桜木武史著『シリアの戦争で、友だちが死んだ』 戦場ジャーナリストがシリア内戦の取材体験を綴った児童書
フリーランスのジャーナリスト、桜木武史氏の新著『シリアの戦争で、友だちが死んだ』が児童書出版大手のポプラ社から出版された。漫画家武田一義氏の漫画とのコラボという異色の編集。表紙はカメラを抱えた桜木氏に模した漫画のキャラクターが描かれ、帯には「ふつうの日本人ジャーナリストがかいた戦場ノンフィクション!」とある。中東のノンフィクションとしては、これまでにない試みである。
本は全9章で、第1章、第2章はインドのカシミールが舞台で、桜木氏が初めて戦場取材に出て銃撃で顎の左下を砕かれる大けがをした経験が描かれる。第3章以降はシリア内戦で、第3章、第4章は首都ダマスカスの郊外で反体制勢力の「自由シリア軍」が支配した地域での取材。第5章では「戦場の持ち物」というタイトルで、戦場取材の話を入れた後、第6章から第9章までは、反体制勢力の支配地域で政府軍と激戦が続いているシリア北部のアレッポが舞台となっている。
桜木氏は2012年1月、ダマスカスの取材から戻った後、日本でトラック運転手をして貯金をし、次の海外取材の資金をためていた。桜木氏がダマスカスの後でアレッポに行こうと思ったのは、同年8月にアレッポでフリージャーナリスト山本美香さんが銃撃で死んだニュースを見たことがきっかけだったという。山本さんの死にショックを受けたが、その一方で、シリアに入る方法を探していた桜木氏は「もしかしたら、アレッポの町へと入るルートがあるのかもしれない」と考えた、と書く。
各章の冒頭は、導入として武田一義氏の漫画で始まる。武田氏は太平洋戦争で日米の激戦地となったペリリュー島の戦いを題材とした漫画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』(白泉社)の作者で、桜木氏の本でも桜木氏は『ペリリュー』と同様にかわいらしい三頭身のキャラクターとして描かれるが、戦争という重いテーマを妙に身近なものに感じさせる効果を出している。
桜木氏によると、この本の企画は、桜木氏が2017年11月にテレビ番組『クレイジージャーニー』に出演し、カシミールでの被弾やシリア内戦の取材経験を映像とともに語った後で、ポプラ社の編集者から「子供向けに戦争のことを知らせる本にしたい」という話があったという。それから1年ほどして「企画の形ができた」という連絡があり、武田氏の漫画を合わせるということでスタートした。
桜木氏は2016年にシリア内戦取材について書いたノンフィクション『シリア 戦場からの声 内戦2012-2015』(アルファベータブックス)を刊行した。その年の山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した秀作である。桜木氏が山本美香さんの死をきっかけとして、アレッポに入ったことを考えれば、作品が山本美香賞を受賞したことは不思議な縁である。
私はその時、山本美香賞の選考委員をしていて、桜木氏の本が選考委員全員の支持を得て、受賞したことを覚えている。私は選評の中で、桜木氏の本について「紛争の地に身を置き、自分の足で歩き、人々の生の声を聞いた記録である。ジャーナリストは何のために危険な紛争地に向かうのか、という昨今の問いに対する一つの答えがあり、事実に迫ろうとするジャーナリストのひたむきさを実感できる仕事である」と書いた。
私自身にとって桜木氏の前著は鮮烈な印象が残っている。今回の本でもシリア内戦の話が大半を占め、ダマスカス郊外の記述も、アレッポでの記述も、書かれているエピソードは重なる。同じ題材で児童書になったと考えれば、子供向けに漫画を入れて、文章を易しくした二番煎じの企画ではないかと考えた。
しかし、実際に読んでみるうと、既視感がなく、新しい本を読んでいるように感じた。さらに、いま、子供たちに戦争を伝える本として、よく練られた企画だと思った。子供向けと言っても、中学生以上向けということになるだろう。しかし、高校生はもちろん、大学生や大人が読んでも、十分に読みごたえがある内容となっている。
桜木氏に話を聞くと、自著について「中身が薄いような気がするのと、文章は分かりやすいけれど、幼稚な気もします」と語り、出来上がりに不安そうでもあった。「中身が薄い」というのは、カシミール紛争やシリア内戦についての情報が少ないことを気にしているようだった。執筆の過程で、シリア内戦を理解するのに必要な情報や知識を説明したり、注を付けたりすることについては、担当編集者からは「いらない」と言われ、「戦争とは何か」が伝わるようなエピソードや具体的な人間の話を書くように求められたという。
戦争を書くといっても、戦闘場面ということではなく、桜木氏が出会った戦争の中で生きている人々の生活が見えてくるようなエピソードである。本を作る過程で、度々、桜木氏と武田氏、編集者の3人で話し合いをし、その中で、桜木氏が話したエピソードについて、桜木氏自身は重要な話だと思わなかったことで、編集者が、その話は必要だから書いて欲しいといわれることもよくあったという。
例えば、ダマスカス郊外の反体制が支配する地域に1か月住んだとき、町を包囲している政府軍と自由シリア軍の市街戦が激しくなり、桜木氏は借りているアパートに閉じこもる日々で、アパートの住人が心配して訪ねて来て、チーズやパンなどを差し入れがあったという話だ。
前著では2行ほど触れているだけだが、新著では1ページを費やして、市街戦の中で、50代のおじさんが訪ねて来て、持ってきた紙袋を渡し、その中にホブズと呼ばれるパンとチーズが入っているという場面を再現している。桜木氏はパンを食べながら、市街戦が続いているのに、アパートに住む見知らぬ日本人のことを心配するシリア人のやさしさに涙がとまらなかったという経験を書いている。
桜木氏は「この話は、シリア内戦の本筋でもなんでもなく、私の個人的な話なので、書く価値はないと思っていましたが、編集者は、そういう話は戦争の中での人々の生活がよくわかる、と言って書いてほしいといわれました」と語った。
前著はシリア内戦についてのノンフィクションであり、桜木氏は自分が見たシリア内戦を伝えようとしている。それに対して、新著では、戦争を取材する桜木氏自身の体験を伝えようとしているという編集の意図の違いがある。
『シリアの戦争で、友だちが死んだ』という新著のタイトルにもなっている友だちの死の描き方も、前著と新著ではかなり異なる。友だちというのはアレッポで自由シリア軍と行動を共にして前線取材をした時に、英語ができて、桜木氏の通訳をしてくれて親しくなったファラズダックという名前の戦士が銃撃で死んだというエピソードである。前著ではファラズダックの死は次のように記述されている。
夜中の二時、ハーリドに起こされた私は宿営地に停められた車の前で泣いていた。毛布に包まれたファラズダックの遺体が後部座席に寝かされている。死因は出血多量だが、腹部をドシュカで撃たれたのでほぼ即死だったのだろう。
ドシュカというのは重機関銃のことである。ファラズダックが死んだということや筆者が悲しんだことは分かるが、それは筆者の体験として再現されているわけではない。新著では、同じ場面は次のように始まる。
その日の夜中、午前2時。僕は突然、仲間のひとりに起こされた。
「タケシ! 起きろと言っているだろ! ファラズダックが今、運ばれてきたんだ!」
眠い目をこすりながら、ぼくにはその言葉の意味がよく理解できなかった。取材の疲れで体が重くなり、寝ぼけた頭でそのアラビア語をくりかえした。
「ファラズダックが運ばれてきた……?」
どういうことだ。
手を引かれて連れていかれた場所に乗用車が1台停車していた。車内には毛布に包まれた男が横たわっていた。すぐにその意味が分かった。包まれていたのはファラズダックの遺体だった。
数時間前までふつうに会話していたじゃないか。涙が止まらず、ひたすら「ファラズダック、ファラズダック」と泣きじゃくった。
桜木氏自身の体験を再現したことで、読者は筆者が経験した場面を追体験するような感覚を味わう。ファラズダックの遺体と対面する場面の後で、桜木氏は次のように書く。
ファラズダックの遺体を目にしたとき、ぼくが死んでもおかしくなかったのだとはっきりと理解した。疲れがたまり、どこか死にたいしても鈍感になり、戦争をしていることが当たり前のように感じていた。でも、ファラズダックの死は、今、ぼくがいる世界がとても危険なのだという当たり前のことを思い出させてくれた。
友人の死に出った場面を再現した後で、桜木氏が感じた戦場の怖さは、筆者の体験を通して、読者も共有することができるだろう。
桜木氏のジャーナリストとしての体験は同じだが、新著を読んでも前著の二番煎じではなく、新しい本を読んでいるように感じるのは、前著にも出てこない印象的なディテールが、この児童書の新著に出ているからである。それは桜木氏がいうように、何を、どのように書けば、日本から遠い中東の戦争を、日本の子供たちに伝えることができるかという問題意識で、編集者や武田氏と対話した成果であることが分かる。
桜木氏は「私はこれまで少しでも興味がある人に向けて、もっと興味を持ってもらい、知ってもらうために書いてきました。関心がない人に向けて、何か書くことは、非常に大変なことで、最初からあきらめていました」と語る。ところが、新著は児童書で、シリア内戦について、興味も関心も知識も望めない子どもたちが対象読者である。その上に、編集者からはシリア内戦についての説明や注釈はいらないと言い渡される。
桜井氏は「何を、どのように書いていいか分からなかったので、手当たり次第にエピソード中心で書いて、編集者に送って、編集者の反応を待った」という。編集者からは、桜木氏が日本人として見た戦争の現実や日常について書くように求められた。
カシミール紛争やシリア内戦は日本からは果てしなく遠いから、現地のことだけを書いても、現地の事情が分からない子供たちには、理解できない。日本の子供たちと遠い中東の戦争をつなぐのは、日本人のジャーナリストである桜木氏自身の体験であり、その体験に基づいた見方である。
桜木氏は編集者から文章について何度も「やさしい言葉で分かりやすく書いてほしい」と注文を付けられたという。「例えば、『悲嘆にくれる』というような言葉を使うと、編集者から具体的にどうしたのか、どういうことか分かるようにかみ砕いて書くように言われました」と桜木氏は言う。「私がそれまで使っていた言葉は、どこかで読んだことがあるありきたりな言葉でしたが、それでも読者が分かってくれるだろうと考えていました。しかし、それでは子供たちには伝わらないといわれて、言葉を考えることが多かった」
編集者は日本の子どもでも分かる平易な言葉や表現で書くように求める。児童書だから分かりやすい言葉遣いや表現でなければ、そもそも理解されない。しかし、この問題は、児童書に書くという以上の意味を含んでいる。
子どもにも分かるような易しい言葉ということは、私たちの日常の言葉ということである。しかし、現地をみたジャーナリストには、戦争で苦しんでいる人々のことを書くのに、簡単な言葉にしてしまっていいのだろうか、というためらいがある。さらに、ジャーナリストには自分が取材した人々の苦しみや困難な状況を、自分でかみ砕けない、といううしろめたさのようなものもある。その結果、常套句や決まり文句を使うことで、読者の理解力や想像力に任せることになりがちである。
しかし、戦争であれ、中東であれ、日本で普通に生きている人間が、分かる日常の平易な言葉にするのが、ジャーナリストの役割であり、仕事である。桜木氏は新著について「幼稚な文章」になっていないかという不安を語ったが、私は読みながら、よく踏み込んで書いている、と感じた部分が多い。
例えば、日本人のジャーナリストがなぜ、日本から遠いシリアの戦争を取材し、伝えるのか、という問いについて書いた次のような部分である。
「なぜ、危険をおかしてまで現場に足を運ぶのか。ニュースだけ見ていれば、それでじゅうぶんじゃないか」
そんな言葉を家族や友人からぼくは何百回と言われ続けてきた。
その時、ぼくは何も言えなかった。でも、従軍取材をしてみて、自分がなぜ危険をおかしてまで現場に足を運ぶのか、そして、わざわざ戦場の前線に行こうとしているのか、自分の気持ちが分かってきた。今なら説明できるような気がする。
戦争をするということは、そこに暮らす人々から「日常」を奪うことだと思う。「日常」があれば、どんな学校に進学しようか、入学したら部活動を何にしようか、大人になれば、どんな仕事をさがすのか――そんなことを考えて生活ができる。もっとささいなことだって、そうだ。おなかが空いたら何をたべようか、のどがかわいたら何を飲もうか、暑くて汗をかいたらシャワーをあびようか、クーラーをつけようか……。
でも、戦争をしているシリアにはそういう「日常」はなかった。
今、シリアにあるのは、「この国を捨てて、他の国ににげるか。それとも、この国のために戦うか」という選択肢だけである。
日本では当たり前の選択が、シリアではできなくなってしまった。それがどんなに不自由で恐ろしいことかかは、ぼくもニュースを見るだけでは本当には分からないし、ましてや、しっかり人に伝えられる自信はない。でも、「わざわざ」現場に来て自分の目で見て感じたことなら、ぼくの経験を通して、リアルな戦争、または戦争の中の日常を日本の人に伝えることができると思った。
だから、危険をおかしてでも従軍取材しようと思ったのだ。
引用が長くなってしまったが、桜木氏が自分が戦場に行く意味を書いている、この下りは分かりやすい分だけ、桜木氏が紛争地にいるときに、さらに日本に戻った後で、時間をかけて自答し、自分の言葉で考え、文章を紡いだことが伝わってくる。
日本では日本人のジャーナリストがあえて危険をおかして中東の紛争地に行く必要はないという意見がある中、桜木氏の新著は、子ども向けに戦争をどのように伝えるかという問題だけでなく、日本の危険地報道を考えるうえでも重要な示唆と教訓を含んでいる。