を攻撃することは双方の犠牲を招くだけだと主張し、ソ連の影響力を世界に拡大させないため、西ドイツと日本を「反共の防波堤」として経済力をつけさせることを提唱する。そのおかげで米国に次ぐ経済大国に西ドイツがなり、それを日本が追い抜いた。
ケナンの戦略は、ウクライナをNATOに加盟させることに反対である。それをやれば米ソ衝突は避けられず、冷戦が冷戦でなく熱戦になってしまうからだ。ケナンのような外交戦略家が現在の米国にいないことが、今回のウクライナ戦争を防止できなかった最大の理由ではないかとフーテンは考えている。
日本と同様に米国から再軍備を要求され、それを受け入れて民主的な軍隊を作った西ドイツと異なり、日本は軍隊を作ることを拒否したことで、警察予備隊が米軍の指揮下に作られた。だが米軍の訓練を受けるのだから「警察」と言っても事実上の軍隊である。
しかし法制度上は軍隊でなくあくまでも警察だ。警察は行政組織であるからその長は総理大臣で国内法に縛られる。しかし軍は行政組織から独立した機関で、国民の代表で構成される立法府が承認しなければ動けない。そして世界の軍隊は国内法ではなく国際法で縛られる。
ところが日本では警察予備隊が保安隊に、そして自衛隊へと変遷する過程で、国民を騙すための欺瞞的解釈が次々に施され、一時期は「戦力なき軍隊」と定義された。しかし現在の自衛隊は、米国、ロシア、中国、インドに次ぐ世界5位の戦力を有すると世界では評価されている。
だが世界5位と言われても、他国の軍隊と異なり、法制度上は警察なので、他国の軍隊と同列に論ずることはできない。スタートから米軍に手取り足取り作られた組織なので、米軍と一体にならないと動けない。つまり自立できない組織である。
自立した組織であるなら独自の情報収集能力を持たなければならないが、日本に独自の情報収集能力はなく、米国の情報に頼るしかない。独自の情報力を持とうとすれば米国がそれを許さない。
なぜなら米国の対日戦略は、日本を自立させないことが基本だからである。従って憲法9条2項は米国にとって誠に都合がよい。2項があるため日本は米国に歯向かえない。そして日本は米軍に守ってもらうしかない。つまり9条2項と日米安保体制はセットである。
日米安保条約は米国が日本を永続的に占領支配することを可能にする。米国は日本防衛の見返りに、日本の領土のどこにでも基地を作ることができる。ただし米国の支配が巧妙なのは、自分から言い出さないで日本人から声を上げさせ、いかにも日本が望む形にしたように見せかけることだ。
そして米国は日本に対しどんな要求でもできる。軍事的要求だけではない。日本の経済構造を変えることもできる。冷戦崩壊後には米国が日本に「年次改革要望書」を送りつけ、日本型経営の変革を迫ったが、米軍に防衛を委ねている以上、日本は拒否することができない。その結果、日本経済は「失われた時代」を迎えることになった。
しかし冷戦時代の日本は、憲法9条と日米安保の関係を巧妙に利用して金儲けに励んだ。自民党政権は社会党と共産党に憲法を護る役割を負わせ、国民にも9条を護れば世界は平和になると信じ込ませた。米国の軍事的要求をけん制するためである。
米国が過大な軍事要求をすれば、政権交代が起きてソ連に近い政権が誕生すると米国に思わせ、日本は「軽武装・経済重視」路線で経済大国への道を突き進んだ。新聞とテレビはその路線を支えるため、野党を応援し、9条がいかに大事かを国民に説いた。それは日本の政治に、護憲を主張するだけで政権交代を狙わないのが野党だという歪みを生んだ。
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